エヴラール辺境伯領攻城戦 3
元が土なので、固くても岩のように痛いわけではない。
そんな土人形の肩に上がると、
「うわ、眺め良すぎ……」
私は思わず顔をしかめてしまった。
丘陵を埋め尽くすおびただしい人の数に、威圧を感じる。集団を見なれない私でも、だいたい数に予想がついた。絶対万はいる。カインさんやアランの予想した通りだ。
圧倒的な数としか言えない。これは、不意を突かれたらもう逃げる以外の選択肢がなくても仕方がない。備えをしたつもりの今でも、籠城するのがやっとだったゲームの状況を笑えないのだ。
すぐに全てをひっくりかえせるとは思えない。けれど、できるだけのことはする。
見回した後、私は抱き上げてくれていたカインさんに礼を言って、土人形の肩に下ろしてもらう。
少し休ませてもらえたおかげで、立つのに支障はない。
でもそのままでは土人形が動いた瞬間に滑り落ちるのが分かっているので、肩に少し埋まるような形で、矢間みたいな囲みをそなえたくぼみをつくって、そこにカインさんと二人で入った。
ややあって土人形に矢が射られ始めた。
巨大土人形の動きを警戒しているルアイン軍が、肩によじのぼったことで私が術師だとわかったのだろう。けれど矢は届かない……柵に届きそうなのもあって、ちょっとびびったけれど。
実はそこだけ少し不安だった。
弓ってけっこう遠くまで届く。高い木ぐらいの土人形の肩に乗っている状態では、いい的になりそうだったからだ。でもこれでなんとかなりそうだ。
視線を転じて、城への距離を測る。
土人形を走らせて20歩ほどだ。近くて良かった……と思ったたところで、城壁上の矢間にいる人影に目が吸い寄せられる。
青いマントを羽織った兵士だと思った。けれどマントの長さが違う。
姿勢の良さに目を引かれたのかと思ったら違う。淡い色の軍衣を着た姿に、私は悲鳴を上げそうになった。
「なんであそこにいるの!? ちょっ、誰か早く引っ込ませて!」
レジーだ。
高所に吹く風に銀の束ねた髪がなびいているのがわかる。
ゲームの映像が脳裏をよぎった。
私は足が震えそうになった。そんな場所にいて矢を射られたらどうするのか。城門を突破されて、真っ先に危険になるのはそこじゃないのか。
「カインさん、どうにか、どうにかして! レジーに矢が当たっちゃう!」
「落ち着いてキアラさん」
思わず隣のカインさんの襟元を掴んで訴えてしまうが、カインさんも真剣な表情をしながらも、私をなだめてくる。
「大丈夫ですよ。あの城壁より高い場所は、主塔だけです。まだ侵入されていない上、この風の方向なら、レジナルド殿下のいる場所に敵の矢は届きません」
「でも……」
同じになってしまったらどうするのか。
思わずレジーを睨んでしまうが、遠くに小さく見える彼が、ふと笑みを浮かべて右手を上げる。
矢間から、何か藁のようなものがばら撒かれ、次いで何かの液体が城壁から降り注ぐ。
「油か?」
カインさんの言葉通りのものだと思ったのか、敵兵もやや距離を取っただけで留まる。油さえかからなければ、火矢を放たれても消えるまで待てばよいのだから。
レジーが手を振りおろすと同時に、城壁から火矢が放たれた。
ほぼまっすぐ下へ向かって射られた矢は、過たずに焚き付けのかわりだろう藁に着火したが。
「……煙が」
巻き起こったのは予想以上の煙だった。しかもやや緑っぽい。
煙はその場に雲をつくるようにもうもうと固まり、少しずつ敵側へと流れていく。
姿勢を低くしながら煙をやり過ごそうとした敵兵だったが、とりまかれたとたんに苦しみ出し、這うように逃げ始める。それを見た他の敵兵が一目散に走り出し、城に近い前線が混乱していった。
「何の煙? 毒? そんなの城に……あ」
私はようやくその意図を察した。予定変更だ。唾を飲みこんで、私は下のアランに手を振る。
「まっすぐ進んで! 城の門へ飛び込むつもりで!」
