つかの間と教育的指導
気付けば、石の天井が見えた。
まばたきをしながら、ぽつりぽつりと思い出す。
その直前までどこにいたのか、何をしていたのか。何を見たのか。
「……っ」
呼吸が苦しくなる。
必要だったから戦った。自分にしかできないとわかっていたから、逃げる気はなかった。
だけどやったのは、沢山の人を殺すことばかり。
城はまだ無事だった。ヴェイン辺境伯も助けることができた。敵をある程度倒すこともできたと思う。
でも上手くいった喜びなんて、心の中に見つけられない。必死になる時間が終わって、少し休めると思うだけ。
後は目裏に蘇る、人の死体、死体、死体……。
全部覚悟してやったことだった。最初から、私は戦争に積極的に関わるつもりだったんだから。そのために魔術師になったのだから。
「キアラ、気がついたの?」
優しく声をかけられる。
傍に人がいたのだ。寝返りをうって顔を横に向けると、そこにいたのは同じベアトリス夫人の侍女であるマイヤさんだった。
部屋の中は薄暗くて、小さな卓の上に置かれたろうそくしか光源がない。そのせいだけではないだろうが、マイヤさんは疲れたような顔をしている。いつもは邪魔にならないようきっちりとシニヨンに編んだ、褐色の髪もほつれていた。
「……たし」
私、ここで何時間眠ってしまったんだろう。まだルアインは城を囲んでいた。あれからどうなったのか。
みんなは、まだ無事でいてくれてるのか。
質問したくても、声が枯れてうまく言葉にできない。
するとマイヤさんが私の体を起こしてくれて、傍に置いていた冠水瓶から水を注いで飲ませてくれた。
……手が震えて、一人で飲んだらこぼしそうだったのだ。マイヤさんには手間をかけさせてしまった。
「あれから、どれくらい時間が経ったんでしょう」
「三時間くらいよ。今は夜」
「ルアイン軍は、どうなっ――」
いろいろ聞きだそうとした私から、空のグラスを受け取って卓に置いたマイヤさんが、ぎゅっと抱きしめてくれる。
どうしたんだろう。何か言い難いような悲しいことでもあったのかと慌てる私に、マイヤさんが優しく背中を叩いてくれる。
「大丈夫。全部キアラのおかげよ。ルアインの軍は今、城から少し距離を置いてる」
ああ、自分がしたことはちゃんと役に立ったんだ。ゆるゆると心が緩み始める。けれどそれも次の言葉で凍り付く。
「あなたが敵の将軍を討ち取ったから、指揮系統が混乱してるのよ」
「討ち取った……」
たぶんそれは、私が土人形に踏み潰させた相手。
自分がしようとしていることが怖くて、彼らの顔を見たりはしなかった。騎士に囲まれて、立派な上着を着ている人達がいたから、たぶん彼らさえ倒せば、他の沢山の兵士を手に掛けなくても引いてくれるだろうと。それだけを考えてた。
討ったというからには、たぶん一緒にいたカインさんが見ていてくれたのだろう。確認するのも怖かった私の代わりに。
「おかげで、みんな少し休むことができているわ。ヴェイン様も無事にお戻りになれたし、あなたという魔術師がいることで、敵もおいそれとこちらには攻め込めないはずよ。本当にありがとうキアラ」
もう一度ぎゅっと抱きしめたマイヤさんは、私が起きたことを知らせてくると言って部屋を出ていった。
私はぼんやりとしてしまう。
感謝されるようなことができた。それは喜ばしいことなのに、嬉しいという感情が湧いてこない。
私……うれしくない?
心の中に疑問が浮かぶ。なんで自分が喜ぶこともできないのか、よくわからない。ただ疲れたような気がする。
だからか、扉をノックされても、返事が喉につかえてなかなか出てこなかった。うつむいたまま顔を上げられなかった。
けれども相手は、返事がなくても入室してきた。
黙って歩み寄ってくるのは誰なのか。顔を上げて確認するのもおっくうだった。
その人物がマイヤさんがいた椅子に座ったかと思うと、黙って私を抱きしめた時には、もう無視することはできなかった。
見覚えのある淡い色の軍衣に、覚えているその匂い。
「れ……」
「大丈夫、無理に何か言おうとしなくていい。こうしてるのが、嫌じゃなければ、だけど」
ああでも、とレジーは笑いを含んだ声で続けた。
「嫌だと言っても離さないよ。君は随分とまた無茶をしたみたいだからね。私の寿命を縮ませた分だけ、嫌がらせをしようと思って君が目を覚ますのを待ってたんだから」
レジーはそんなことを言うけれど、嫌がらせでこんなに優しく背中を撫でたりはしない。手の温かさに、背骨の奥まで凝ったものが溶けるような錯覚を起こしてしまうほどなのに。
でもこれに、どこかで覚えがある感覚だと思った。本当に小さかった頃、もしくはずっと昔、前世で母親に甘えていた時のようで、どこか不思議だった。
そのせいか、いつの間にかくったりとレジーに寄りかかってしまっていたら、レジーが私の左手を掬い上げるように掴んだ。
「私はね、君が魔術師になることを選んだのは、どうしようもないと思っているんだ」
独り言のように告げながら、レジーが指先に口づけてくる。
人差し指の先に感じる、柔らかな感触。え、と思って肩が跳ねた。
「私が手配した援軍も早くて明後日の朝の到着だ。ルアインがいざこざで警戒されているはずのサレハルドを、強引に押し切って軍をなだれ込ませたことも読めなかった。すべて……私の読みの足りなさが招いたことだ」
淡々と言葉を並べながら、悔しさを表すように軽く指先を噛まれた。
「……っ!?」
ちりっと甘い痛みに、どうしてそんなことをするのか理解できずに混乱する。
「あの、レジー」
今度は掌の中央に唇が触れた。くすぐったさに息を飲んだ。
ま、待って待って!? これってどういうこと?
