否定される思い
私は一日寝込んだ。
目覚めた時には体がだるく、しかもレジーから発生した火花であちこち火傷を負っていたので、腕に何箇所も包帯を巻かれていた。
看病の交代要員だった召使いのおばさんには「嫁入り前なのに……」と嘆かれたが、マイヤさんには「王子を救った勲章ですわね」と言われた。受け取る人によって、反応って違うんだなとしみじみ感じた。
腕がこの有様ということで、服は焼け焦げてとても使えない代物になってしまったようだ。そのためマイヤさんから「今、ベアトリス様と別なものを作っておりますから」と言われた。
ホレス師匠からは力の使いすぎだといわれ「無茶しおってからに……」と苦言を呈されてしまった。
それでも、レジーのために力を尽くしたことは後悔していない。私がそう考えていることは分かってたようで、師匠はため息をついていた。
「まぁお前さんがあの王子に執着しておったのは知っていたがな。それでも一か八かでしかなかったのは間違いない。ただこれは覚えておくがいい。今度同じことをしたら、お前さんの腕一本ぐらいは砂になるだろうよ。それを見た相手が、自責の念で潰されかねないことを忘れるでない」
「……はい」
この言葉は効いた。
レジーを助けようとしたときには頭から飛んでしまっていたけれど、夢中になって魔力を使い続けたあげく、自分の体まで崩壊などしたら……。きっとレジーは誰より自分を責めるだろう。
「それで、レジーは?」
「今のところ生きておる。しかし素質のない人間が、契約の石の影響を受けたのだ。体の維持に体力の全てを奪われたようなものだからな、まだ昏睡状態じゃ」
素質があれば、レジーはここまで苦しまなくても済んだのだろう。けれどもしそうだったら、とてもマズイことになるだろうなとも私は思う。
絶対にレジーは、自分も魔術師になろうとしただろう。
そうしてエヴラール領に私を押し留めて、戦争が終わるまで待たせるに違いない。私だってそうしたいのだから、レジーがやりたくなるだろうことは理解できるから。
結局、レジーが目覚めたのはそれから二日後のことだった。
医師の診断の後にすぐ私が呼ばれたのは、魔術的な方面から、レジーの状態が問題ないかを診て欲しいからだろう。
部屋の前には、フェリックスという砂色の髪のレジーの騎士が立っていた。
フェリックスが扉を開けてくれると、寝台とその傍に立つ騎士グロウルの姿が見える。
「医師はもう問題ないと言っております。あと、先に申し上げておきたいのですが」
珍しくグロウルさんが、私に話がある様子だ。まさか私を庇わせてしまったことについて、怒られるのだろうか。
「殿下が世迷いごとを口になさっても、気になさいませんよう。殿下が魔術師殿を庇ったのは、戦力のことを考えても、ご婦人を助けるべきだという考えからも当然のことで、毒矢や今回のように特殊な事象を誰も想定していなかったのですから、仕方ないことでした。そんな中。殿下を救うため死力を尽くして下さったことに、我々は感謝しております、魔術師殿」
話し終えたグロウルさんは部屋を出て行く。きっちりと扉が閉まる音に、レジーと二人きりにされた私はまだ首を傾げていた。
世迷いごとって何のこと?
