危険物は提出しましょう
一行はしばらくして出発した。
私の回復をゆっくり待ってもらうわけにもいかないので、まだ歩けなかった私は、荷馬車の中に座らせてもらっていた。
その時にウェントワースさんというあの青年騎士にお姫様だっこにて運んでもらったんだけども、あれ、結構恥ずかしいね……。
二人だけだったとしても動悸息切れで薬が欲しくなると思うけども、レジーやアラン他、騎士の皆さまに見られている中というのも、なかなか落ち着かない。
けれど持ち上げてもらって改めて、なぜ足が上手く動かせないのかが分かった。痺れて感覚が全くなかったのだ。
おかげでひざ裏を支えられても、むしろ触られてないのに足が浮いてるよ! みたいな感じで気味が悪かった。
実は乗車する馬車も、本当は女の子だからアラン達と一緒の馬車に……とも言われたのだが、私が断った。
平民扱いにするって言われたし、それなら仕える家のお坊ちゃまと同乗とかありえないんじゃない? と考えたのだ。
ただ、荷馬車に触っちゃいけないようなものがあるとか、そういう意味で馬車に載せようとしているのならと心配になったので、誰かの馬にでもくくりつけてもらえたら十分ですが……と申し出たら、またレジーに笑われた。
レジーは本当によく笑う人だ。笑い上戸なのだろうか。彼の腹筋が筋肉痛にならないことを私は祈っている。
「それにしても、誰なんだろ……」
湧いてきた記憶の中にあるゲームに、レジ―のような人はいただろうか。
けっこう大まかなことと、メインになる戦闘や攻略のことしか覚えていないせいで、見覚えがあるのに思い出せない。
でもあれだけ主人公と親しいんだから、ゲームに出ているはずなんだけどなぁ。
「戦闘シミュレーションで、従者の出番がないから、なのかな?」
そう考えると納得できる。そもそもあのゲーム、簡単な会話とかちょっとしたシーンのアニメーションは出てくるけど、それ以外は本当にストイックに戦闘ばかりのゲームなのだ。むしろ「どうせ戦うんだよね?」と思って、ストーリーシーンをスキップしたこともある。
「でも、戦闘に参加しない傍系王族のお姫様も出てきたりしたはずだし……あれかな。なんかそういうシーンの端っこに、台詞無しで映ってたのかな」
その可能性が高そうだと思いながら、私は足を少しぱたぱたと動かす。
実は荷台の箱を少し動かしてもらった上、ちょうどいい高さの箱の上に、クッションを敷いてもらって座っているのだ。
ほんと、エヴラール辺境伯領の人はみんな紳士で涙が出そうだよ……。
足を向けて寝られないかもしれない。
そんな状態でも、最初は足の力が入らなかったせいで、馬車が揺れる度に転がり落ちそうになっていたが、一時間も経つ頃になるとようやく足でふんばりが効くようになった。
自由に足が動かせるようになってくると、そのありがたみを感じたくなってつい足を動かしてしまう。
「それにしても、やっぱり逃げて良かったわ」
眠り薬の事を聞いて、しみじみと自分の判断は正しかったと思った。
あの時逃げなかったら、危うく昏倒したところを「家の者でーす」とやってきた人間に回収されて……ああ、その先は考えたくない。王宮に勤める前提とはいえ、しばらくは年上すぎるおじさんの慰み者になりかねない状況だったんだから。
「ああ、だからかな……」
ゲームのキアラが敵役として、王妃にくっついて言われるがままに主人公達の邪魔をするのは。
そんな目に遭ったら精神的にどん底に落ちるだろう。
逃げられないことに絶望している時に、王妃の傍へ行ったら苦しいことから解放されるのだ。しかも王妃の側にい続ければ、婚家に戻らなくて済むのだ。王妃に依存して離れられなくなるのもわかる。
魔法も、もしかすると王妃の側にいるためにと、自ら方法を探して使えるようになったのではないだろうか。
こういった事情があるのなら、ゲームの中のキアラが、王妃のために戦場にまで出ていく行動も納得できる気がした。
……むしろ、パトリシエール伯爵がそうやって王妃に懐くよう仕向けた、とも考えられるので、あのおじさんの顔を思い出してぞっとしたわけだが。
考え事をしているうちに、お昼になった。
私もパンに切れ目を入れて、炙った肉をはさんだものを渡されて口にした。ちょっとぱさぱさしているのは仕方ない。水で流しこんで一息ついたところで、私の視界に入る場所にレジーがやってくる。
少し離れた場所でレジーは手招きしていた。
周囲の騎士達も、それを見ているのに何も言わない。
何の用事だろうと私はレジーの元まで歩いていくと、そのまま道を外れた木立の中に連れていかれる。
内緒の話があるのだろうか。首をかしげていると、立ち止まって目の前に立ったレジーが微笑みながら言った。
「……君の足。見せてくれる?」
「え、ええっ!?」
足見せてくれって何!?
