不審者をみつけました
エヴラール辺境伯家の一行は、教会学校を出発して五時間後に小さな町へ到着した。
手配していた宿も小さなもので、煉瓦造りであることだけが利点としか思えない民家を改造したような建物だった。子息であるアランにあてがわれた部屋も、手を広げて二歩歩いたらすぐに手が壁につくような狭さだ。
食事も加工肉を焼いたものと野菜が入ったスープに固めのパンという簡素さ。
それでも問題ないと辺境伯家の一行が思えるのは、騎士の家系で、質実剛健を旨としてきたからだろう。
アランも幼い頃から戦場を想定した粗食や野営訓練に慣らされているので、文句は言わない。随伴者達も当然のように食事を変えるべきかとアランに問うことはなかった。
食事後、アランは同じような年頃の従者と一緒に、宿の外を歩いていた。
久しぶりに再会した者同士、話し合いたいことはいくらでもあったのだ。
護衛を一人連れた状態で、二人は仲よさそうに会話をしながら先へ進む。
しかし彼らの会話の内容を聞く者がいれば、奇妙なものだとわかっただろう。
「正直、大人しく馬車に乗ってるのは息が詰まるな」
「私もだよ。多少足が辛くなっても、馬を駆けさせた方が気分はいい」
「かといって、馬車以外に乗るわけにもいかないし」
「君はウェントワースの後ろにでも乗せてもらえばいいよ」
「嘘だろ。十五歳にもなって男と二人乗りとかありえないって」
「馬が足りない以上、それしかないだろう?」
嫌そうな表情になるアランと、くすくすと笑う従者の少年。まるで対等の関係にしか思えないような会話だ。
しばらく軽口をたたきながら歩いていた二人だったが、馬車を停めた厩の近くで、従者の少年が足を止めた。
「……どうかしたのか? レジー」
「アラン、耳を澄ませてみて」
レジーと呼ばれた従者が青い瞳を閉じる様子に促され、アランも口を閉ざして耳に集中する。やがてアランの耳にも、レジ―が何を聞き取ったのかわかった。
「…ソーセージ……クリーム……もう食べらんない」
かすかに聞こえる声。
その発生源は、厩の横にある車宿の馬車の中だ。今、そこに馬車を停めているのはアラン達一行しかいない。
アランは表情をこわばらせる。
漏れ聞こえる声は女の子のものだが、でも油断はできない。なにせ辺境伯家の馬車に潜り込んでいるような人間だ。暗殺目的か、物盗りかもしれない。
「眠り込んでの寝言か? 物盗りや暗殺者なら、今のうちに引きずり出さないと」
護衛を呼ぶアランとは違い、レジーの方は首をかしげる。
「でもさ、暗殺や物盗りしようなんて人が、馬車に乗ったまま居眠りする? 護衛だって宿の人間だっているんだから、悠長に寝てたらすぐ見つかるのに」
「レジーは暢気だなぁ」
呆れるアランだったが、レジーも寝言らしきつぶやきの主を調べることには賛成のようだ。
背後から近づいてきた護衛に、アランが命じる。
「誰か馬車の中にいるみたいだ」
「お調べしますので、離れていて下さい」
上背の高い騎士は表情を変えずに、隠れてついてきていた他の騎士を手招きしてアラン達の側につけ、車宿へと入っていく。
声の発生源を確かめると、人が潜んでいるのはアラン達が乗車していた方ではなく、荷物を積んだ幌馬車の方だったようだ。
馬車に乗り込んだ騎士が、大柄なせいで奥に入れないのか、箱をいくらかどかそうとしている。
「待ってウェントワース」
それを見ていたレジーが、するりとそちらへ駆けて行った。
「おい、レジー!」
大声で呼ぶわけにもいかず、小声で引き留めようとしたアランだったが、その間にレジーは馬車の前側から荷台に乗り込んでしまった。
後部にいた騎士ウェントワースも、急いで止めようとやってきたが時既に遅し。呆然としている間に、レジーが再び前側の幌をかき分けて顔を出したので、全員がほっと息をついた。
「おい、レジー。勝手なことすんなよ。立場考えろよバカ」
「大丈夫だよ。……ほら」
そう言って幌を脱けだしたレジーが抱えていたのは、見覚えのある黒の制服を着た、茶色の髪の少女だった。自分達よりも年下のように見える。
「中で寝てたよ」
