平身低頭で謝罪します
そんな話し合いがもたれていたとは露知らず。
私はぐっすりと眠り続け、日がそこそこ高くなる頃に目を覚ました。
随分と深く眠っていた感覚は身体に残っていたので、固い木の箱の中にいるっていうのに、どうしてこんなにぐっすり眠れたんだろうと思いながらみじろぎする。
意外に自分は眠る場所が気にならない質なのだろうか、とまで考えた。
でもなんだかちゃんと寝台の上に横たわっているみたいだと考えながら目を開けると……私をのぞき込んでいたのは見知らぬ年上の男性でした。
「!! わわっ、ぎゃああああっ! げほげほっ」
驚きに叫んで、そのせいで咳き込んでそのままくの字に身体を丸める。
目に涙が浮くほど咳き込み続けていると、誰かが背中を撫でてくれる。うう、ありがとうございます。でも安心できない。
「あの、すみませ…ごほ…ん」
少しは落ち着いたところで礼を言って、手の主を見上げる。
やっぱりさっきのお兄さんでした。
黒髪の青年は私の様子に動揺した様子もなく、実験結果を見守る人のような目を向けてくる。
一体どうしてなのか。
寝起きでぼんやりしていたせいで、最初はほんとに何も理解できなかった。
けれど一瞬後に、あ、ここ馬車の中じゃないや、と気づき。
次にようやく自分が寝ていたのが寝台で、箱の中じゃなくどこかの部屋だと認識し。
飛び起きると速攻で土下座した。
「ひぃぃぃっ、無断乗車すみませんでしたあああっ!」
黙って乗せてもらったことを許してもらうには、とにかく謝るしかないと思ったのだ。だから平身低頭で私は謝り倒した。
「つい出来心で乗ってしまって、申し訳ないです! 馬車を見た瞬間、私の脳内で女神の笛の音が響いちゃって! あの、すぐにおいとましてもうご迷惑をおかけしませんので! そうだ乗車賃置いていきます! お詫びの気持ちも込めて色つけますんで、これで勘弁してやってください!」
ひどい動揺の中、震える手でポケットの財布から取り出したのが金貨だったので、私はそのままそれを置いて立ち上がろう――としてそのまま前のめりに寝台から落ちた。
「ぎゃあ!」
がたんと結構大きな音を立てて木の床に落ちた私は、痛いのと、心理的ダメージが大きすぎたのとで起き上がれなくなる。
無断乗車の上、居眠りしていたところを発見されて、介抱されたあげくに寝台から落ちるとか、めちゃくちゃ恥ずかしい。今すぐどこかに隠れたい。
しかも青年は笑ってくれもしないのだ。気まずい……。
どうしていいのか分からなくて、落ちて手を突いた態勢のまま動けずにいると、誰かが笑い出した。
「くくっ、あははっ、初めて女の子が寝台から落ちるの見た!」
屈託無く笑う声に、思わず顔を上げる。
今まで部屋の中には無表情な青年しか居なかったのだが、いつの間にか部屋の扉が開いていて、二人の少年が立っていた。
どちらも織りのしっかりとした高級そうな服を着ている。
私が乗った馬車の持ち主だろう、教会学校の黒い制服を着た黒髪の少年は、呆然としている。けれど隣にいた、銀の髪の少年が笑っていた。
首元で結んだ銀の髪は艶やかで、耳にかかる横髪に縁取られた顔も、それに負けないほど色素の薄い肌の色だ。
笑いすぎて涙が浮かんでいる目は深い青で、濃紺のジャケットもその下の詰め襟の白い上着も、非常に質が良さそうだが、衣装の種類としては従者のものだ。裾長のジャケットには手紙等を入れておけるような大きなポケットがあるからだ。
でも彼の衣服が聖者の衣装と錯覚しそうになるのは、やたら綺麗な顔立ちをしているせいだろう。
「て……」
天使がいる。そう口走りそうになって、私は自重した。
私と同じぐらいの年頃の男子だ。天使みたいだと言われて喜ぶかどうかわからない。
けれど目が離せない。
どこか懐かしいその顔から。
ややあって、こちらもどこか見覚えのある黒髪の少年が、銀髪の少年の腕をつついた。
