変な人との遭遇
彼の方も思わず口走ってしまったのだろう。あっ、というように自分の口を抑え、それから左右を見回し、もう一度私を見る。
年はカインさんよりも上だろう。赤味がかった茶の髪はやや長めで、灰色の目がなぜか困惑の色を浮かべていた。
体格はいい。剣を振り回していてもおかしくないタイプに見える。前世でいう欧米映画の戦争ものに出てくる青年みたいな人だ。
けど、ファルジアの青いマントをしていないので、うちの軍の人ではない。カッシアの町の人ならば、まだ私のことを知らない。ということは、
「軍についてきてる商人さんです?」
軍を動かすということは、大量の人が集まっているということだ。それすなわち、商人にとっては都市一つ分のお客がいるようなもの。
そのため従軍鍛冶師やらの軍で雇っている人とは別に、商人なんかも馬車を引いてついてくる。
そして戦場へついていくということは、巻き込まれた時のために、ある程度剣が使えるか、護衛を雇っていることが多いのだ。
「え、その……まぁそんなもん?」
返事も歯切れが悪かったが、
「お前、ほんとにその……魔術師なのか?」
近づいてきて小声で問いかけてきた彼は、やっぱり困った顔をしていた。
顔はどこかで見たことがあったけれど、ともすれば町娘みたいな恰好をして一人でぽつんと座っていたので、信じがたかったのだろう。
どう答えるか迷ったが、私は正直に話すことにした。
魔術師だとわかっていれば、後ろ暗いことをしようとする人であっても、私のことを警戒するはずだ。いつどんな形で私に反撃されるかわからないから。
「そうですよ」
うなずくと、彼は愕然とした表情になる。
「上には上がいた……」とつぶやいていたように聞こえたが、一体誰と比べたんだろう。
「希少な魔術師がこんなとこに一人でいていいのかよ?」
気を取り直した彼は、私が魔術師だと周囲にわかるのを避けたいのかもしれない。私の隣の箱に腰かけて、小声で尋ねてくる。
……思わず拳二つ分、離れて座り直してしまった。
ちょっと傷ついたのか、青年は愕然とした表情で開いた空間を見つめている。
なんだろう。この人、今まで女の子にこんな対応されたことなかったのかな。二度ほど開いた空間と私を見比べて、それでもまだ「え……」と言っている。
そんな彼に構わず、私は答えを返した。
「ルアインの兵はもういないですし。町中で、いっぱい人もいる上、叫べば巡回の兵士も来るでしょう。それでも何かあったとしても、私もそこそこ強いですし、一人でどうにでもできますから」
「……ああ、確かに」
しみじみと言われた。どうやら仲良く話そうとした彼は、思いっきり線引きされて驚いたようだ。
「まぁでも、会話するぐらいなら大丈夫なんだな」
「話すぐらいなら問題ないですよ。ただ初対面の男の人と、くっつくほど並んで話すのって苦手です」
「ずいぶん率直だな。悪くない」
そう言って、青年はくつくつと笑う。
「楽しんでいるところ申し訳ないですけれど、私と仲良くなっても、軍に必要なものは何も買ってあげられませんよ。私にはさして権限なんてないんですから」
魔術師だから偉そうな立場においてもらっているけれど、ほとんど全ておんぶにだっこだ。中身はただの16歳の小娘だから、周りが気にして先に用意してくれている。
「じゃあ、しがない商人の好奇心に答えてくれるか? あ、年上だからって敬語は使わなくていい。まどろっこしいからな。あと俺、イサークって言うんだ」
ニッと笑う表情は、まるで太陽のようだ。明るくて社交的そうな商人イサークは、話していてそう嫌な人ではなかったし、隣に座る以外にはなにもしてこない。それに私もすることがあったわけではないので、うなずいた。
「……あなたがそう言うなら。で、好奇心って何?」
魔術師のことを知りたくて声をかけたんだろうか。
「なんでこんなところに一人でいるんだ? 護衛の一人や二人、どこかに潜んでんだろ?」
尋ねられて、私は首を横に振る。
「え……。俺が言うのもなんだが、大丈夫なのかそれ」
「息苦しいから」
そう、今日は特に息苦しかった。
心配させないように誰か護衛を連れて行くことも考えたのにしなかったのは、結局何かしようとしたら、護衛についた人の意見を受け入れて、私の行動が制限されそうだったからだ。
こうして城から出てきてしみじみと思った。
私は、息が詰まりそうだった。だから一人きりになりたかったのだ。
「いや気持ちはわかるけどよ」
