魔術師の契約
飛ぶ力を保てなくなったのか、ゆるゆると地上へ降りてくる老魔術師の背中に、更に矢が突き刺さる。
「え!?」
何が起こったのか、私はすぐには理解できなかった。
しかも矢は三度飛来する。
老魔術師の頭に刺さりかけたそれをカインさんが弾いたものの、地面に力なく倒れ落ちた老魔術師は、明らかに致命傷を負っていた。
遠くに、駆け去る騎馬が見えた。一騎のみということは、もしかしてこういう事態に備えての監視をつけていたのだろうか。
「口封じかいな……ヒヒッ」
老魔術師もそう考えたのだろう。
カインさんが、すぐさま矢を放った者を五人の騎士に追わせる。
私はどうしたらいいのかわからないまま、老魔術師の傍にひざをついた。
「だ、大丈夫です?」
「大丈夫に見えるかのう?」
オーソドックスな質問に、皮肉で返されてしまう。
老魔術師はくくっと笑った。
「これで……わしの人生も終わりか。まだすべきことがあったというのに……」
つぶやいた老魔術師は、一度目を閉じてから私を見上げた。
「お前、魔術師になりたいと言ったな? 本当に成れるんかいな」
「なれるわ。私は魔術師になれるのを知ってるの」
「ほぅ、なんでじゃ?」
「あるかもしれない未来を一つ、知ってるの。その未来ではエヴラールが王子がやってきたとたんに襲撃されていたし、私は魔術師として土人形を操ってた」
この場にカインさんと老魔術師しかいないので、私はそう告げた。言ったはいいものの、バカにされると思っていた。妄想を未来とはき違えているんだろう、と。しかし老魔術師は違った。
「未来視に、土人形か……ヒヒヒッ。そうか、そういうのもいいかもしれん。夢がある」
私の答えを聞いた老魔術師は、一瞬遠い目をした後でぐっと目を細めて私に問いかけてきた。
「お前さんが、わしの願いを叶えるのに挑戦するなら、弟子として魔術師の契約をしてやっても良い」
え、本当に?
驚くが、死に瀕したこの老魔術師が今更嘘をつくようには思えない。
「願いって、どういうもの?」
「……土人形に命を吹き込むように、わしの魂を土人形の一つに閉じ込められるか試すがいい。失敗しても、このままでは死ぬのだからの。しかし上手くいけばわしはさらに長い時間を魂だけでも生きていける……とにかくまだ死にたくないのだよ。試すのなら、お前さんの要求通りにしてやる。どうせ一端死んだ後、魂になってしまえば師弟間の戒めなんてものも働かないじゃろ。ヒヒヒッ」
ああそうか、と私は納得した。
以前捕まえた時、逃げる時にこの老人は私をじっと観察していた。もしかすると、魔術師になった私に自分の延命に協力させられないかと考えていたのかもしれない。
今も、少しでも現世にとどまる方法があるのならと、私に取引を持ち掛けたくらいなのだから。
しかしこれは好機だ、と私は思った。
この切羽詰まった状況で、他に師になってくれそうな魔術師が居るとは思えない。それに老魔術師が言う通り、死に瀕した彼ならば、妙な制限をつけられることもない。
「いいわ。でも成功は期待しないで」
「キアラさん……」
即決した私を、カインさんが困ったような表情で止めようとする。けれど私は首を横に振る。
「元々の目的が達成できるんだもの。この機を逃せないわ」
「ヒヒッ、思い切りの良い若者はいいもんじゃな。早く契約の石を寄越すがいい……その赤い石じゃ」
老魔術師は、私が持っていたペンダントを指さす。
やはりこれは契約の石だったようだ。
茨姫がこれ以外使ってはいけない、と言ったのは、契約のため? もしかして私の未来を予想していたのだろうか。
ペンダントから石を外すと、地面から持ち上げる力も尽きた老魔術師の手に載せる。老魔術師はぐっと石を掴んだ。
カチッと音がした後で老魔術師が手を開けば、十分の一の欠片と、欠けた石に割れていた。
「本来なら、弟子への負担を考えて大きさの比率は3:7くらいにするのだがな。死にかけの老いぼれにはこれが限界だ。後は己でなんとかせよ……わしに石を飲み込ませたら、お前さんもすぐに飲み込め」
うなずいて、私は老魔術師の手から二つに割れた石を取り上げた。
緊張しているのだろう、指先が震える。
それでもかけらを老魔術師に口に押しこむ。するりと呑み込めたようだ。それから私も、思いきって残りの石を飲みこむ。
口の中に含んだ石は、喉を傷つけることなく、まるで液体になったかのように胃に落ちていく。
そうしながら、食道から肺へ、心臓へ、さらに血管を伝って内臓から自分の全身に何かが広がっていき――。
「…………っ!」
内側から、灼熱の太陽に飲み込まれたような不思議な感覚と痛みが走る。
細胞の一つ一つに、何かが針を刺すようにして侵入してくるような感覚だ。
自分が叫びながら地面を転がっているのを感じるけれど、どこか別な人の出来事のように遠い。
いつまで続くかわからない痛みと熱が、じわじわと身体に染みこんでいく。
染みこんだそこから液体のように崩れては元に戻るような、嫌悪感をもよおす感覚に、私は頭の片隅で悟る。
