第一章(3)
少年は男のズタ袋の紐をとき、中を覗きこんだ。
「ふーん、あんまり荷物入ってないや」
「旅は身軽が一番じゃからの」男は得意気に言った。「わしくらいの旅の達人になると、必要な品はほとんど現地調達じゃ」
「行き当たりばったりなだけでしょ」
男の自慢話は、またも少女にばっさりと斬られた。
「ほんとうに口の悪いやつじゃのう……気も強いし疑り深いし、どこかの誰かさんにそっくりじゃ」
男は苦虫を噛み潰したような表情で言った。
「お友達?」少女が聞いた。
「ああ、そいつもその刀同様、小さい頃からの腐れ縁での。女のくせに、男をたてるということを知らん。わしの言い分はなにも聞かんくせに、いつも自分の都合を押し付けおる。女はもっとたおやかであるべきじゃ」
「そうなの。わたし、その人とは気が合いそうだわ」
「そんな気がするわい」
武において男尊女卑を旨とするこの男は、どうやらこの類の女子連中と相性が悪いらしい。
「ええっと、てぬぐいと、地図と……これは塩、そんでカレー粉かな?」
少年は男の荷物を一つ一つ確認した。
「ずいぶん貴重なものを持ってるのね」少女が聞いた。
「カレー粉か?それは旅の途中で入手したのじゃ。ここで盗んだわけではないぞ」
「分かってるわ。この村でそんなの見たことないもの」
カレー粉はこの時代もはや入手困難な希少品となっていたが、これさえあればどんなに生臭い獣肉でも何とか食べられるという点において、男のように旅をする者には必需品であった。
どうやらカラスもこれを使って食べようとしていたようである。
「あと、これが最後。本が入ってたよ!」少年は文庫本を取り出して言った。
「でも、なんだこれ、さむらいの絵が描いてあるけど、字が難しくて読めないや」
「"柳生十兵衛血風録"。わしの座右の書じゃ。粗末に扱うでないぞ」
男は仰々しく言った。
「ふ〜ん、剣術の本なの?」少年は興味津々な様子で聞いた。
「そうじゃ。侍の生き様、そして剣の真髄が記されておる」
「すげえ!そっかわかった。これ"奥義書"ってやつだね!」
「その通りじゃ。剣の道とは修羅の道。時には血を分けた親兄弟と雌雄を決せねばならん時もある。たとえばその本の前書きに書いてあるように、侍たるもの、神に逢うては神を斬り……」
しかし、男の偉そうな講釈は、またも少女によって断ち切られた。
「すばる!そんな嘘信じちゃだめよ。ただの古い小説じゃないそんなの」
「"ただの古い小説"とは失礼な。最近の娘っ子は伝統や名作への敬意というものを知らんの。嘆かわしいことじゃ」
男は、最も好きな類の話を途中で打ち切りにされて、不機嫌そうに言った。
「分かったわ、あなた"時代劇おたく"ってやつね。格好も変だし、しゃべり方も変だし……」
そう、"大異変"のあと、新しい衣類の入手が困難になったこの時代においても、人々のほとんどは洋服を着ていたが、この男は総髪に古びた黒い和服に雪駄という出で立ちであった。
この格好で、しかも昔言葉を使うとあっては、少女ならずとも"頭がおかしい"と判断するのは至極当然な反応と言えよう。
「それに、あの刀の持ち方。剣士なら、いつでもすぐに刀を抜けるように、利き手の反対側の腰に差すものよ。あんな担ぎ方して、しかも鞘に荷物をぶら下げるなんて、剣の基本を全く知らない証拠だわ」
「ほっほっほ。普通の剣士ならそうじゃろうな。まあこれは"ハンデ"じゃよ」
「ハンデ?」
「うむ、そもそもわしと、その刀が組んでいる時点で反則のようなものじゃからな、相手にも勝つ機会を与えないと不公平じゃろう」
「……もういいわ嘘ばっかり。でもとりあえず何も盗んでないようだし、あなたが犯人だという証拠もないし、そんな根性もなさそうだし、刀と荷物は返すわ」
そう言って、少女は弓を下げた。