なんだろう。この人自分でも剣を使って戦えそうなのに、護衛に守られる生活送ってるんだろうか。そう思って横目で見ると、なぜかイサークはうろたえたように言い訳した。
「昔の話だよ……。俺いいとこの坊ちゃんだったからな、子供の頃は乳母日傘の護衛付で育ったから。あ、そうだこれ、これ食え! ほら!」
そう言ってイサークがポケットから取り出して差し出してきたのは、小さな缶入りの乾燥果物だった。保存が効くよう、砂糖がまぶされている。
「くれるの?」
「そのために出したんだよ、とにかく食え。なんか疑ってるのか? ちゃんとまだ食えるはずだぞ、ほら」
食べて見せられては断り難い。とりあえず一つつまんで口に運んでみる。
甘い。
頬の奥から喉へ、そして脳に伝わっていく甘味に、なぜか涙腺が緩んだ。ぽろ、と目に留めきれなかった涙が頬を滑っていく。
「えっ、ちょっ、なんでそれで泣くんだよおい!」
「甘くて……」
「え、甘すぎ!? 嫌だったか? 水飲むか?」
「ううん。おいしいから」
おいしくて甘くて。だから我慢していたのに心の堰から、感情がこぼれそうになるのだ。
「おいしいのに泣くとか……。やっぱりお前、さっきも泣きそうになってたんだろ」
「え、私そんな顔してた?」
驚いて顔を上げると、困り顔のままイサークが微笑んでいた。
「誰にも内緒にしておいてやるから、悩みがあるなら言ってみろよ。聞くだけなら聞いてやらんでもない。てか、誰も周りに泣きつける相手はいないのか? 大事にされてるんだろ、魔術師なら」
イサークの言葉に、私はハッとする。
私は自分がため込んでいることを、誰にも話せなくて、だから息苦しかったのかもしれない。不満について訴えても、お互いに堂々巡りになるだけだから。
でもレジーが悪いわけじゃない。カインさんが悪いわけでもない。二人とも、私のことを大事に思ってくれているからこそだってわかってる。
そんなことを考えて黙り込んでしまった私に対して、イサークがため息をついた。
「話ができる相手はいるけど、その相手と話せない理由があるってことか?」
黙っているだけでも、イサークには私の心の声が読み取れてしまうようだ。
「……過保護すぎて」
だからかもしれない、またしてもほろりと言葉がこぼれてしまう。
……なんで初対面の人にそんなことを言っちゃうのか、自分でもわかってる。
誰かに話したいんだ。だけど城にいて私に近い位置にいる人は、たぶん私の意見よりもレジー達の意見に同意しそうで、言うのが怖いだけで。
「魔術師様に過保護っていうとあれか、魔術を使う時以外はお守りしますーとか言われて自由にできないとか。アブナイのでこっちに行っちゃいけませんって四六時中つきまとわれるとか」
「だいたい合ってる」
イサークが言ったそのままの状態ではないけれど、近い。
するとイサークは、なんだそんなことかと呆れたように言った。
「女なんてなぁ、大人しく守られてりゃいいんだよ」
「弱いから、何もするなっていうの? 何にも知らせずに、さっさと自分達だけで解決するのが楽しいの?」
思わずむっとして言い返してしまう。するとイサークが面白そうな表情になった。
「それなら、有無言わせなきゃいいだけだ。お前さっき自分で強いって言ったんだからできるだろ。なにせ魔術師だし」
「私は強いつもりだけど、剣も使えないし、魔術とったら何もできないし。だから他の部分では周りの人に頼ることしかできないから、無下にもできないし……」
「小難しいこと考えるなよ。他人がやってくれりゃ楽だろ?」
「そうして他人に手を汚させてるのに、何も考えずに笑って出迎えればいいっていうの? 自分の方が力が強いのに、女だからって、私の心が弱いからって、閉じこもってるだなんて酷いでしょう」
だんだん怒りが湧いて来る。
そんな私の様子に、なぜかイサークがうろたえた。
「えっと、まぁ、そんだけ怒るなら、お前が完膚無きまでにたたきのめしておけば?」
「私?」
「お前の方が強いんだろ? なら、力を認めさせればいい。それなのになんでお前の仲間はお前を頼らない?」
理由はわかってる。
「私が……人を殺すのが怖いから」
それを聞いたイサークは、しばらくぽかーんと呆けた表情をしていた。
うん、呆れたんだろう。
魔術師が戦争に参加してるのに人を殺すのが怖いとか、本当にバカみたいだから。下手をすると、そんな魔術師がいる軍について来てしまって大丈夫かと思ってしまったのかもしれない。