声は届いただろう、うなずくのが見える。ややあってアラン達が固まって走り出した。
「行きますよ、掴まってて下さいカインさん!」
気合いを入れ、アランに先行するように土人形を走らせた。予定よりも短い10歩。
――そこですぐに90度反転した。
土人形も城へ駆け込む騎士と共に動くと思ったのだろう、進路を避けたと思ったルアインの兵士達の上を進む。
「……っ」
私は唇を引き結ぶ。
きっと沢山の人が踏み潰されてるはずだ。だけどひるんじゃいけない。考えちゃいけない。
土の柵にしがみつきながら、土人形を動かすことに集中した。
それにあまり上半身を動かさないよう土人形を進ませているが、どうしても上下に揺れてしまう。なのでどこかにしがみつかないと、ぽんと放り出されそうになるのだ。
「おっと」
最初は慣れずに困惑していたカインさんも、すぐに順応して私の腕を掴んでいてくれる。本当に細かなところにも配慮してくれて、有り難い。無事に帰ったら、感謝を評して土下座しよう。
地上は土人形の方向転換に混乱しているようだ。
単体でルアイン軍の中に突っ込んで来る巨大な土の塊が、恐ろしくない人がいるわけがない。踏み潰されないよう進路上から逃げ出す者達と、矢を射ろと指示する者とで、全てがごちゃまぜになっていた。
一方のアラン達は、真っ直ぐに城を目指す。
アラン達の目的は、ヴェイン辺境伯達を逃がすことだ。辺境伯達は出陣後にルアイン軍と遭遇して、かなり長い時間戦っていたはずだ。
出発時は千もいない兵力だったが、途中で他と合流出来た上で減ったのかはわからないが、間違いなく半数以下に減らされるほどの、熾烈な戦いを強いられていたのだ。疲労と共に、絶望的な状況では心も折れそうになっていただろう。
疲弊しきった辺境伯達では、自ら血路を開いて城へ飛び込むことなど不可能だ。
だからこの作戦が必要になる。
まずはエヴラール城へ向けて巨人も突撃するとみせかける。そうして道を作ったところを、アラン達とヴェイン辺境伯一行が走り抜けるのだ。
幸い、辺境伯達があまり遠くには離れていなかった上、土人形が脅したことで道は開けている。
その上レジーの起こした煙のおかげで、近くにいた敵兵が城門側へすぐに駆け付けることができなくなっていた。
かなり楽に城門近くまで到達できるだろう。
私はその間に、ルアイン軍に攻撃をしかけるのだ。
カインさんが支えていてくれるおかげで、私は土人形を走らせることだけに集中できた。
何人の人を踏み潰しただろう。何人を蹴り飛ばしてしまっただろう。頭が混乱しそうになりながら、私はようやく目的地を見つける。
十重に騎士達に囲まれた場所。
中心に騎乗する何人かの、きらびやかな勲章をマントに着けた中年の男性達を見つけて、私はそこを目をつぶって、一気に駆け抜けさせた。
一度通り過ぎて、土人形を反転させる。
確認しようかと思った。
自分がちゃんと殺せたかどうか。確認しなければ。
そう思ったら、背筋がぞわりとした。吐き気がこみ上げて、土人形に伝えている魔術がとぎれそうになった。土人形の左腕がもろりと取れ、ただの土くれになって落下する。
次の瞬間、カインさんが自分の胸に押し付けるようにして、私の視界を隠してしまう。
「急いでください。そのまままっすぐこの巨人を進ませて」
「……うっ」
うん、という言葉も出なかった。けれどカインさんの言う通りに土人形の足を動かさせた。
足を止めた土人形が、再び走る。
今度は矢が当たらないようにしっかりと身を伏せて。土人形の柵に掴まり続ける。
そうでなければ、その場に吐いて倒れてしまいそうだった。
カインさんは、そんな私の状態に気付いて、視界を遮ったのだろう。見ればショックを受けて、なんとか保っている土人形が崩れかねない。
「あと10歩です」
言われて、少しは心が落ち着いた私は顔を上げた。
再び走る巨大な土人形から逃げ惑い、前線の軍は崩れている。けれど城門ではまだ競り合いが続いていた。
