何があっても、あなたの敵にならないために 3
「痛……っ!」
息が止まりそうな痛みに、あ、まだ自分は呼吸をしていたのだと気づいた。
「聞こえる? キアラ。少し我慢してね」
そんな私に、少し苦しそうな茨姫の声が聞こえた。
「茨姫……?」
「こうなる前に、何もできなくてごめんなさい。私も、過去に戻る力に限界が来ていたの。だからこの場所で起こるだろうことまでは、見ることができなくて……」
だから茨姫は、王妃の行動について忠告することができなかったと言った。
私は増した痛みに呻く。
「いっ……!」
さっきは感じなかった胸を刺されるような痛み。痛い、苦しい。自然に涙が溢れて、悲鳴を上げてしまう自分の声が聞こえる。
「キアラ!」
レジーの声まで聞こえる。幻聴かと思ったけれど、私の顔を覗き込むレジーが見えた。
「耐えてキアラ。今、茨姫が君を治すと言っているんだ」
「なお、す?」
茨姫がいつ、そんな魔術を使えるようになったの? 私と同じように、土魔術が使えるということ?
「私は二つ目の契約の石を取り入れた時に、ほんの少しだけ土の魔術が扱えるようになったのよ。でもこの魔術で治癒ができることがわかったのは、貴方のおかげだけれど」
茨姫が説明してくれるのを聞きながら、時々襲う痛みにのたうつ。
私が暴れないよう、レジーが抱えてくれている。そんな私にしがみつくようにして、茨姫は魔術を使う。
次第に、もっと周囲のことが見えるようになってくる。
茨姫の側にはカインさんがいて、じっと傷の様子を見ているみたいだった。無事だったらしいことに安心する。
刺し貫かれた肩を押さえるグロウルさんと一緒に、フェリックスさんがいた。もう外の敵兵はいなくなったんだろうか。
そして茨姫。
じっと私の傷らしき場所に手を当てている彼女の様子が、なんだかおかしい。
さら、と何かが茨姫の肩からこぼれた。私に注目している人達は、それに気づいていないけれど、少しずつ増えている。
痛みで目がかすんで、最初はよくわからなかった。でも少し息がつけるようになったところで、私は悟った。
「な……茨ひ……め」
茨姫の髪だ。少しずつ砂になっている。魔力が荒れて抑えきれないの!?
さっきも、とても気になることを言っていた。
茨姫はもう過去には戻る力がないって。
それって魔力が尽きたの? 魔力が扱えないということ? その状態で今まで魔術を使っていたのだとしたら。
「だめ……茨姫」
「黙っていてキアラ。あと少しよ」
でもこのままじゃ、茨姫が死んでしまう。だけど痛みで言葉が上手く出ない。
私が治療したカインさんもフェリックスさんも、こんなひどい痛みに襲われていたんだろうか。
「やだ。茨姫、砂に……」
ようやく言えた言葉に、側にいたレジーがハッとしたように茨姫の変化に気づく。
「茨姫!? 君の方が砂になりかけているじゃないか」
「止めないで! 今止めたらキアラが死ぬわよ。私……この魔術はそもそも上手く扱えないの。すぐに傷口が開いてしまう。まだ時間がかかるわ」
茨姫がぎり、と唇を噛みしめた。でもその髪がどんどんと短くなっていく。
「手が……。もう止めるべきです!」
カインさんが声を上げたことで、茨姫の手まで砂になり始めていることがわかる。
「もう遅いわ。この状況で、私を治せるとしたらキアラだけよ。でもキアラは、私の治癒が終わっても本調子には程遠い状態になるでしょう。なのに私を治そうとしたら、キアラが死ぬわ」
苦し気でも、しっかりとした口調で茨姫が言った。
「なんで……茨姫、だって」
どうしてこんなことをと思った。まだレジーと、親子として会話もしていないのに。
「いいの……死ぬ覚悟はできてたから。私の命をあげる、キアラ」
泣き出しそうな顔で、茨姫は微笑んだ。
「貴方は私の願いを叶えてくれた。ずっとずっと、私は子供を失ってしまう未来しか得られなくて、何度も試しては絶望してたの。貴方にそんな私の気持ちを押し付けて、無理やり記憶を目覚めさせて、辛いことを強いてきたわ。その分を返すだけよ」
