閑話~魔術師の砂
その城は、規模が大きいわけでもなく、外側だけを石積みにした小さなものだった。
高い城壁がないのは、城下町を含めて覆う壁があるからだ。
壁が破られたら降伏するしかない。代わりに破られない限りは、町民も防衛戦に参加するのが、今までのカッシア男爵領の戦い方だった。
城の中も広くはない。砦としての機能がないため、内装も瀟洒な館という趣の白漆喰の壁に美しい絵画が飾られている。
そんな部屋の一つ、来客をもてなす部屋の中で、今現在カッシア城を所有するルアイン貴族、ウェーバー子爵がソファに座る人物の前で床に膝をついていた。
白髪まじりのウェーバー子爵が若年の彼にへりくだる様を、青年の後ろに立つ金髪を肩まで伸ばした少年が、じっと見つめていた。
「このような狭い部屋でおくつろぎいただき、誠に申し訳……」
「いや、気にするな。どうせ用はすぐ終わる。これを渡すだけだ」
ソファに座っていた赤茶けた髪の青年は、指先でつまんで持つのが相応しい小さな瓶を差し出した。瓶の底に溜まる砂の色は黒っぽい赤だ。
「お、おお。魔術師の粉を私に?」
ウェーバー子爵が感嘆したように、青年が持つ瓶を見上げる。
「ファルジアの魔術子爵殿からだ。エヴラールの王子の軍には魔術師がいるだろ? これを使って殲滅しろということだろうな」
ウェーバー子爵は額づく勢いで礼を言う。
「ありがとうございます! クロンファード砦が想像以上に早く落ちてしまい、兵が動揺して参っておりました。これで少しは対抗手段もとれますな」
相当焦っていたのだろう。ウェーバー子爵の笑みは、心からのものに見えた。
「じゃあ俺は行く。武運を」
青年は立ち上がり、金髪の侍従の少年とともに歩き出す。
「お見送りを致します、イサーク殿下」
ついてこようとしたウェーバー子爵を、イサークは手で押し留めた。
「気にするな。野暮用ついでにしのんで来たんだ。あまり大仰にされたくない。……あと、俺は殿下ではない」
「は、失礼しました、イサーク陛下」
かしこまるウェーバー子爵を見て、イサークはさっさと部屋から退出する。
城の敷地から出たところで、一歩後ろを歩いていたミハイル少年は、ため息交じりにつぶやいた。
「言いなおさせるんだったら、戴冠式なさっておけば良かったでしょうに……」
「仕方ないだろー。親父ぶっつぶして、兄貴を閉じ込めるのにちょうど良かったのが、兄貴がファルジアと交渉に出る時だったんだぞ。お前だって、やるなら今が一番好機だっつったろ」
小さな声だったというのに、イサークには聞こえていたようだ。彼の返答に、ミハイルが「わかっちゃいますがね」と付け加える。
「別にルアインと同時にファルジア攻めに参加しなくても、問題なかったですし」
「ルアインに恩が売れる。ファルジアの状況を見て回れるから、後でルアインと決裂した時にも有利。トリスフィードを押さえた時に、元気な兵を改めて入れればいいから、一万ぐらいの兵を長旅させたって問題ない。お前が挙げた利点が良すぎたんだろが」
「ぐぅぅぅ……」
確かにミハイルがそう入れ知恵したのだ。
「しかし、よくお前あの魔術師の砂、余分に手に入れられたよな」
尋ねられたミハイルは、あっけらかんと言う。
「簡単ですよ。他人の飲食物に混ぜようとしたのをすり替えただけですから。誰って言いましたっけ。トリスフィードのお嬢さん。あの人と一緒に出る人達が二瓶持ってたんで、その一つを拝借しておきました」
「……は?」
ぽかーんと口を開けたイサークは、ややあってミハイルに言った。
「お前手品とかできるクチ?」
「驚いたあげくに聞くのがソレですか。出発のどさくさに紛れたから上手くいったんですよ。連れてくのが体力も頭も警戒する必要がないお嬢さんだったんで、一緒の騎士達がまぁよく油断してくれたんで」
聞いたイサークはくつくつと笑い出す。
「お前、それでこっちの実験のために、別な奴を冥府に落とすのか」
「これも全ては国のためですから。……一度失敗させてみなければ、問題点を洗い出せないものでしょう」
魔術師がいることはわかっていたのだから、その力量を測りたいなら、魔術師を出すよう仕向けるしかない。ならば魔術師くずれが最適だ。
「やっぱお前頭いいな」
笑うイサークに、ぽつりとミハイル。
「僕は……頭がいいわけじゃないんですよ。悪知恵みたいなもんでしょう。巻き込まれて幸せを捨てにかかってるくせに、なんで褒めるんですか」
じっと睨んでも、イサークは何も答えない。
しかし楽し気に先を急ごうとしたイサークの足が、悲鳴と怒号、歓声が聞こえてきたことで止まる。
その出どころは離れた場所……町を囲む壁の、四方にある門の一つのようだ。
「……早くねぇ?」
イサークの言葉に、ミハイルも目を瞬いてうなずいた。
「クロンファードの後で、ろくに休みもせずに出たら、そういうこともあるかもしれませんけれど……」
「て言うかな。これ、俺らも出られないんじゃね?」
「隠れましょうイサーク様。僕たちは目立つわけにはいきません」
ため息交じりにミハイルが言う。
「なんにせよここは間もなく落ちるでしょうし。住民もルアイン軍を負い出すために、万々歳で他の門からもエヴラールの軍を中に入れてしまうでしょうし。その町の人が老いも若きも決起して斧やら振り回し始めたら、まずカッシアに駐留している兵じゃ勝てないでしょ。不意打ち並みに早い襲撃でしたし」
伏兵を置かなくとも、兵を招く者ならごまんといるのだ。備えが遅れたルアイン軍は、すぐにカッシアの町に兵を侵入させてしまうに違いない。
「いやいやミハイル。隠れるのはいいが、実験結果を見ないと」
そのためには門の近くへいくべきだと歩き出すイサークのマントを、ミハイルが引っ掴んで止めた。
「そんなこと言ってられる場合ですか!? 貴方は大将なんですからね! サレハルドの!」
一話が長くなり過ぎたのと書ききれなかったので、続きは明日投稿します。