「おいレジー笑いすぎだ」
「ごめんアラン。なんかツボに入っちゃって。……ところで君、大丈夫? 立てる?」
そう言ってレジーという名らしい銀髪の少年が手をさしのべてくれる。
ぼんやりしていた私は、なにげなくその手を借りようと手を伸ばしたが、
「レジー!」
「レジー殿」
2方向から一斉に制止目的の呼びかけが響いて、思わず手の動きを止めた。
そんな、触ったからって噛みつかないよーと考えたものの、二人が警戒する理由に気付いた。
そうだ。私ってば無賃乗車した不審者じゃないか。従者の身でも、どうやら大切にされてるらしい彼が、不用意に不審者と接触するのを他の二人が危惧するのも当然だ。
だから自分で立ち上がろうと思ったのだが、はっしとひっこめかけた手首が握られる。
「問題ないよアラン、ウェントワース。だってこれ、たぶん薬の影響じゃないかな」
引っ張り上げられて自然と立ち上がる形になった私だったが、
「えっ? わわっ」
足の力が入らなくて、その場に座り込んでしまう。
寝過ぎたからといって、足が萎えるものだろうか。自分の状態のおかしさに驚いていると、まだ手を握っているレジーが他の二人に話しかけていた。
「ほらね。逃がさないための薬の影響だと思うよ。慌てたぐらいで、寝台からああまで見事に落ちるのは変だと思ったんだ」
「え? 逃がさないため?」
どうやらレジー達にも寝台から落下する姿を目撃されてしまったようだが、それよりも気になる単語があった。
逃がさないためって、一体誰からなのか。
そのせいで立ち上がれないってことは、薬を使われた?
いつ、どうやって、まさかこの人達のせいなのかと疑心暗鬼になる私に、それまで黙っていた黒髪のアランが教えてくれた。
「お前は馬車の中で眠っているところを発見された」
うんそれは理解できる。うとうとしている所までは記憶にあったから。
「夜中に見つけて荷馬車から引きずり出しても、お前は目覚めなかった。それだけでも異常だが、話しかけても揺すっても起きなかった。とりあえず不審者だからな。持ち物を改めさせてもらった。そうしたらお前の持っていたこの手紙に、薬が塗り込まれていることがわかった」
アランが差し出したのは、養女先のパトリシエール伯爵から送られてきた、結婚宣告の手紙だ。
「え……なんで、手紙に……?」
そこまでする必要があるのかと恐れおののいていると、アランが言う。
「キアラ・パトリシエール嬢。君が手紙に書かれている結婚から逃げ出さないように、眠らされることになっていたんだろう。けれど薬が効くより先に、君は逃げ出した。パトリシエール伯爵は、君が逃げ出しかねないと考えて、先手を打ったのだろう」
「う……」
確かに私は手紙をもらってすぐ逃亡した。
なにせ養女で、肉親の情はない(実家の面々にも肉親の情はないけど)。だから政略結婚が壊れてもかまわないと考えて、すぐさま逃亡を決意したわけだ。
もう14歳になったのだから、がんばれば自分一人でも生きて行けるかもしれないと、そう思って。
しかしまさか、政略結婚のために薬で眠らされて連れ戻される手はずになっていたなんて。……おい、クレディアス子爵って同年配の男から見ても、薬で縛り付けないと結婚したくないと推測できるほどすごい酷い男だったのか。
逃げて良かったと思ったとたん、安堵やら衝撃的すぎやらで、私はがっくりとうなだれてしまう。
なんか、疲れた。
「大丈夫?」
まだ手を握ったままのレジーが、親切にも尋ねてくれる。
「……気絶したいです。けど、そしたらまた面倒をおかけしそうなんで、耐えてます」
人事不省になった人間は、運ぶのも厄介だろう。ただでさえ一度、眠りこけていたのを寝かせてもらったりしてたのだ。これ以上、悪印象を持たれたくない。
だから必死に耐えていたら、またレジーが噴き出す。
本当によく笑う人だなと私は思った。