そしてグロウルさんまで出て行くと言うことは、レジーが話しをすることを望んでいるのだろうか。
疑問に思っていたら、寝台に横たわりながらも目は覚ましていたレジーが「グロウルが変なことを言って悪いね」と言い出す。
多少は頬がこけていたけれど、レジーの秀麗さが損なわれてはいなかった。まだ体がしんどいのだろう。顔だけをこちらに向けてたレジーは、いつも通りに微笑んだ。
「それよりも君は大丈夫なのかい、キアラ?」
「うん、私は平気。レジーは気分とかどう?」
「……そうだね。問題ないと思うよ」
私はとりあえず彼の状態を確かめることにした。
寝具の上に出ていた力が入りにくい様子のレジーの左手を握り、彼の中の魔力が問題ない状態かを軽く確認する。……うん、問題なさそうだ。
「大丈夫みたい。よかった」
やっぱり確認してみないと、自分のやり方で良かったかどうかがわからないので、とても安心した。
ほっとして手を離そうとしたのだが、レジーが握り返して引き止める。
「でも、こうして私を生かすために、君も相当危険な橋を渡ったと聞いたよ。もし二度目があっても、今度は私を助けようとしちゃいけないからね」
優しい表情と声でレジーが言う。
「それは無理だよ……。レジーは私の恩人だし、それにみんなの旗印じゃない」
ルアインに侵略されつつある国を取り戻す、その総大将はレジーだ。レジーが居なくなっては士気に関わるし、他の貴族達がすんなりと協力する気になってくれるか怪しい。だからアランが主人公だったゲームでは、戦力を建て直し、集めるまでに時間がかかったのだろう。ゲームの出発時、既に王都は陥落していたのだから。
「確かにこのままでは、エヴラールは近い将来に再度攻撃されて蹂躙されかねない。でもそれを打ち払う旗印が私である必要はない」
「え、何を言って……」
「君はわかっているはずだ。……君が知っている物語では、私は存在していなかったんだから」
私は息を飲む。
物語。レジーは確かにそう言った。
けれど私はレジーに、ゲームの話などしていない。レジー達が死んでしまうかもしれない夢を見たと話しただけだ。なのに。
「……ウェントワースから聞いたよ。君が生まれ変わる前、別な人間として生きていた頃の記憶を持っているって。夢で曖昧に出来事を予知したわけじゃなくて、そういう筋書きの未来があり得ると分かっていたんだってこと。その場合はルアインと戦うのがアランだということもね。だったら……私が居なくても、国は守られるんだろう?」
私は返事ができなかった。
レジーの言うことは本当だったからこそ。
旗印になるのはレジーじゃなくてもいいのだ。多少苦労することになるけれども、アランも王位継承権を持っているから。彼がゲームの時のように先頭に立てばいいだけだ。
でも生きているのに。なんでそんなことを言うの? と言いたかったけれど、あまりのことに言葉が出てこない。
それでも私の言いたいことが顔に出ていたのが、レジーが続ける。
「自棄になっているわけじゃないよ。むしろ私は少し……ほっとしているんだ。もう走らなくてもいいと、言われたみたいで」
彼の落ち着いた表情は変わらない。でもその穏やかさが、私の心を波立たせる。もう走らないと決めてしまった人のようで、怖くて相槌も打てない。
「小さい頃から……私にとって死は近しいものだった」
けれどレジーは黙っていてはくれない。
「最初は本能的に死にたくないと思っていた。だから母を見捨てた祖父を上辺だけをでも好きなフリをした。王位に関心のない子供らしい行動をした。何も気付いていないフリをしながら全てをかいくぐって。けれど本当は面倒で、終わってしまえばいいと思った時に……君と会った」
「アランを教会学校に迎えに来た……時?」
従者のフリをして、アランを迎えに来た一行に混ざっていたレジー。
「鬱屈していることは察していたんだろうね。ベアトリス伯母様が私の気晴らしになるならとアランの迎えに同行させてくれたけど、よもや私が出奔のために、道々の様子を観察する機会を求めてついて行ったなんて思わなかっただろうね」
「出奔って……王子がそんなことできるわけないじゃない」
私でも世間知らずで、一人で生きていこうとするのは厳しいだろうと思い、レジーの提案を受けてアランのところで雇われることを選んだのだ。それ以上に浮世離れしたレジーが、そんな真似ができるだろうか。
