第一章(8)
「……おにいちゃん、すげえ!めっちゃくちゃ強いじゃん!」
眼前で繰り広げられた魔人同士の対決に圧倒され、姉にしがみついたまま完全に放心状態だった少年が、ようやく我に返って言った。
「ふっふっふ。見直したか?」
「うん!おいらたちの父ちゃんも強かったけど、おにいちゃんもすげえや!」
「うむうむ。おぬしは素直で良い子じゃの。あとで時間があったらわしが稽古をつけてやるでな」
男は鼻高々の表情であった。人から褒められたりおだてられたりすることが何よりの好物なようである。
「しかし、こいつにも困ったものじゃ……」
自慢たらたらのふんぞり返った様子から一転、男は鞘に収めた刀を苦々しい表情で睨みつけながら言った。
「相棒がこんな大変な思いをしておるというに、我関せずといった様子でまだ眠っておる。いいかげんに起きてひと働きせんかい。まったく……」
「あんなすごい闘いだったのに、まだ寝てるの?」
男の凄まじい腕前を目の当たりにして、この素直な少年は「剣は生きている」という話を完全に信じきってしまったようである。
「うむ。わしの先代達が甘やかしたものじゃから、このような怠け者に育ってしまった。三つ子の魂百までというやつじゃな」
「……すばる、信じちゃだめよ。腕前は分かったけど、この人きっと戦いすぎで頭がどうかしちゃってるんだわ」
少女は、たわ言はもう十分といった感じのうんざりした表情で男を見つめた。
「ふん、弟は素直じゃが、姉はひねくれ者じゃの。さて、とりあえず村に向かうとするか」
「駄目よ。そいつが犯人かもしれないし、死体を調べてみないと……きゃああああ!!!」
「ん?」
尋常ならざる少女の悲鳴に男が後ろを振り向くと、心臓を刺し貫かれたはずの怪人が、例の酔っ払ったような姿勢でぬうっと立ち上がったところであった。
「ほほう……」
さすがに男もこれには度肝を抜かれたか、生死のやりとりの真っ最中でもどこか楽しげであったその目に、明らかな驚愕の色が浮かんでいた。
「確かに"起きろ"とは言ったがの……。こいつを説教したつもりじゃったが、おぬしに効いてしまったか?」
男は奇妙な事を言い出した。
「わしも刀以外に"寄り添える"ようになったのかの。なんともはや、世の中は不思議だらけじゃ」
「どいて!撃つわ!」
先ほどの戦いの最中は、死闘の迫力に完全に圧倒されて何も出来なかった姉弟だが、そこはやはり武に携わる者のプライドか、二人とも素早く弓を構え、男の向こう側にいる怪人に照準を合わせようとした。
「下がっておれ!おまえたちのかなう相手ではない。心臓を貫かれても死なんやつじゃぞ」
男はそう言って少女たちを後ろ手に制し、二人をかばうように怪人との間に立った。
「とは言っても、わしも困ったの。急所を刺しても駄目となると……。こいつは相変わらず寝ておるし」
眼前の白昼夢のような情景を既に事実として受け入れたか、不死身の相手を前にして、苦笑する余裕を男は取り戻し、刀を構えた。
「あなた、構えが……」
男の方をちらっと見て少女が訝しんだのも道理、先ほど左手を前にした常識外れの方法で刀を握っていた男が、今度は右手を前に通常の構えをしていたのである。
「あたりまえじゃろ、刀を持つ時は右手が前、それが常識じゃ。父上殿に習わんかったか? 戦闘においては奇をてらわず、基本を大切にせねばいかん」
「……あきれたわ。あなたさっき、遊んでたの?」
何らかの狙いがあったのか、あるいは単なる気まぐれか。
いずれにしても、これだけの強敵を相手にしてなお自分の得意な型を温存していたのであれば、男の自信過剰ぶりは無謀を通り越してもはや賞賛の域に達していた。
「どうとるかは、おまえの自由じゃ」
男はにやりとして言った。
そして、再び死闘の始まりかと思われたその時 ーー
「えっ!?」
少年が素っ頓狂な声を上げたのも道理、攻撃に移るかと思われた怪人は、信じがたい筋力で一気に5メートルほども後ろに飛び下がり、そのままきびすを返して、酔っ払ったようなガクガクとした動きのまま、とてつもない速度で脱兎のごとく逃走に移ったのである。
「ほ?」
さしもの男も、不死身の怪人の突然の逃走劇に呆気に取られたか、追うのも忘れてその後ろ姿を見送るのみであった。
いや、もし追っていたとしても、通常の人間の走力ではまず追いつくことは不可能だったであろう。
村を囲む木々の間をぬって、怪人の姿はあっという間に三人の視界から消えた。