たぶん魔術師になりそこなった人たちが砂になって崩れるのは、戻らなかったからだろうと感じた。死に際して暴れたりするのは……この痛みを感じ続けていたからではないだろうか。
私の身体も、時折元に戻りにくくなる。
そのたびにどこからか指令を受けたように、攻撃してくる力が押し留められ、その間に体の戻る力が回復する。
たぶんこれが、師によるフォローなのだろう。
やがて内側から熱を発しているように、汗が浮かぶのを感じ……私はハッと目を覚ました。
「キアラさん、キアラさん!?」
いつの間にか、私はカインさんに抱き起こされていた。
真っ青な顔色で私に呼びかけていたカインさんは、しっかりと目を開き、瞬きする私を見て、ほっとした表情になる。心配してくれたようだ。大変申し訳ない。
「無事ですか?」
「……大丈夫です、生きてる……と思います」
なんとか答えた私は、自分の身体を見回し、指先を動かして確認する。
大丈夫。どこも砂になったりはしていない。でも麻酔が切れかかった時のように、自分のものじゃないような、変な感覚がうっすらとある。
まるで体が変質したような――と想像して、背筋がふるえそうになる。
私は魔術師にはなれたと思う。けれど魔術師というのは人間と同じ存在なんだろうか。人じゃない何かに変質したのだとしたら……。
けれど考えたってどうしようもない。
とりあえず体は動かせるので、カインさんに礼を言って起き上がってみる。
動くと違和感も無くなっていって、私の心の中の不安も小さくなっていく。ほっと息を吐いた。
そんなわたしの隣に、まだ老魔術師はいた。
けれど呼吸がとても小さく、今にもとぎれてしまいそうだ。
「……宣言したとおり、魔術師にはなれたようだな? ヒヒッ」
かすれた声で笑う老魔術師に、私はうなずく。
「魔術ってどう使うの?」
次にすべきは、老魔術師との約束を果たすことだ。
「お前さんは……土人形を作れると言っておったな。なら……地面に手を当てて想像するがいい。自分の内にあるのと……同じ力を土から集めて……成形」
老魔術師の言葉は、とぎれとぎれになりつつある。その目もうつろだ。
……さっきの契約で力を使い果たしてしまったのだろう。
言われた通りにしようと思って、座り込んだまま地面に手をついた私は、はたと思い出して尋ねる。
「ところで私の師になる人の名前は?」
名前を聞かないと、魂なんて呼べないんじゃないか。そう思ったのだ。
すると老魔術師は、かすれた声で一言告げた。
「ホレス」
それ以後、老魔術師は瞬きもしなくなる。ややあって、端から少しずつ砂のように崩れ始めた。
……やっぱり魔術師は、亡くなると砂になってしまうようだ。
「キアラさん、魔術師が……」
「うん、急ぐ」
私は目を閉じ、言われた通りに自分の中に感じる『魔術』の力と同じ物を、土の中から感じようとする。
「しかし、もうこうなっては、約束を果たさなくてもいいのでは?」
カインさんが、老魔術師を放っておいてもいいのではないかと言う。たしかにそういう選択肢もある。けれど私はそれをしたくなかった。
「約束はなるべく守りたいんです。だって人生の最後を私のために使ってくれたから」
これでレジー達を私でも守れるようになったのだ。その分の恩は返したい。
私は意識を集中する。初めて尽くしの上、これ以上導いてくれる人もいない。
言われた言葉を思い出して試行錯誤しながら、なんとか土の中全体に、自分の中にある熱と同じものを感じられるようになった。
これを成形して……と考えたところで、ふと『土人形ってどんな形がいいんだろ』と思ってしまった。
普通に考えるなら、ゲームで見たような巨大ゴーレムだ。
けれどホレスという名前の老魔術師が宿ると考えると、さすがに巨大すぎる。でも小さいとなると、なんかレゴみたいなのしか思い浮かばない。
何かこう、両手で持てるぐらいのやつがいいんじゃないかな。
もし会話ができるなら、口とか目とかもいるよね?
そんなことを考慮した末に浮かんだのが、宇宙人顔な土偶で。……そういえばホレス師匠の顔は、どこか宇宙人っぽいよね。ぴったりかもしれない。
いやいやそれは可哀想だから別なものにしようかな、そう思った瞬間に集中が切れてしまい。
「げ……」
目を開くと、そこには土偶ができ上がっていた。
私が抱えやすい大きさの、高さ30センチ未満の小さな土偶だ。
しかも半分ほど砂になっていたホレス老人から、小さな赤い石の粒がいくつか漂ってきて、あれよあれよという間に土偶の中に入り込んでしまう。
その瞬間、カッと土偶の宇宙人みたいな目が光った。
「おお、これがわしの新しい身体か!」
壺の中に顔をつっこんでしゃべったような声が聞こえた。もちろん、目の前で全部砂になりかけた老人と同じ声だ。
えっと……成功はしたけど。これ喜んでいいの?
ちらりと横を見れば、カインさんの頬がひきつっている。やっぱ変だよね?
でも師匠のホレスは器用に土偶の手足を動かしてご満悦の様子だ。
そして初めて魔法に成功した私が考えたことは、ホレス師匠に鏡を見せちゃいけないかもしれない……ということだった。