だってこの世界で、10歳以上の女の子は足首から上は露出しちゃいけないし、うっかり見られたら「破廉恥な!」って怒られるんだよ? 見せてほしいって言われるシチュエーションなんて、色ごとが関係することぐらいのはずだ。
はっ……まさかレジーって、こんな穏やかな顔をしておきながら、女の子をつまみ食いするようなとんでもない人なんだろうか。
怖くなって、私は一歩後退る。
男女のことについて予備知識はあるものの、前世の記憶もなんでか14歳どまりの自分だ。そんな経験など頭のどこをさらってもないし、だから冷静に受け止めることなんて不可能だった。
そして前世知識では、不埒な人間は突き飛ばして逃げてもいいことになっているが、この身分の上下がきっちりしてる世界で、平民扱いオッケーした後の自分が、お坊ちゃまと親しい従者のレジーを殴ってもいいのだろうか?
結果、私はさらに一歩、もう一歩と後退る。けれどレジーも同じだけ距離を詰めてきた。
何歩か後退を続けた末に木に背中がぶつかると、逃げられないよう両腕の手を突かれてしまう。
それを見て、私は線路の遮断機を思い出した。脳裏にカーンカーンという「列車が通りますよ」な音が蘇る。
もう逃げられないと悟ったとたん、体が震え始める。
するとレジーが小さく笑ってささやいた。
「ナイフと、瓶かな?」
彼の言葉を聞いて、はっとする。
足に、そういえばナイフと毒薬の瓶を装備したままだ。足の感覚がさっきまで無かったせいで、すっかりそのことを失念していた。
スカートの下のガサガサとやたらかさばる十枚は布を重ねたパニエ越しの上、小ぶりの品物だったおかげか、今まで他の二人には気付かれずに済んだのだろう。
けれどレジーは物騒な物を持っているだろうことに気付き、主のアランに何かがあってはいけないと警戒したから、脅して取り上げようとしているのではないだろうか。
「ウェントワース達に知られると、もっと厄介なことになるよ」
続く彼の言葉から、私の推測は正しかったとわかる。
しかもレジーは、今大人しく武器を提出したら、他の人には言わずに見逃してくれるようだ。
おそらく「足を見せろ」というのは、隠さないことで害意がないことを示せ、と思われているのだろう。
そこまで理解して、私はかっと顔が熱くなった。
すごい思い違いをしていた。めちゃくちゃ恥ずかしい。
なんで私、そういう色事の方だと勘違いしたのよばかー! そんな誘い掛けられるような見てくれじゃないでしょうに、自意識過剰すぎたのよ!
だって今の対応、完全に自分にレジーが女として興味をもってるんだと思っての怯え方じゃないのよ。そうじゃなかったのに!
申し訳なくて泣きたい気分になりながら、私は蚊の鳴くような声で告げた。
「あの、後でお渡しします……」
今後のことを考えても、レジーに自分は敵ではないとわかってもらわなくてはならない。だから素直に武器を引き渡すが、今すぐは難しいと申し出る。
だってスカートを目の前でめくるのはちょっと……と思ったのだが、彼の口から思いがけない台詞が飛び出した。
「今ここで外して?」
「……え?」
思わず彼を見上げると、レジーは実に優しそうな笑みを浮かべたまま繰り返した。
「私の目の前で外してほしいな。ちゃんと武器がそれで全部か確認したいんだ。私に無理やりはぎとられるよりは、良心的だろう?」
「う、うう……」
レジーの言うことは正論だ。
昨日今日会ったばかりの人間が何もしませんと言ったところで、信じられないだろう。
だから言う通りにはしたいが、見られた状態でスカートを持ち上げるとか、どんな羞恥プレイよ!?