「返す必要なんて、ないのに。私だってレジーを助けたかった。茨姫に強いられたことじゃないわ……」
さっきより少し動けるようになった私は、思わず茨姫の腕を掴もうとした。
まだ間に合う。今のうちに手を治して茨姫の魔力を整えたら、死なないはず。
「殿下、死なせたくないのならキアラを止めて。私と彼女が共倒れになるわ」
茨姫に言われたレジーは、ほんの一瞬ためらったような気配があったけれど、すぐに私の腕を押さえた。
「やだ、死なないで。まだ言って無いじゃない! そのまま黙って行くつもりなの、リネーゼ!?」
レジーやカインさん達が、はっと息を飲んだ。
もうこれでわかったはず。茨姫がレジーの母親だったことが。レジーの手の力が緩む。その隙に私はさっきよりも動かせるようになった手を、茨姫に伸ばそうとしたのに。
カインさんが駆け寄って、レジーと一緒に私の手を押さえ直した。
「貴方は、もう一度家族を失うような気持ちを、私に味わわせるつもりですか?」
「カインさん……」
そんなことを言われて、私が嫌だと言えるわけがない。大人しくなった私の目の前で、どんどんと茨姫の腕が砂になっていく。
髪がほとんどショートカットに近い状態になって、右手が使えなくなった茨姫は、左手で私の傷に触れて癒しを続けた。
その左手も崩れて服の袖が力なくぶら下がるようになった時、ようやく茨姫の治療が終わる。
前のめりの姿勢から背筋をのばした茨姫は、ずっと黙っていたレジーに顔を向けて微笑んだ。
「色々なことは、あとでキアラに聞いて。治療してみたけど、初めてだったから上手くいっていないかもしれない。しばらく安静にさせてちょうだい。本人が自分で治せるようになるまで、あまり動かさない方がいいわ」
「茨姫……」
先ほど名前を聞いて、実は母親だったかもしれないとわかったばかりのレジーは、どうしたらいいのかわからないような表情をしていた。
茨姫は事務的なことだけを伝えると、私に視線を向ける。
「貴方がいてくれて良かったキアラ。貴方が……別の世界を知っている人で良かったわ」
すっきりした様子で言った茨姫が、そうしてもう一度レジーに言う。
「前は言えなかったけれど、今度は言えるから私は幸せだわ。もう会えなくなるけど、元気でいて、レジー。私の……唯一の可愛い息子。幸せになって。さよな……」
さようならと、最後まで言えずに茨姫は一気に砂に変わった。
レジーが息を飲んで。でも何も言えなくなる。
カインさん達が顔を伏せた。
私は……あきらめたくなかった。
ようやく手に届いた、茨姫の体だった砂。それに触れて気を失う前にできることをする。
気づいたカインさんが、止めようとした。
「キアラさん、無茶をしてはいけません!」
「大丈夫です。生き返らせることは、できない。だけど他のことなら」
茨姫に譲ってもらった命を、捨てることはしない。でもできる範囲で、もう少しだけ彼女にいて欲しくて。
だって、素直に見送るだなんて私には無理だ。
茨姫はレジーに後で話すと言ったのに、最初から死ぬ気でこの戦いについてきて、私が名前を言わなければ本当にレジーに何も教えずに死ぬつもりだったなんて。
「せめてもう少しだけここにいてもらいたいの。何も言わないも同然のまま、行ってしまわないで欲しいの」
わがままだと思う。茨姫は怒るかもしれない。
「キアラ、でもそんな状態では君が……」
レジーが止めようとするのを遮ったのは、師匠だった。
「いや、それぐらいならやってもいいじゃろ」
師匠は、兵士に抱えられてこちらを見ている。
「どうせあれをするんじゃろうが? お前は魔術師になりたてでも出来たんじゃからな、問題なかろう。確かにあやつはほとんど説明もしておらん。……そこの王子と話す時間も足りなさすぎじゃろ」
私がしようとしていることが何なのか、師匠は察して背中を押してくれた。
「ありがとう師匠」
私は魔術を使った。
そして……。
「ちょっとおおおおおおお!?」
戦いが終わったばかりの王宮の謁見室に、彼女の絶叫が響いたのと同時に、私は意識を失った。