レジーはにっこりと微笑んで言う。
「しかもアランがいた学校の制服着てるってことは、身元も確かなんじゃない?」
特に危険はなさそうだと言うレジーに、アランはそれでもむっつりとした表情で注意する。
「制服なんて誰かの物を拝借して着ることだってできるだろ。……まぁ、確かに平民の女には見えないけど。しかし抱えられても熟睡してるってどういう神経してんだ……」
「箱から引き上げても、全然起きないんだよね」
異常だった。
普通、熟睡していても抱き上げられるようなことになれば、幼子でもなければ起きるはずだ。
「レジー様、その少女の身柄をお預け下さい。調べる必要があります」
騎士ウェントワースに言われて、レジーも腕の中の少女を差し出す。
ウェントワースは少女を抱えたまま、宿の部屋に戻る。アラン達もついて行った。
宿の一室に入ると、寝台に少女を横たわらせる。
それでもまだ目覚めない彼女は、室内の明かりの中で見ると益々貴族令嬢にしか見えなかった。
少し乱れていても、毎日梳られていたのがわかる艶やかな淡い色合いの茶の髪。日に晒されすぎていない白い肌。水仕事の痕などない手や指。脱がせたブーツも、誰かのを借りたものではないようだ。ぴったりと彼女の足に合っているので、彼女のために仕立てさせた代物だろう。
さすがにウェントワースも、貴族令嬢がたまたま潜り込んだという線が濃厚になったと考えたようだ。
「本当に身元が確かな人物でしたら、アラン様から謝罪をお願いいたします」
そう言いながら、衣服のポケットの中を改める。
ポケットに入っていたのは、柔らかな木綿のハンカチ。そして財布。財布の中身もそこそこあり、平民の疑いはますます遠ざかる。
そして白い便せんを上着の隠しから見つけた。
「手紙?」
「やはり学校の生徒だったようですね。ご覧下さい」
ウェントワースがアランに手紙を差し出す。受け取り、短い文面が書かれた手紙を、のぞき込んできたレジーと一緒に読んだ。
送り主は、パトリシエール伯爵。彼女は娘らしい。
それにしては乱暴というか、使用人に命じるかのような内容で、しかも結婚相手が決まったこと。学業を切り上げ急ぎ婚儀を上げるので、迎えを寄越すというものだった。
「しかもクレディアス子爵か……」
「さすがに気の毒だね」
親子ほどの年の差だけならまだしも、好色で妾を何人も家に囲っているという噂は、アラン達でも知っていた。しかも見たところ彼女はアラン達よりも年下だ。状況を考えると悲惨と言っていいだろう。
ということは、手紙の宛先であるキアラという名のこの少女は、結婚を嫌がって逃げてきたのだろうか。
それにしても彼女はまだ目覚めなかった。
着衣を探られたのだから、驚いて飛び起きてもおかしくないのに。疑問に首をひねるアランの横で、レジーがすん、と何かを嗅いで言った。
「ああ、これが原因だよアラン」
「何が?」
「手紙。便せんに眠り薬が塗られてる」
「は!?」
アランは思わず手紙を取り落としそうになった。それを人差し指と中指で、ふわりと挟んでレジーが取り上げた。
「匂いがするから、中身を読んでいるうちに吸い込んで効果が出るようになっているんじゃないかな。時間が経ってるからもう効力は薄まってるみたいだけど、封筒から出した瞬間ならまだ拡散しきってないし、この子はかなりの量を吸い込んでると思うよ」
そうしてレジーが、じっと真剣な表情でキアラという少女を見下ろす。
「伯爵は、眠らせて逃げられないようにした上で、彼女を連れて行く気だったんだろうな」
「……自分の娘にしては、扱いがひどくないか?」
アランも自分の表情が渋いものになるのを感じた。
無理矢理政略結婚させるため、睡眠薬までも使うというのはどういうことだろうか。
いつもは無表情なウェントワースも、気の毒そうな目を彼女に向けていた。
「嫌がるのは織り込み済みで、目が覚めたら既成事実後……にでもして、結婚から逃げられないようにするつもりだったんだろうな」
レジーは彼女に起こるはずだった出来事をさらりと推測する。
「なんにせよ、私達を狙う暗殺者などではないようだね」
変更:侍従→従者