しかし言う通りにすべきだろうと思い、なんとか私は私の現世の慣習に染まった意識を変えようと試みる。
どうせスカートの下には脹脛まである半ズボンみたいなドロワーズを着ているのだ。革ベルトもドロワーズの上から装着してるし。
前世基準でいうなら、スカートの下にジャージを着てるような状態だ。体のラインもわからないだろうし、素足をさらすわけではない。
そうだよ、前世なんて太もも露出しまくった短パンとか履いて外歩いてたんだし! プールや海だと下着同然の水着姿さらしてたんだよ。
……よし、あまり恥ずかしくない気がしてきた。
それでも最後に残った羞恥心から、一言レジーに断って後ろを向いた。
「ちょ、ちょっとお待ち下さい」
私が従うと察してくれたのか、レジーも両脇についた手を離して一歩遠ざかってくれる。
ほっとしつつ、極力レジーから見えないように、太ももに巻き付けた革ベルトを取る。
スカートを持ち上げる関係上、後ろにいるレジーにもふくらはぎまでは見えてしまっただろうけど、なんとかひざ上の露出は死守したはずだ。
私は急いでスカートを直し、はい、と革ベルトごとレジーに渡す。
受け取ったレジーも、それ以上確認させろとは言ってこなかった。……まあ、それ以上不審物を身に着けてないことを、先に確認してたのかもしれない。
ってことはあれか? レジーはあちこち見たってこと!?
今更ながらに気付いた私が羞恥心で叫び出しそうになるのをこらえていると、レジーが尋ねてきた。
「なんで君はこんなものを持ってたの? 一人で外を歩くから用心しようというのはわかるけど、貴族令嬢は普通持ってないよね?」
「その……養父のパトリシエール伯爵が、どうしてかナイフでの戦い方を教えた上、学校へ入る時に毒薬を私に持たせたんです」
「……ふうん?」
今更隠すようなものでもないと思うので、素直に私は答えた。とても興味深い話だったのだろう。レジーは真剣な表情になる。
「学校に持って行った後は、どこに捨てたらいいのか困ってそのまま……。見つかったら騒ぎになるじゃないですか。けど、今回は一人旅をするつもりだったんで。護身のために……」
「確かに一人旅は危険だろうね。私でも護身用に何か持つだろう……わかったよ」
「あの、本当に信じてくれますか? 決してアラン様やレジーさんに使おうとか、そんなことは考えもしませんでした」
私はぎゅっと両手を握りしめてレジーを見る。
わかったとは言ってくれたけれど、毒薬とナイフを隠し持っていたのだから、私の話を信じてくれるかどうかはわからない。『わかった』と言っても、警戒を強めてしまっているのではないか。
それでどこかに置き去りにするのならまだいいが、エヴラール辺境伯領に着いた途端に牢屋行きにでもなったら……一生出してくれなかったら……。
結局は悲惨な最後が嫌で逃げたはずなのに、元の木阿弥になってしまう。
それを恐れてレジーに尋ねたのだが、
「君が素直に出してくれなかったら、いろいろ対応を考えなければならなかっただろうけどね。でもキアラ、君は自分の羞恥心よりも私に信用される方を選んだ、そうだろう?」
レジーの微笑みに、私はようやく理解した。
彼は自分達に私が無茶な要求をされても従うかどうか、そうしてまで信用されたいと思っているかどうかを推しはかるために、目の前でスカートの下の武器を外せと要求したのだ。
そして私は、前世のもっと露出して生活していた頃の意識を呼び覚まし、なんとかレジーの試験にパスした、のだろう。
レジーの信用を失わずに済んだようだようで、ほっとする。
その後、レジーは私の手を引いて、近くを流れている川の傍まで移動した。
毒薬はレジーが蓋を開けて匂いを嗅いで確認したところ、草木を枯らすようなものではなかったらしい。適当な木の根元に中身を空けてしまう。
その時に、庭に捨てて局所的に草木を枯らしたら大騒ぎになるかと思って、棄てられずに困っていたと話すと、レジーはくすくすと笑った。
それからナイフと革ベルト、空き瓶を、レジーは川の深い場所を狙って投げ捨てた。
身を守る道具がなくなってやや不安にはなったが、少しほっとする。
前世の記憶がよみがえったせいなのか、どうも物騒な物を持ち続けるのは、心理的に緊張させられるのだ。
すると、レジーが私の顔を見て目を見開いた。
首をかしげると、彼は言う。
「護身になるものを捨てられたのに、なんだかすっきりしてるみたいだね」
「……そうかもしれません。なんか、これでいよいよ伯爵家から遠ざかることができた気がして、少しせいせいしてるせいかも」
素直にそう言うと、なぜかレジーは私の頭を撫でてくれた。
柔らかく撫でられる感触に懐かしくなる。
こんな風に撫でられたのは、いつ以来だったろう。今世の母が亡くなるまでのことではなかっただろうか。あのろくでなしな父は、そもそも私に構ったりしてこなかった。
亡き母をしのんでしんみりとした気持ちになっていると、レジーは私の手を引いて行った。
「さ、戻ろう」
私はうなずいて、素直に彼の後をついていった。