第一章(9)
「何者じゃ、あやつ……」
「おにいちゃんの強さにびっくりして、逃げたのかな?」
「そうであればわしの面目躍如といったところじゃが、残念ながら違うじゃろうな。あやつにはまだ十分に余力があった」
そう、心臓を貫かれて立ち上がってきた際も、怪人は呼吸ひとつ荒げることなく、また眼光の鋭さにも一切変化はなかったのである。
「心臓を刺しても死なんし、本当に地獄の鬼かもしれんの。いずれにしても、初戦は引き分けじゃ」
「……初戦って、あいつがまた現れるってこと?」
少女は、縁起でもないことを言うなという表情をした。
「やつがわしを狙ってこの村に来たのか、たまたまこの村に来たからやつに狙われたのか、それは分からんが、少なくともおまえたち二人を後回しにして、先にわしを殺そうとしていたことは確かじゃ」
男は、怪人が最初に現れた際の、まっすぐに自分を睨みつける姿を思い返していた。
「それに、村民失踪の犯人があやつかどうかは知らんが、少なくともなにかしらの形で関わっておるのは間違いなかろうし、遅かれ早かれ本村の方にも現れるじゃろう」
「……本当に頭がおかしくなりそうだわ。悪い夢でも見てるみたい」
「うむ。まあ今のこの世界そのものが、悪い夢のようなものじゃからな。案外あやつもわしも夢かもしれんぞ。ふっふっふ」
「……夢だったら、醒めれば全部終わるのにね」
少女は疲れたように言った。村民失踪事件や眼前の死闘というよりも、この時代に生きることそのものに対する疲れであったろうか。
「……随分疲れておるようじゃが、わしも腹が減って死にそうじゃ。どうやらこの件で用心棒の口はありそうじゃし、とっとと村へ向かおうぞ」
「そうね、案内するわ」
「ん?わしが前を行かんでよいのか?」
「いいわ、頭の中身はちょっと不安だけど、あなたが悪い人じゃないことは分かったから」
「なにか微妙にひっかかる言い方じゃが……まあよい。しんがりは引き受けたぞ。背後から斬りつけたりはせんから安心せい。はっはっは」
男は再び刀を担いで鞘に荷物を下げ、姉弟はしっかりと手をつなぎ、三人は本村への方向へと歩き始めた。
木の生い茂った森の、曲がりくねった荒れた小道を数キロほど行った先に、なゆた達の住む本村はあるらしい。
先ほどの怪人の再度の急襲を警戒しつつ、三人はやや早めの速度で村へ向かった。
分村の住人達も、普段この道を使って本村と行き来をしていたのであろうが、あのような異様な事件が自分たちの身に降り掛かってくるとは、昨日この道を戻ってくる際に誰が想像できたであろうか。
男の言う通り、この修羅の時代には、誰も死に方は選べないのであった。
惨劇の現場から多少離れたことで安心したか、道のりを三分の一ほど来たところで、少女が口を開いた。
「守ってくれたことにはお礼を言うわ。ありがとう。わたしはなゆた、この子はすばる」
「守ったのか、巻き込んだのか、なんとも言えんがのう。ほっほっほ。なゆたにすばるか、二人とも良い名前じゃ」
「にいちゃんは?」
すばると呼ばれた少年が興味津々といった表情で聞いた。
「わしの名前は天一郎じゃ。この刀は"鬼狩丸"という。よろしくの、すばる」
「よろしくね!天一郎にいちゃんと、鬼狩丸!」
「ほっほっほ、元気いっぱいじゃの」
女子連中からは「男尊女卑」の象徴のように扱われて折り合いのこの男であったが、少年達からは常に絶大な支持を受けるのであった。
そのまま暗い道を歩くこと数分、すばるが何かを見つけて声を上げた。
「あ、うさぎだ!」
暗い森の中でも目がきくと見えるこの少年は、木々の間からわずかに姿を晒したうさぎの姿を目ざとく発見したようである。
「駄目よ!すばる、さっきのあいつがまた出てきたらどうするの?」
「平気だよ!あいつが狙ってるの、にいちゃんみたいだし!」
「……確かにな」
「あっ!すばるったら!」
すばるはなゆたの手を振り払い、うさぎの見えた方向に走り出していた。
「もう!」
言い出したら聞かないと見えるこの少年は、どうやら生粋の狩人でもあるらしかった。
「はっはっは、まあ多少の道草も良いかもしれんな。確かにさっきのやつが先に狙っておるのはわしじゃろうしな。すばるはうさぎ狩りが得意なのか?」
「そうね、動物を見つけるのが凄くうまいの。動物だけじゃなくて、昆虫とか、魚とかもね」
「なるほど。生活力のあるぼうずじゃな。後でわしもコツを指南してもらおうかの」
「……ちょっと聞いてもいい?」
なゆたが意を決したかのように言った。すばるの前では聞きづらいことがあったようである。
「なんじゃ?好みの女のタイプか?胸はもちろん大きい方が好きじゃが、おぬしのように控えめなサイズも嫌いではない」
「馬鹿!そんなんじゃないわよ!」
「それにまだ結婚もしとらんから、おぬしにもチャンスはあるぞ」
「……自信過剰もそこまでいくと感心するわ。そうじゃなくて、あんなに強いのに、なぜ最初わたし達に会ったときにおとなしく従ったの?」
なゆたの疑問はもっともであった。飛び道具と剣という差はあったにせよ、男の腕前からすれば、なゆた達の矢を避ける術などいくらでもあったはずである。
「特に理由はない。おまえたちが悪者には見えんかったでな。とりあえず様子を見たまでじゃ」
「もしわたしたちが本気で矢を射っていたら?」
「ふむ、斬ったじゃろうな、二人とも」
「……」
天一郎はこともなげに言い、そして、ある程度想像していた通りの答えではあったろうが、なゆたは絶句した。
「わしは剣士じゃからな。老人でも赤子でも、男でも女でも、悪人でも善人でも、強き者でも弱き者でも、斬るとなったら区別はせん」
「……平等主義者なのね」
「そういうことじゃ。相手が神でも、仏でも、地獄の鬼でも……」
天一郎は、この類の質問をされた際にはいつもそうであるように、淀みなく自信満々の表情で語り、そして最後に必ずこう付け加えるのであった。
「向かってくるならば、斬る。それがわしの掟じゃ」