敵の中にも予想以上に勤勉な騎士達とその配下の兵士がいたようだ。奮起したのかアラン達を押しのけて中に入ろうとしている。
外から辺境伯達を招じ入れるためには門を開かなければならない。それは敵にとって千載一遇のチャンスでもある。特に、こんな巨大な土人形がファルジア側に味方しているならば、なおさらだろう。
それをアラン達が抑え、薄く開いた門から他の者が中へと退避していた。
私はアラン達を手伝うつもりだった。
もう、疲労で上手く頭が回らないけれど、敵を追い払わないと城に入れないことはわかる。
城壁に飛び移ることも考えたが、それだと私が離れたとたんに土人形がくずれる。
城壁近くに土人形分の土嚢を積み上げ、敵に城の中に登りやい山をつくってあげることになる。それは困るので、どうあっても手前で解体しなければならないのだ。
だから土人形に膝をつかせたのだが。
「ひょえええっ!?」
背負い袋の中で大人しくしていた師匠が、悲鳴を上げる。
土人形を動かす加減を間違えて、落下する速度が早すぎたのだ。遊園地のフリーフォール同然の感覚に、カインさんも息をのんでいる。
ジェットコースターが好きではない私も、それがダメ押しになってしまい、とうとう土人形へのコントロールを失ってしまった。
土が崩れた。
もろりと固着していたものが離れたばかりの柔らかい土の上に落ちたおかげで、投げ出されたショックは酷くはなかった。
失敗したのがわかったけれど、ここで後悔している暇はない。
起き上ろうとしたが、腕や足が震えて上手くいかない。けれども私を抱き上げてくれる人がいた。薄くだけ開けられる目で確認できた。一緒にいてくれたカインさんだ。
「しっかりしてください!」
そう言いながらカインさんが走る。
けれど敵も魔術師を倒す好機を逃さない。
カインさんに肩に担がれたかと思うと、鉄が打ち合わされる音に胃が縮む思いをした。
周囲は、私をめがけて走ってくるルアインの兵士達ばかり。
それを庇うように。アランが馬で駆け付けてくれた。馬上からどこで手に入れたのか、槍をふるった。
一気に四人の兵士を薙ぎ払う。
私では決して手が届かない膂力といい、まさに主人公の名に恥じない戦いぶりに見とれそうになる。
その間にカインさんが私を連れて走ってくれる。
けれど行く手もかなり混乱している。
青いマントの味方と黒の敵が入り混じって、けれどその中で私は一人だけ目立ってしまっている。
抱えられている女の子。
それだけで他の屈強な男だらけの兵士の中では嫌でも目につくのだ。抱えて走るカインさんも、息をきらせている。
なのに私も、見捨ててと言えない。
死にたくない。そう思ったから逃げ回ってきた。だからもう、自力ではどうにもできなくなったのに、見切りをつけることができない。
だからカインさんやアランにごめんと謝るしかない。
そんな自分が嫌になりそうで、けれども一つの声が、ぎゅっと閉じていた目を開かせる。
「キアラ!」
ちょうどカインさんが、私を抱え直してくれたところだった。
声と共に、前方の門が大きく開かれて、雪崩れるように兵士達が飛び出してくる。
槍を構えて突進してくる兵士に、アラン配下の騎士達と戦っていた敵兵が次々と葬られた。
そうして吸い込まれるようにアラン達と共に、私は門の中へと移動していた。
閉じられた門に、鉄の柵が下りた。
喧騒が一気に遠ざかり、私は自分が助かったことを知る。
私の意識を保つのは、そこまでが限界だった。
堪え切れずに瞼が閉じる。すっと首の後ろを引かれるように意識が遠のいていく。
ただ、誰かが自分の頬に触れたことだけは感じた。
「君はバカだ……」
カインさんから奪うように抱きしめられる感覚。その腕の力と、匂いに、私はぼんやりと思う。
まだレジーは生きてる。
ほっとしたとたん、でも限界が来ていた私の意識は、そのまま暗転した。