私とレジーって友達だよね? でも友達が相手の指をかじったりとか、唇くっつけたりってしないよね!? 男同士でそんなことされたらおかしいってことは、男と女の友人同士でもしないってことで。
その時に思い出したのは、昨日、会議の前に抱きしめあったこと。
わかって欲しい。なんでわかってくれないのかと思って、どうやったらレジーにうなずかせられるかわからなくて――近づきすぎたことを。
私の混乱をよそに、レジーは話を続ける。
「ヴェイン辺境伯を助けたところまではわかるんだ。でも、その後のことは、もう少し君自身を守ろうと考えて欲しいと思ってしまうんだよ。君は私がいることに気付いていた。それなら、辺境伯を助ける手伝いをするよう言えば良かったんだ。なぜ頼ってくれなかったのか……。そんなにも私は、頼りないんだろうね」
レジーが手首の内側にやわらかに口づけた。
「やっ」
背中がぞくりとした。
「嫌……?」
私を覗き込んでくる顔が悲し気で、思わずやめてという言葉を飲みこんでしまう。
「え! 嫌っていうか、怖いっていうか」
「私のことは、嫌いになった?」
「嫌いになんて……なれないよ。たぶん一生」
心の中のどこを探しても、レジーが嫌いという気持ちはないのだ。困惑しているだけ。
もし他の知らない人にされたら、とんでもなく嫌なことだろうに。
「どうして君はそんなことを言ってしまうんだろうね。いっそ嫌われた方が、抱きしめるだけで、大人しくしてくれるようになるのかと思い始めてるところなんだけど」
「なんでそんなに、私に嫌われたいの?」
「無茶をしてほしくないのに、一向に伝わっていないみたいだからね。ウェントワースがついていかなかったら、君は一人でやるつもりだっただろう? そうしたら、君は途中でルアイン軍のただなかに投げ出されて……」
私から身を離したレジーが語る言葉に、思わず想像してしまう。
ありえる話だった。
ウェントワースさんが支えてくれなかったら、走る土人形の肩につかまるのが必死で、途中で魔術を使えなくなってしまっていただろう。そうしたら、沢山の仲間を殺した魔術師がたったひとりでそこに倒れていたら。
千の剣や千の槍で突き刺されるだけで、済むかわからない。
血の気が引く私に、ようやくわかってくれたのかという表情で、レジーが続けた。
「君は自覚が足りなさすぎるように思うんだ。兵士でさえどうなるかわからないのに、女の子が敵地に一人で投げ出されて……しかも私達もすぐには助けられないような場所でだ。そこまで自分の身を粗末にするのをどうやったら止められるか、私も考えたんだ」
確かにレジーの言う通り、無謀な行動だった。
だからお説教が始まるのかもしれないと思ったのだが――。
毛布の上からだけど足を掴んだレジーに、さすがにキアラもぎょっとする。
「え、何!?」
「ここまでへりくだって、君に懇願したらわかってくれるかと思って」
言いながらレジーが足先だけ毛布をよけ、甲側に顔を近づけるように身をかがめようとしてって、ちょっ、まさかそこに!? 手みたいなことする気なの!?
「やっ、だめっ、だめだったら! 王子様がそんなことしちゃマズいでしょ!」
靴をお舐め! みたいなことをどうして王子なレジーがしようとするの!
「けど、普通のお願いじゃ君は聞いてくれないし……」
悲しそうに目を伏せがちにするレジーに、思わず力が抜けそうになったけど、でもだめだから!
「悪かった! ほんとに私が悪かったと思ってますから、そんな真似しちゃわあああああっ!」
足を引っ張られて悲鳴を上げる。しかし未遂のまま顔を上げたレジーは、けろっとした表情で指摘してくる。
「暴れると毛布、めくれて脚がみえちゃうよ?」
「レジーが放してくれたら問題解決よっ!」
必死になって叫べば、レジーがくすくすと笑い出す。
「じゃあこう言ってくれたらやめてあげるよ。『今度はちゃんと手伝ってもらうから』って」
「わ、わかった。今度はちゃんと手伝ってって言う……」
ようやく足から手を離してもらえて、肩で息をつきながらレジーの言う通りにした。
たぶんかなり怒ってたんだろうけど、レジーの教育的指導が……すごい怖い。
さすがの私も、逆らうまいという気持ちにさせられたのだった。




