何があっても、あなたの敵にならないために 1
胃を圧迫されるような感覚と、体の中に何かが入り込んでくるような息苦しさを感じる。
「この日を待っていたわ。これでファルジアを滅ぼせる。王子を殺してしまえば、ファルジアはすぐには国を立て直せない。他国に削り取られるようにして衰退していくでしょう。魔術師がいなくなればもっと簡単に叶うわ……だから、私にその体を寄越しなさい」
王妃の言葉を聞きながら倒れそうになる私を、誰かが支えてくれる。
「キアラ!」
茨姫の焦った声が聞こえた。
「とにかく全員キアラから離れて!」
「どうしてですか!?」
「王妃が憑依魔術を使っているのよ! 死にたいの!?」
抗議する声が聞こえたけれど、私を支えてくれていた人は離れる。
そう、王妃がどういうわけか私のことを操っているんだ。だから魔術が勝手に使われた。
でも憑依ってどうやって? さっきは王妃自身を魔獣に食べさせていた。私はそんなことはしていない……と考えたところで気づく。
血だ。
王妃は血を媒介にして、相手を操れるんだ。
だから、憑依するために魔獣に自分を食べさせた。
死にかけた兵士を魔術師くずれにして利用することができた。
私にも口の中に入り込んだせいで、王妃の魔術の効果が及ぶようになってしまったんだろう。
「キアラ、私と魔力を合わせて」
その時私に触れる人が現れた。茨姫だ。
「私と貴方は、同じ契約の石を使って魔術師になった。だから魔力の質がとても近いはずよ。受け入れて」
茨姫が私の手を握って、そこから魔力を流してくる。胃の裏に貼りついたような不快感が和らいだ。魔力の流れが、自分の意志を反映しやすくなる。
「このまま押し返しすわよ、キアラ」
茨姫に言われて、うなずいた時だった。
魔獣がざらりと砂になって崩れる。次の瞬間には、血の気が引いた感覚とともに、目の前の光景が遠ざかった。
まるで、真っ暗な部屋の中で少し離れたテレビを見ているような感じに。
「邪魔よ!」
そう言いながら、自分が茨姫を振り払ったのは見ていた。突き飛ばされた茨姫に、魔術を使おうとした場面も。
どうにか止めようとしたけれど、深い水の底で動こうとしているみたいに、上手く魔力を扱えない。
茨姫への攻撃は少し遅くできたかもしれない。石槍の攻撃を茨姫は避けることができたし、そんな彼女をカインさんが庇ってくれる。良かった。
けれど魔力の動きはそれだけじゃ止まらなかった。
人の大きさの土人形が作製されて、カインさん達を攻撃し始める。
やめてやめて。
そう叫びたいし、止めたいけれど、何もできない。
魔力がほとんど私の意思に従ってくれなくて、入り込んだ王妃の意識が体を支配してしまっている。
土人形がカインさんを殴り飛ばした。カインさんが仰向けになったまま動かない。
レジーを庇ったグロウルさんも、剣では石の土人形に歯が立たない。逆に錐状に変化した土人形の手に肩を貫かれる。
グロウルさんを庇おうとした兵士達も、次々と振り払われた。
彼らに引くように指示しながら前へ出たレジーが、右腕を切り裂かれる。
あまりの光景に、目を覆いたくなってもできない。
なのに声だけは出る。
「やめて、やめてお願い、私に近づかないで!」
でも声が出る理由はわかっている。王妃が……同情したレジー達が、私を取り戻すために向かってくるのを期待しているからだ。
私の魔術が王妃によって中断させられたせいで、師匠も砂になった土人形の残骸の中でもがいていて、助けてもらうことができない。
魔術を使えるレジーと茨姫が、土人形を足止めしようとするけれど、魔力量と攻撃力の違いで、二人も防御するのでやっとになってしまった。
ルナールも土人形の一体を足止めした後は、戸惑っている。
(絶望して、早く私に体を明け渡しなさい)
みんなの状況に不安で揺れる私の心に、王妃の魂がささやき続けている。
(早く殺すのよ。私から全てを奪うきっかけになった、ファルジア王族の血を絶やしなさい)
べっとりと王妃に貼りつかれるような感覚と共に、王妃の絶望の記憶が伝わってくる。
ファルジアとの昔の戦争……たぶん、カインさんが家族を失った時のものだと思う。
王妃の婚約者が、二番目の兄王子と一緒に出征して行った。
でもそれは全て、ルアインの国王に即位したばかりの王妃の長兄が、周囲から慕われて、自分の地位を脅かす可能性がある二番目の王子を消すためのものだった。
二番目の王子は、ルアイン国王の思惑通り戦場で亡くなった。
婚約者は怪我を負いながらも戻って来た。けれど敗戦の責任を負って、処刑を言い渡されたのだ。
王妃は抗議した。
するとルアイン国王は、王妃自身に選ばせたのだ。
婚約者の命を救う代わりに、ファルジアに人質同然の王妃として嫁ぐかどうかを。
王妃はファルジアに嫁ぐことを選んだ。でもそれはルアイン国王の計画の一つだった。
王妃は前国王の後妻となった王妃の子供で、有力貴族が後ろ盾についていた。ルアイン国王は、それを恐れていた。
だから王妃さえ隣国に送ってしまえば、自分が何か失政を行ったとしても、王妃を女王として即位させようと動く貴族はいなくなり、自分を支持するしかなくなると考えたのだ。
しかも婚約者を処刑しても、騒ぐ人間はいなくなる。
数年後、王妃は噂で婚約者が殺されたことを知り……絶望した。
そしてファルジアを滅ぼすことだけではなく、ルアインをも滅亡させるために、侵略計画を自分のために利用しようと考えたのだ。
王妃が憑依しているから、その記憶が伝わったんだろう。
……もしレジーが処刑を免れられるのだと言われたら、私も同じようなことを考えたかもしれない。だからといって、ファルジアの人達が侵略されて、酷い目にあってもいいわけじゃない。
反感を持ち続ける私に、王妃は別な方向から心を動かそうとした。
(どうせもう、お前は王子に攻撃をした後なのよ? もう手遅れだわ。元々、敵には容赦をするような人ではないと知っているはず)
――きっと貴方を許さないでしょう。
王妃のその言葉に息を飲む。
頭が真っ白になりかけたその時、王妃がさらに心の中に入り込んで支配しようとしてきた。殺せという言葉を、王妃が私の心に刷り込もうとする。
じわじわとそうしたい気持ちにさせられることが苦しい。
でも、それだけはできない。レジーを殺すことだけは選ぶわけにはいかない。自分がいなくなっても、レジーには生きていてほしいから。
茨姫から伝えられた、私の一度目の転生の記憶でも、私はただ彼に生きていて欲しくて。だからいなくなったことで自暴自棄になってしまったのだ。
「王妃を……どうにか……」
倒さなくてはならない。でもこのままじゃだめだ。魔術で妨害されてしまって、茨姫達も私に近づけないでいる。




