閑話~戻れないけれど~
王都に戻りたくなかった。
今更戻ってもどうしようもないからだ。
もう、魔術を使うことを強制されることはない……クレディアス子爵が死んだから。けれど家に戻ってどうするというのか。
実家の両親は、王都へルアイン軍がやってきた混乱の中、どうなったのかわからない。生きていたとしても、協力者として王子達に断罪されるだろう。
そもそも、エイダの実家の内情は、火の車寸前だったようだ。エイダが嫁いだ後でクレディアス子爵に何度か金銭協力を求めた上、最後にはその対価として、王領地の鉱山についての書類の改ざんに手を貸したとも聞いた。
どちらにせよ実家は頼れない。頼ったって、王子達の追及は逃れられないだろう。
エイダは、貴族を一人殺してしまっている。ファルジアの兵もかなり殺した。
王子の騎士フェリックスも殺しかけた……生きていたようだったけれど。
投降したら、間違いなく牢獄に入れられるだろう。もしくは、魔術を恐れてすぐに殺される。
せっかく自由になっても、閉じ込められるのは嫌だ。怖い。
だから死ななくてもいい、守ってもらえることに甘えて、ここシェスティナまで流されてきたのだ。
言われるままに馬車に乗り、船に乗り、やってきたシェスティナ侯爵領の城下町は荒れていた。
ただでさえ万単位の兵士という、余分な人数が流入している上、そのほとんどが他国の兵だ。元の住民を下に見て、横柄な態度で町を歩いていた。
窮状を訴えたくとも、シェスティナ侯爵は殺害された後で、今ここを治めているのはルアイン貴族。聞き届けてくれるわけがない。
逃げる場所を思いつけない人間は、暗い表情をしながら耐え忍ぶしかないのだろう。
それ以上に、町により暗い印象を与えるものがあった。
町の住人も目をそらすのは、胴と手を縄で縛られてルアイン兵に牽引されている人の列だ。
あまりにむごいとから見ないようにしているのか、もしくは自分もそうなりかねないと思うからこそ、恐怖で見ていられないのか。
何十、何百という人が、縄で縛られたまま歩かされている。
一応靴は与えられていたものの、刷り切れて古ぼけたものばかり。風が涼しすぎる季節だから配慮はしているのか、ぼろ布のような毛布を体に巻き付けさせていた。髪はいつ洗ったのかわからないほど土埃にまみれてばさばさだ。無精ひげを伸ばしたままの男か、まだ髭も伸びないような少年が多い。
どこから連れてきたのかわからないが、奴隷だろう。ルアインにはまだその風習があるという。
男ばかりなのは、奴隷兵にするつもりなのだろうか、とエイダは思う。するとエイダが知る限りの情報以上に、兵数が増えることになる。
キアラは勝てるだろうか。……そんな考えが心に浮かんだ。
クレディアス子爵という弊害は取り払った。でも魔術師くずれがいれば、そちらに対応せざるをえなくなる。キアラと、ファルジアにいた魔獣がそれにかかりきりになれば、戦場は普通に数のぶつかり合いになるだろう。
通常の戦は消耗戦だ。
乱戦になれば、王子だって、フェリックスだって、無事でいられるかどうか。
思考の中に沈んでいたせいで立ち止まってしまっていたのだろう、エイダを連れてきた騎士が促してきた。
「魔術師殿。お早く」
一人で泊まる場所すら探したことがなかったエイダは、その指示に従うしかなかった。
シェスティナ侯爵の城は、優美さを追及したものだ。中は戦で一度はあちこちを破壊されたり火を放たれたりしたけれど、おおよそ綺麗に片付けられていた。
そんな城の一室。
遠く町の向こうに広がる大地を望める部屋に、パトリシエール伯爵がいた。
王宮で見たのと同じ裾長の上着とベストに短靴という衣服からすと、伯爵は戦場に出るつもりがないように見える。全軍での戦いとなると、別だろうが。
エイダをここまで連れてきた騎士が、エイルレーンでの戦いについて説明していた。
