エヴラール辺境伯領出発
翌日、予定から数日遅れてエヴラール軍は出発した。
まずは動きが遅い軍を先に移動させる。
総指揮をする大将はアランだ。まだ本調子ではないため、遅れて出発することになったレジーの代理である。
私も軍と共に移動することになった。
また私は移動中、馬車に詰め込まれることになっている。
前回ルアイン軍を撤退させた時と違って、今度は長距離、長期日数の移動になる。目立たない箱型馬車だが、一人だけ楽をさせてもらうようで心苦しい。
そう言うと、皆が口をそろえて「いざと言う時に役に立たないと困る」と言うので、確かにその通りですと納得した次第だ。
騎乗してついて行って、筋肉痛でへろへろ状態になっていたら、魔術を満足に使えるか大変に怪しい。役に立たない私など、ただのお荷物である。
騎士や兵士の皆さんも、私が馬車に乗るのは固定砲台を運んでるぐらいの気分らしく、特に問題には思っていないようだ……歩き疲れたらどうかわからないけど。その時は、士気を上げるために何か考えよう。
心配なのはレジーの回復具合や、その後の移動の時に狙われないかどうかだが……。これも私が心配しても仕方ない。何の備えも無しにレジーが出発するわけがないし、むしろ狙われるだろうツートップが別行動している方が、良いのかもしれない。
そう自分を説得しつつ、私はマイヤさんが準備してくれた新しい服に袖を通す。
赤紫系の深い色合いのドレスは、私のお願い通りドレスの裾は足首より少し上の丈になっている。代わりにブーツを履き、乗馬が必要になった時のために、暗い色のズボンを履く形になっている。
……ドレスでまっすぐ乗ったら、思いっきり足が露出するでしょ。騎乗時とか、乗ってる時もアブナイ。あと万が一にも再び全力でダッシュすることがあった時のために、スカートをたくし上げても大丈夫な状態にしておきたかったんです。
私もね、危機じゃなければスカートをめくり上げるだなんて恥ずかしいことしたくないわけで。
そんなことを力説して、ズボンまで仕立ててもらったのだ。
「私もズボンにしようかしらね……」なんてベアトリス様が言っていたので、無事に帰った時には、ベアトリス夫人の男装を見ることができるだろう。
あとはマントもいいけれど、防寒にもなって動きやすそうなジャケットも仕立ててくれていた。
なかなか可愛いながらもかっこよくて、腰にくくりつける師匠が激しく浮きそうだ。暑い季節になっていたので、ずっとは着ないだろうけれど、夜間などに必要になるだろう。他にも替えの衣服なども揃えてくれていた。
一揃いを身に着けた私を、ベアトリス様が抱きしめてくれる。
「無事に帰ってきてちょうだい。……もし上手くいかなかった時のために、ヴェイン様と一緒に国外脱出の準備はしておくから」
万が一の時には一緒に逃げよう。そう言ってくれるベアトリス様に、私は笑ってしまった。
「ぜひお願いします。でも、勝てるよう頑張ります。そしてアランをここに帰らせますから」
「待っているわ」
必ずとか、アランをお願い、とはベアトリス様は言わなかった。
戦争だから、何がどうなるかはその時にならないとわからない。
しかもアランは、レジーの代理として先頭に立つことも色々あるだろう。既に無事では済まない、という覚悟を決めているのだ。私のことも、アランのことも。
けれどベアトリス夫人は、深手を負ったヴェイン辺境伯の代わりに、辺境伯領を防衛しなければならない。一緒についていけないことを、ベアトリス様も悔しく思っているはずだ。
「行ってきます」
私はそう言って、部屋を出た。
荷物は既に、召使のおばさんたちが運んでくれている。私は乗車するだけだ。
城門の外には、既に出発する兵士達が整列していた。
中央には荷物の一部を詰んだ馬車と、騎士達やアラン、私が乗る馬車が待機している本陣。その後ろにさらに兵士の列が続き、物資運搬の馬車や、商魂たくましくも従軍する商人達がしっかりと荷物を載せた馬車を連れていた。
