第四章(13)
「痛い、痛い! 姉ちゃん、痛いよ!」
「あ、ごめん……」
自分の命よりも大切なものを守ろうとして、無意識のうちに力が入り過ぎてしまったか、痛がるすばるの声ではっと我に返ったように、なゆたは弟を抱く腕を緩めた。
「はっはっは。すばる、おまえが変な質問をするから、姉貴殿がまた怖がっておるではないか。今度はわしのせいではないからの。おぬしが謝るのじゃぞ?」
「えー、でも今の話、怖くなんかないよ! すっごい面白かった!」
いくつであっても、いつの世であっても、そしてどんなに血生臭い話であっても、男というものは"古来よりの言い伝え"のような話が大好きなものである。
が、どうやら女はそうでもないらしい。
「……面白いお話が聞けて良かったわね。悪いけどお姉ちゃんは、狂った殺人鬼とか、忌まわしい刀の伝説なんて聞きたくないの。この事件が片付いた後に、おにいちゃんと二人っきりでゆっくり聞かせてもらいなさい」
分村の、血の池地獄のような光景にはびくともしなかった女丈夫ではあるが、"共感力"が非常に強いのであろう、人が死ぬ話はとにかく嫌いなようである。
「ほっほっほ。わしの愛刀殿もえらい嫌われようじゃな。まあこいつは普段から素行が悪いからの。すぐに人を怖がらせおるし、自業自得じゃ」
刀ではなく自分が嫌われているとはこれっぽっちも考えないところが、この男のすごいところである。
「おいらは、鬼狩丸大好きだよ! あとさ、もう一つだけ聞きたいことがあるんだけど……」
「すばる……もう十分でしょ? おにいちゃんは明日早いんだし、疲れてるんだからこれ以上は迷惑よ。また今度にしなさい」
なゆたはそう言って、質問の止まりそうにない弟をたしなめたが、天一郎に気を使ったというよりも、とにかくもうこれ以上血生臭い話は聞きたくないというのが本音であったろう。
「わしは構わんぞ? 旅人の話に興味を惹かれるのは男の常。しかもわしのような天下無敵の剣豪に会える機会など滅多にないからな。色々聞きたくなるのは当然じゃ。とは言っても、確かに朝も早いことじゃし、次の質問で一旦おひらきとしようかの。それでよいか? すばるよ」
疲れていても眠くても、自慢話を聞いてくれる相手がいるならば、夜通しで延々と喋り続けられるこの男であるが、先ほどからのなゆたの不機嫌ぶりに、さすがに多少は気を回したようである。
「うん! ありがと!」
「……」
姉は諦めたように仏頂面でそっぽを向き、弟は嬉々とした様子で質問を続けた。
「もう一つはね、にいちゃん、鬼狩丸は"手に入れた"んじゃなくて、小さい頃から"あった"って言ってたでしょ? どうして鬼狩丸はにいちゃんの刀になったの?」
「ほほう……なるほど。よく憶えておったのう? その通りじゃ。手に入れたわけではなく、わしが生まれた時すでに、こいつはわしの刀じゃった。鬼伏一族の言葉でいうところの、"宿命刀"じゃな」
分村での自分となゆたとの会話を憶えていた少年の記憶力に感心しつつ、天一郎は傍らの愛刀にちらりと視線をやった。
「"宿命刀"?」
はじめて聞いた言葉に、少年は目を丸くした。
「そうじゃ。鬼伏の本家には、数百本もの名刀・異刀・業物の類が伝わっておるが、一族に"寄り添うもの"としての能力を持つ者が生まれてくるとき、それらのうちの何本かに、なんらかの"兆し"が必ず現れる」
「"兆し"って……"しるし"ってこと? どんな?」
自分を天一郎に近づけまいとしっかり抱きしめる姉の腕と格闘しながら、少年は身を乗りだして聞き返した。
「"しるし"というよりは、"現象"じゃな。誰もいないはずの蔵の中から突然"鍔鳴り"が始まったり、その刀が呼び寄せたように落雷があったり、あるいは刀身が突然熱を発して"ぼや"を起こしたり、急に重くなって蔵の床が抜けたりと、能力を持った子が生まれてくる直前は、それはそれは賑やかになるそうじゃ」