やっぱり私の考えは、異端なんだ。そう思うと自然とうつむいてしまう。
すると困惑したような声で、イサークが言った。
「あー、でもお前、わかってて戦ってるんだろ? よもや周りに言われるがまま実行してるとか、そんな話じゃないよな?」
うなずくと、イサークは安堵の息をもらした。
「で、お前は大事なものを守るために自分も戦いたい。けど周りは極力アブナイことをさせたくないって言ってるってことか……」
「たぶん、そういうこと」
「なるほど過保護だな」
イサークはそういって納得したようにうなずく。
彼が肯定してくれたことで、なんだか私は少し胸がすっとした。そんな私にイサークがすっぱりと言った。
「じゃあお前、やっぱり完膚無きまでにやっちまえよ」
「え?」
顔を上げて彼を見れば、少し高い位置にあるイサークの顔に、好戦的な笑みが浮かんでいた。
「有無を言わせないほど強いとわかったら、過保護なことは言えなくなるだろ。自分の身の安全もその時にきっちり確保できりゃ言うことない。それで解決だ。あとはお前がなんとか知恵を絞ればいいだけだ」
そうか、と私は思った。
私は敵を倒していたけれど、結局カインさん達に保護された状態での行動だ。私一人では無理だと判断して頼ったことで、むしろ一人では危険だと印象づけたのかもしれない。
もう私は敵を殺すことは怖くない。それをわかってもらえばいい。
私に語ってすっきりした様子だったイサークだったが、数秒後、急に苦悩しだす。
「うがああぁぁぁっ、俺なんでお前にこんな話してんだよ!」
頭をかかえて後悔した表情になったイサークに、私は首をかしげた。商人が戦争に口を挟んじゃったとか思ってるのかな。
最初は変な人だと思ったけど、聞いてくれて私はすっきりしていたので、話しをして良かったと思えたので、申し訳なくなる。だから謝ってしまった。
「ごめんね変な話して。イサークが聞いてくれちゃうから、つい」
するとイサークがこちらに恨めし気な表情を向けた。
「……女が泣きそうな顔してりゃ無視できんだろうが」
「女だからなの?」
「当たり前だろ。野郎がめそめそしてたって、かーちゃんとこに泣きつきに行けようぜぇって言って終わりだ」
なるほど、彼は男の子が泣きそうな顔をしていても、放置して通り過ぎたのだろう。
「ああ、でも私そんなこと言われても、天涯孤独だから……男の子だったとしても、泣きつく先がないかも」
「ちょっ、家族なしだと!? 泣かせんなよこのバカ!」
くくぅっと涙をぬぐう真似をしたイサークは、がしがしと私の頭を撫でつけた。ちょっと乱暴だけど痛くはない。
彼はもしかして、こんな風に年下の子の頭を撫ぜることが多いのだろうか。
されるがままにしていると、また困ったような表情で手を離し、つい撫でてしまったのか、自分の手と私を見比べてため息をついた。
「俺もお人好しって言われるけどなぁ、お前の周りがお前のこと心配するのもわかるんだよ。お前、初対面の俺に最初は警戒してたくせに、話し出したら緩むの早すぎじゃないか?」
「うん……。私の目が確かとか、そういうことは思ってない」
「……そこは俺が良い人に見えたとか言っとけよ。地味に傷つくわ」
どうやら良い人に見えたと言ってほしかったらしい。ほめてくれないんだ、と拗ねる年上の男の人を初めて見た私は、思わず笑ってしまった。
「でもイサークがぽんぽん私に言うの、なんか新鮮で気分が楽になるような気がする」
レジー達もやっぱりみんな貴族だったり貴族に仕える人だったりするから、どこか上品だ。一番私に遠慮がないアランだって、女の子をいじめてはいけないと思うのか、すぐに引いてしまう。
「なんか、懐かしいような気がして、ずっとしゃべっててほしいような……」
どうしてか彼と話していると、前世の学校を思い出す。
イサークは確実に年上だから、年齢からいうと先生とかそういう人になぞらえるべきなんだろうけど。なんだかクラスの男子か、お世話になってる先輩みたいだ。
そう思いながらイサークを見たら、
「…………」
ちょっと目を反らして、口元を抑えているイサークがいた。
「どうかした? 私何か言っちゃった?」
「このバカ。そういう台詞はあまり人に言うなよ。男相手だったらなおさらやめとけ。……くそ可愛いすぎだろが」
「かわ……!?」
急に褒められて、私はどきまぎしてしまう。
「ずっと話してたいとか、口説き文句だろうが。しかも涙目で言うんじゃねぇ、反則だ」