「生活のことなんて考えていなかったよ。王宮を一人で出て行けば、誰かが必ず私を殺しに来るだろうから」
「それじゃ自殺……」
つぶやいた私に、レジーが「そうだよ」と肯定する。
「終わりになるなら、それでも良かった。だから君が逃げようとして忍び込んだのを見た時に、まるで自分がしたいことを代わりにやっているように思えたんだ」
だから、最初からレジーは親切だったのだ。
見ず知らずの私に、アランやカインさんだって最初は難色を示していたのに、レジーだけはあんなにも受け入れてくれたのは、自分ができないことを私がやろうとしていたから。
「私と違って非力で、何もできない上、薬を盛られたと知っても、普通の女の子みたいにそこで泣き出さない。とにかく生きるために前に進もうとしてて……。君を見てたら、私もようやく自分が、そうやってあがくのに疲れていたことに気付いた」
だから私を救ってみようかと思った、とレジーは言った。救われた人を見たら、自分も助かりたいと思うようにだろうかと。
そこでレジーは、私から視線をそらした。
「君みたいに、私も誰かのために生きたら、少しは苦しくなくなるのかと思った。でも君は、大人しく守らせてくれさえしない。私はどうしたらいいのかと迷ったよ。君を閉じ込めたらいいのかとね。飛べなくする方法はいくらでも思い浮かぶんだ。ちょっと実行しようと思ったこともある」
……なんかすごい怖い言葉が聞こえたけど、確かに言われたことはある。本気で私を閉じ込めるつもりだったのか……。冗談かと思ってた。
「でも、レジーは実行しなかったよね」
魔術師になった私が戦に参加すると決めても、レジーは妨害したりはしなかった。
「最終的に君の人生を決めるのは君自身だ」
レジーは迷うことなく答えた。
「ずっと他人の決定で人生を左右されてきたのは、君も私も同じだ。自分で選ぶことを決めて逃げた君に、それ以上決定権を奪うことはしたくない」
だから、と続ける。
「助けられないことも、私の選択だよ。だからキアラ、君はそれを尊重すべきだ」
「そんな……」
助けちゃいけないだなんて。
自分が助かるため、レジーや辺境伯を助けるために魔術師を目指して、今は殺すのが怖くても戦おうと心に決めたのに。理由が欠けたら……どうしたらいいのかわからなくなりそうで、足下が見えなくなるような暗闇に放り込まれた気分になる。
「私が居た方が良いのならと思って、軍を率いることを承知したけれど。……いなくても大丈夫なら、私を優先するよりは君の身の安全を優先することの方が、アラン達の勝利には重要だろうし」
「必要ないなんてことはないでしょう!」
私は思わずレジーに向かって身を乗り出し、寝台の上に手をついた。
「みんなレジーに死んで欲しくないはずだよ! どうしてそんなこと言うの!?」
「そうだね……君やアラン達はそう言ってくれると思った。でも実際、私が生き残るよりは、君が生き残った方が沢山の味方が死なずに済む。そして君が死ねば、私の死ぬ確率も格段に上がるだろうね」
自分の死と引き換えに、味方を殺すつもりか。
暗にそう言われたことを察して、私は心が凍り付くような思いがした。
もう殺したくない。殺させたくない。そんな葛藤を、自分ができる限り埋葬して、せめて敵を尊重することで区切りをつけようとした。けれど味方は、それだけでは思いきれない。
悩む私を追い込むように、レジーが告げた。
「それでもうなずけないのなら、王子として君に命じるしかない。仕える魔術師が主を守ろうとすること自体はわかる。ある程度は許そう。けれど戦力としての君は貴重すぎる。私の騎士達にも、万が一の場合には君を優先させる。ウェントワースにも、既に優先順位は伝えてある」
皆、王子の命令には逆らえない。彼らは王子のために尽力しても、キアラが犠牲になる可能性があれば、そこから弾かれてしまう。
私は、レジーを助けることもできないの。
魔術師になったから? でも魔術師にならなければ、私は何もできないのに。
徹底的に拒否されたキアラは、途方に暮れたままうなだれるしかなかった。
「……わかった」
仕方なくそう答えながらも、キアラはどうにかできないか、頭の中でぐるぐると考え続けていた。




