第三章(15)
なにが起こったのか?
わずか数瞬前、精鋭無比なる兵器たちの主砲やミサイル砲は確かに一斉に火を吹き、この空洞内に焦熱地獄を現出させ、天一郎はおろか、自らも、仲間も、あらゆるものを分子レベルまで焼き尽くすはずであった。
だが、白く濁った砲煙が空洞内に飛散して薄まり、徐々に視界が戻りゆく中で見えてきたものは ーー
―― 地面のそこかしこに転がる、各砲塔から発射された際の原型を留めたままの、105mm装弾筒付翼安定徹甲弾、35mm装弾筒付徹甲弾、155mm榴弾等の砲弾。
―― AH-64Dから大量に発射されたもののなぜか起爆せず、砲弾と同様に地面に横たわる、スティンガーやヘルファイア等のミサイル弾。
―― 強力な炸薬を使った自爆の衝撃波によって、高速で飛翔して天一郎を殺傷せしめるはずが、途中で何かを諦めてしまったかのように、本体の周囲に無為に散らばる兵器の破片。
―― 主砲から一撃を放った際に、まるで自らに残された燃料や動力もすべて放出してしまったかの如く、駆動音やモーター音がストップし、砲撃時の態勢のまま彫像のように動かなくなった74式戦車や機動戦闘車。
―― 重力の存在をやっと思い出したかのように、静止していた空中から斜めに傾いた状態で落下して"ぐしゃあ"という圧潰音を空洞に響かせた、最強ヘリ アパッチ・ロングボウ。
そして、それら兵器や弾薬が形作る同心円の中央で、いつの間に抜き放ったか、愛刀を真横に一閃させた態勢で"残心"を高らかに誇示しているのは ーー
焼き尽くされて灰になるどころか火傷の跡一つさえ見受けられず、残心の所作を自己アピールと取り違え、したり顔で自己陶酔に浸る、傲岸不遜にして唯我独尊なる孤高の剣士、鬼伏天一郎であった。
その場から一歩も動かぬまま、いったいどのような神技を振るったのか ーー 先ほどの"闇隠"のように空間を斬ったわけではなく、ただ剣を横に薙ぎ払っただけと見えるにも関わらず、一斉砲火に対する"後の先"の間で繰り出されたこの男の一薙ぎは、超音速で飛来する砲弾やミサイルを空中で払い落とし、自爆の衝撃波を無へと帰し、すべての兵器本体の動力をストップさせ、まさしくただの一撃で戦いを終結させたのである。
この時、もしこれらの砲弾やミサイルに充填されている火薬を、科学的な手法で分析できる知識と技術を持った者がこの場にいたならば、物理法則を根底から覆すような解析結果に驚愕したであろう。
その成分は通常時と全く変化していないにも関わらず、どのような手段を用いたとしても、まるで"燃えるための能力を全て奪われた"かのように、それらの火薬は二度と発火しないのである。
火薬だけではない。それぞれの兵器の電子回路や動力、果ては装甲に至るまで、あらゆる部品がその機能を失っており、最高の技術者による最善のメンテナンスが施されたとしても、まるで"戦う気力を根こそぎ奪われ"たかのように、これらの兵器はもはやその務めを果たすことはない。
生物がその機能を失うことを"死"と呼ぶのであれば、天一郎と鬼狩丸は、兵器を兵器たらしめているあらゆる機能を斬断して死をもたらす、冥界からやってきた"死神"とその"大鎌"のような存在であったろうか ーー
そして、アパッチの落下により、自らが繰り出した技の結果と激闘の終わりを確信したか、自己賛美の念が結晶化したような無意味な決めポーズを解き、鬼狩丸をゆっくりと鞘に戻した天一郎には、先ほどまでの飢えた猛獣のような悽愴な気迫は窺えず、その代わりにこの男にはまるで似つかわしくないほどの、柔らかく穏やかな雰囲気が漂っているのであった。
「鬼伏流秘奥義 ーー "鬼喰"。貴殿たちの本分、口上での約束通りすべて"喰らい尽くした"ゆえ、三度の命はない。願わくば、この暗き地の底が、貴公たちにとって安寧なる終の住処とならんことを」
自身をここまで追い詰めた最強兵器たちに、敬意と哀悼の念を表した後、左手の鞘に収めた愛刀にちらりと視線をやってから、天一郎はなんとも言えない苦笑を浮かべた。
「眠りよったか。まだ仕事は終わっておらんというのに、"腹いっぱいになったら寝る"とは、本能に忠実じゃのう、おまえは」
この男が口上で述べた"喰らう"という言葉、そして愛刀に対しての"腹いっぱい"という言葉から類推されるのは、「天一郎ではなく鬼狩丸が兵器たちの何かを喰らい、それによって鬼狩丸の食欲が満たされた」ということであったが、"斬る"以外の能力を持たぬはずの日本刀という武器が、いったいなにを"喰らった"というのか? 刀が"食欲"を持っているとはいったいどういうことなのか?
いずれにしても、異刀・鬼狩丸、そしてこの男を含む鬼伏一族の能力の正体は謎に包まれたまま、地下数百メートルの戦場における、人類と最強兵器たちによる異次元の妖闘は、若き剣術家の完全勝利で大団円を迎えようとしていた。
そして ーー
「"両刃"ゆえ、この技を使うと、わし自身もこいつに"喰われる"というのが問題じゃの。ほっほっほ……」
そう自嘲気味に呟いてから、まさか本当の死神に魂を抜かれでもしたか、勝利の余韻に浸っていたはずの天一郎の表情からは一瞬で生気が失せ、先ほど自らが撃破した最強ヘリと同様、剣士はまるで崩れ落ちるように地面に倒れ込んだのである。
秘奥義による大勝利は、実は自らの命を代償にした凄絶なる相討ちであったのか、そのまま天一郎はぴくりとも動かなくなった。
廃墟となった駐屯地の地下深く、人知れず行われた一大決戦の舞台となった大空洞は、兵器たちの誇りも、天一郎の矜持も、そして地上で渦巻く数々の陰謀も惨劇も知らぬげに、どこまでも暗く、そしてどこまでも静かなのであった。