「え、え!? 口説いたつもりは……でも、嘘じゃないけど」
「ちょっ、そこで嘘じゃないとか何なんだお前!」
周囲に注目されたくないのか、イサークは小声で私に怒ってくる。
でも本気じゃないのは、その顔がちょっと赤いからわかるけど。照れてるんだね。褒められ慣れてない人なのかな。
「でもほら、私みたいなのに言われたって、イサークは大人だから子供に懐かれたぐらいにしか思わないかと思って。小さい子供にお話したいって言われて、口説き文句だと思う大人なんて居ないでしょ?」
戸惑った末に正直にそう言えば、イサークが急に顔を近づけてくる。
「魔術師様よ、お前がいくつか知らないけどな、もう16は超えてるんだろ? 子供の年齢は過ぎてんのに無警戒すぎだろが。いやまぁ、ちょっと童顔ぽいなとは思ったが」
「それはそうだけど、私そんなに美人じゃないし」
「……可愛いだろ。十分だ」
そんなことを真面目な顔で言うから、私は息をすることも忘れてイサークの顔を見返してしまった。
「なんだ、お前の周りの男は褒めもしない、気が利かない奴ばっかりなのかよ?」
「そういうわけじゃ……」
ないと答えようとした時だった。
「キアラちゃん!」
呼ばれて、はっと周囲を見回す。
広場を隔てた向こう側から、私を探していたのだろうジナさんが、氷狐と一緒に走ってきた。
私と同じ方向を見たイサークが、ひゅっと息を飲む。
「なんであいつがここに……うおぁっ!」
ジナさんと知り合いなんだろうか。驚くイサークのことが視界に入っていないのか、ぱっと立ち上がって数歩離れた彼と入れ替わりに、ジナさんが突撃してきて抱きしめられた。
「ひゃっ!」
「ああもう、一人で勝手に出歩いて! 心配したじゃないの!」
そう言ってぐりぐりと私の肩に頭を押し付けてくるジナさんは、なんだか大型犬みたいだった。
何故か負けまいとして、氷狐達までくっついてくる。
ぎゅうぎゅうのおしくらまんじゅうは嫌じゃない。うれしいんだけど、暑……。
気温が上昇する中、ひと肌と毛皮で温められて死にそうになっている私に、離れたイサークが手を振って遠ざかった。
「じゃあまたな!」
魔術師に関わったせいで護衛になん癖つけられると思ったのか、素早く逃げていく。
「え、誰かいたの?」
私の様子に気付いたジナさんが、ようやく身を離して私の視線の先を追い……。
「ジナさん?」
凍り付いたように、走り去るイサークの後ろ姿を見つめていた。
‡‡‡
「ちょっ、何やってんですか! バカなんですかあなた!」
路地に入った瞬間に、イサークは待ち構えていた少年に罵倒された。
「お前な……仮にも国王陛下を好き放題言いすぎじゃないか?」
「言われるようなことするからですよ! だいたいなんで敵魔術師と接触してるんですか!」
腰に手を当てて怒る町民の恰好をしたミハイルに、イサークは頭をかきながら答える。
「いや一人きりみたいだし、上手く勧誘して、さらってこられたらいいかなって思った」
最初はそのつもりだったのだ。
泣きそうな顔をして一人でぽつんと座っている少女。
きっと人間関係で何か上手くいかなかったか、失敗でもして飛び出してきたのだろうと予想はついた。
それなら、上手く誘ったら騙されて、攫って来られるんじゃないかと考えた。
人が行き交う場所だったので、荷物担ぎをして走って逃げるわけにはいかないが、口先三寸で上手く誘導できると思ったのに。
うっかりファルジアとルアインの戦いに巻き込まれて、カッシアから脱出できなくなったけれど、これは不幸中の幸いと思ったのに。
「それがなんで焚き付けることになってんですか……。全部は人に紛れて聞くのが難しかったんで、詳細は僕にはわかりませんでしたけど、上手く誘導したら、魔術師を戦わずして排除できたでしょうに」
「いや……俺もよくわからん」
「はぁっ!?」
ミハイルが目を丸くする。しかしイサークにも上手く説明できないのだ。
泣いてるだけならよくある話だ。戦に絡んで女が泣かないはずがない。
じゃあ砂糖菓子をやったのがいけなかったのか? 甘かったからと泣くから……ではないと思う。
とにかく何か、調子を狂わされたのだ。
でもミハイルにこれ以上つつかれるのも嫌だったので、イサークは堂々と言いきった。
「いんだよ、気にすんなよ。俺は強い敵の方がいいんだよ! ほら今日なら上手く外に出られんだろ。行くぞ!」
そうしてイサークは、魔術師誘拐の失敗を誤魔化したのだった。