「来たか、キアラ」
アランが私に気付いてうなずく。
「早く乗れ。ウェントワースが待ってる」
「うん」
私はうなずいて、馬車の方へ歩いていく。
そこには自分が騎乗する馬を連れたカインさんが居て、まるで従者のように馬車の扉を開けてくれた。
「宜しくお願いします、カインさん」
馬車の横を並走してくれるカインさんに言えば、笑われる。
「お手柔らかにお願いしますよ、キアラさん」
差し出されたカインさんの手を借りて、私は馬車の中に納まる。
やがてラッパの音が、馬車の窓を震わせるように何重にも響く。それから進み始めた馬車の中から、私は高くそびえる城壁を見上げた。
まだ寝台にいるよう医師に指示されているレジーはいない。
ベアトリス様とヴェイン辺境伯様は門の前に立ち、出発していく兵士達をずっと見送っていた。
その後、辺境伯領を出るまでの四日間は、特に問題もなく過ぎ去った。
領内の移動だけとはいえ、ルアインが伏兵を潜ませていないかなど、警戒してはいたけれど、幸いなことに問題はなかったようだ。
軍は一路西へ。
大きな町の近くに夜は逗留する形で移動し、その時にはなるべく私は町中へと入らされた。
なにせ男ばかりの中に女子が一人。魔術師という、ある意味魔物以上に恐れるべき相手と思われていても、眠っている間に何かあってはいけないし、隔離した方が周囲の人間も安心できていいらしい。
建物の中で休ませてもらうのは心苦しいけれど、仲間に精神的疲労を背負わせる気はないので、私はアランの指示に粛々と従った。
その方が、私の分のテントを組立ててもらうとか、そういう手間をかけさせることもないしね。
そんなことを考えながらカインさんと共に町中の宿の一室に入った私は、ふとおもいつく。
「あ、でもテント代わりの土の小屋みたいなのって、自分でも作れるんじゃないかな」
明日にでもアランに提案してみよう。なにせ師匠も属性の違う魔術師だったので、自分と相性の良い土で何をどこまでできるのか、よくわからないのだ。
とりあえず想像力と気合いと慣れが全てだというのは、なんとなく理解しているんだけども。
「しかしお前の魔力とて、有限じゃろが。力尽きた時に、お前の分は勘定の中に入れなくていいと思ってたとか言われたら、お前さんどこで寝るつもりじゃ? ウヒヒヒ」
すると師匠がツッコミを入れてくるので、それなら、と答える。
「アランかカインさんとこで、間借りさせてもらえばいいじゃない」
「……え!?」
意外なことに、カインさんが一番驚愕していた。あまり表情豊かな人じゃないのに、今ははっきりと頬がひきつっている。
「あ、ごめんなさい。迷惑でしたよね」
「…………そういうことでは」
謝ったが、カインさんの返事がやや遅かったので、やっぱり迷惑だったのだろう。師匠はそうなることを知っていたのかどうかわからないが、心底おかしそうに「ウヒャヒャヒャ」と笑っている。
カインさんはそれでも断ったことを心苦しく思ってくれたのか、理由を話してくれた。
「テントもそう何張も立てていられませんから、私などは他の者と一緒なので」
「あ、そうだったんですね。本当に何も考え無しに言ってしまってすみません。アランだったら一張占領してますよね? そこに緊急時は間借りできるようにします」
アランに頼まなくちゃ。
そう思いながら私は、部屋の中にあった机の前に座り、手荷物の中からペンとインクと紙を出す。
紙はノートのように端を糸で綴じたものだ。
「キアラさん、何か記録する必要があったんですか?」
ようやく元の冷静さを取り戻したカインさんに、何を書くつもりなのかと尋ねられた。
「私の……知ってる限りのことを書くんです」
それは、私が考えたレジーのためにできることの一つだった。