聞き終わったパトリシエール伯爵は、小さく嘆息した。
「クレディアスが……そうか。あれも始末に困る男ではあったからな」
けれどつぶやいたのは、それだけだ。
エイダは内心で首をかしげた。普通なら、大幅に戦力が減ることを嘆くだろうに。
もしくはそれなりの年数、あの子爵とパトリシエール伯爵は交流があったのだから、他の感慨を抱いてもおかしくないと思うのだが。
ぼんやりと考えていたエイダは、自分の名前を呼ばれてはっと顔を上げる。
「お前はどうするのだ、エイダ。すべきことを思いつかぬから戦うのか? 人に紛れて逃げなかったのは、逃げる術が重思いつかなかったからか……」
エイダは、予想外なことを聞かされて驚く。まるで、やることがないのだから逃げても良かったのに、と言いたげだ。
「戦わなくても……いいと?」
思わず尋ねてしまったエイダに、パトリシエール伯爵が鼻で笑う。
「魔術師は自分の意志がなければ魔術が使えんだろう。押さえつける術を持たない私達が、どうこうできるわけもない。脅せる材料になる親族も、既に亡いしな」
「え……まさか両親は」
「お前も予想はしていただろう? ルアイン兵に『娘は魔術師だ』と喧伝してこちらの動きの邪魔をしたのでな、こちらの動きの邪魔になるからと始末させてもらった」
思いがけず、エイダは両親の行く末を知った。
一応パトリシエール伯爵達は、脅す材料としてエイダの両親のことは気に留めていたようだ。けれどエイダを戦場の駒として使いたいけれど、両親にまで甘い汁を吸わせる気がなかったので、邪魔になって排除したのだろう。
エイダの心の中には、驚き以上のものが湧き出て来なかった。
全く優しくされなかったわけではない。エイダのためにと心を砕いてくれた思い出だってあった。けれどそんな思い出もなにもかも、政略の道具にもならないと罵倒され、あんな子爵に汚されるだなんてと罵られたあげく、家とは縁が切れたと思えと言い渡された記憶に押しつぶされてしまっていた。
その果てに、縁を切ったはずの娘の名前を出してのし上がろうとしたことを耳にしたせいだろうか。よけいに悲しいという気持ちが湧いてこない。
ただ、愛情よりも利益や自分達のことが大事だったのだなと、そう感じるばかりだ。
「だから既に、お前のことを探し出そうとする者はいない。どこか地方に潜伏でもすれば、ファルジアの王子達が躍起になって探そうとでもしない限り、捕まらずに生きていけるだろう」
だから行けとでもいうように、パトリシエール伯爵は手を振ってみせた。
呆然とするしかない。
エイダはここへ来たら、作戦を伝えられて戦うように説得されるものだと思っていた。それを受けて、エイダは戦うかどうかを悩み……。苦悩することで、自分が何も選ばずにいられる状況を引きのばしたかったのだと気づかされた。
でも、普通ならエイダに懇願してでも参戦させるはずだ。
キアラという魔術師の強さと、サレハルドの合流、魔獣を従えた傭兵。さらにはエイダは見なかったけれど、レジナルド王子まで魔術的なものを使っていたという。
とても普通の軍では太刀打ちできないはずだ。ここでかなりの損害を与えて、後の戦いで劣勢を覆す策があるのだろうか。
それでも、シェスティナで負けることがあれば、総大将となっている伯爵は、破滅するかもしれない。なのに、戦うことを止めないのはどうしてだろう。
「負けない策があるのですか?」
問いが口をついて出る。
「ないわけではないがな。……そうか、お前は確実に私達が負けると考えているのだな」
パトリシエール伯爵はそう言って小さく笑った。
「理由など、お前にはわからんでいい。ただマリアンネ様が夢を叶えて下さったのだ。最後までお伴するのみ……お前なら理解できるのではないか?」
言われたエイダは悟った。
この人は……マリアンネ王妃以外は、何も欲しくないのだということを。