「へー、すごい! 楽しそう! "ポルターガイスト"ってやつ?」
"霊が騒ぐ"という、本で読んだことのある知識と重なったのか、すばるが目を輝かせながら聞いた。
「ほっほっほ。博識じゃのう。まあそれのようなものと考えればよい。要するに"俺を使え、ここから出せ、人を斬らせろ"というアピールじゃな」
「そっかー、わかるなあ。家の中にいても、つまんないもんね」
少年は腕組みをして何度もうんうんと頷き、その様子がおかしかったか、天一郎は吹き出しそうになりながら、話を続けた。
「はっはっは。そうじゃな。おぬし同様、外でおもいきり暴れ回りたいということじゃろう。そして、それらの"兆し"が現れた刀を並べて、生まれたばかりのぎゃあぎゃあ泣く赤子を近づけてみると、ある一本のそばに来たときだけ、急に泣き止んでにこにこと笑いだし、刀に手を伸ばそうとするらしい。それがその者にとっての"宿命刀"となり、生涯に渡って"相棒"として共に歩むことになる。そういうしきたりなのじゃ」
「……そんなの迷信よ。生まれたばかりの赤ちゃんが、笑うわけないわ」
この男と鬼伏一族のエピソードに関しては、常識外れすぎてもはや疑う気力も湧いてこない少女であったが、弟が赤ん坊だった頃の記憶が蘇ったか、さすがに疑惑の眼差しを浮かべていた。
「その通りじゃ。赤ん坊が生まれてから笑うまで、通常は数カ月ほどかかる。わし以降、鬼伏の家に"能力"を持った者が生まれておらんゆえ、真偽のほどは確かめようもないが、もしかすると、こいつという疫病神をわしに押し付けようとして捏造された、うちの爺さまの作り話かもしれん」
自分でもこの話をあまり信じていないのか、あるいは信じたくないのか、すぐにむきになって言い返すのが常のこの男が、少女の"迷信だ"という発言にムっとした表情も見せず、淡々とした様子で話を続けた。
「爺い曰く、生まれたばかりのわしを親父が抱いて、こいつに近づけた途端に、かっと目を見開いてゲラゲラと笑い出したそうじゃ。その笑い声があまりに異様じゃったゆえ、"刀憑き"かと思った親父がわしをこいつから離そうとしたところ、それを嫌がったのか、親父の指にものすごい力で噛みついたという」
「"刀憑き"?」
天一郎の口から次々と飛び出す、子供にはまだ難解かつ耳慣れない言葉に、ぽかんと口を開けてすばるは聞き返した。
「うむ。"寄り添うもの"としての能力を持つ刀は、そいつ自体が意図しておるかどうかに関わらず、周囲のものと感応する場合がある。要するに、周りの人間がこいつの"邪気"に絡め取られるわけじゃな。その状態を"刀憑き"というのじゃが、感応するのは、心になんらかの"殺気"を宿しておるものに限られる」
「"殺気"? 誰かを殺そうとしてるってこと?」
「そうじゃ。だが、まだ右も左も分からぬ生まれたての赤ん坊に、"人を殺す"などという概念があるわけもないのじゃから、刀に取り憑かれるわけがない。それに、いくらわしが剣の天才じゃといっても、なんで殺気を持って生まれてくることがあろうか? それではわしがまるで生まれながらの下賤な"殺し屋"か"人斬り"のようではないか。失礼な話じゃ」
「……」
生まれついての"人斬り"。まさにこの男にぴったりの称号ではないか ーー 少女はそう思ったが、もはや天一郎の話を長引かせるようないかなる合いの手も入れまいと心に決めたか、何も言わずに黙っていた。
「しかも、生まれたばかりの赤ん坊が、笑うならまだしも、歯も生えておらんのに噛みつくなどとは笑止千万。死にぞこないのもうろく爺いめ。人の過去をでっち上げるならもっとうまい嘘をつけというのじゃ。年を取り過ぎて嘘までもうろくしておるとみえる。なあ? はっはっは」




