閑話~貴方にしてあげられること~
――その時、きっとキアラの手が必要になるだろうと感じたのだ。
キアラが前世の知識を使って探し出したもの。それは小さな装飾品が二つだった。
あの子供の姿をした魔女に関わるものだというから、装飾品であることは特に疑問を思わなかったのだが、指輪にとてつもなく問題があった。
キアラから渡されたものを見たカインは、目を見開いた。
指輪の裏に掘られていた紋章。
それを目にした瞬間に思い出したのは、初めてレジナルドに出会った時のことだ。
顔にあまり感情が浮かばない子供だったレジナルド。
それが少しずつ、アランやカインと駆け回るようになってから、ベアトリス夫人に手をかけられるようになってからは少しずつ和らいで行ったように見えた。多少の違和感はあっても、自分が最初の印象を引きずっているせいだろうと。
けれど、ある時ベアトリス夫人に言われたのだ。
『あの子は感情を押しこめて、表情を繕うことばかり上手くなってしまったのね。王子としてはその方が生きやすいのかもしれないけれど……』
それを聞いて、カインはレジナルドへの違和感の正体に気づいたのだ。
レジナルドは満たされたわけではない。満たされている人のふりをしているだけ。
全ては無邪気に自分を仲間と認識したアランのため、両親がいない彼のために心を砕くエヴラール辺境伯夫妻のためだ。
その後王宮へアランについて行った時に、カインは確信せざるをえなかった。
王宮にいるレジナルドは、子供らしくない微笑みで全てを判断していく。侍女のメイベルには気を許していたけれど、やんわりと感情を隠しながら自分が遠ざけたい者を命じていった。
祖父である先代国王の前や叔父の前では、逆に大人しい子供を演じながら、冷めた眼差しをしていた。
それらを見て、カインは感じたのだ。
レジナルド王子は、心から頼れる相手がいないことを良くわかっていて、諦めてしまっているのだと。
諦める、ということは、頼っていた人物がいたのだ。それはほとんど記憶がないだろう父よりも、あまり会わせてもらえないながらも、間違いなくレジナルドを一番に考えていただろう、母親だろう。
レジナルドの身を守るために、祖父の元に置くしかなかった先代王妃リネーゼ。
カインは彼女のことについて、レジナルドの口からささやかな思い出について聞いたことがある。優しかったこと。とても彼のことを心配していたこと。
そして王妃に与えられる紋章のことも。
王妃が失踪した時の、不可解な状況についてはカインも知っていた。
エヴラール辺境伯夫妻も探したかったようだが、状況が許さず、どうにもできないまま月日が経ち。調べた時には何の手掛もなくなっていたという。
でも、手掛かりがなくてもおかしくはなかった。
パトリシエール伯爵とクレディアス子爵が出入りしていた場所で見つかったのだから。
王家が生贄を捧げていた事実を知った今となっては、王妃リネーゼが先代王の手で闇に葬られたのだろうことは推測できた。魔術師にされそうになったのなら、砂になって遺体も残っていないのだろう。
まだそのことを知らないキアラを連れて、急いでレジナルドに知らせようとした。
寂しくても、王子として生きて行くにはそうしなければならないのだろうと思ったカインは、せめてエヴラールにいる時だけはと、アランと悪さをすることを目こぼしするぐらいのことしかできずにいた。
けれど自分が気づいたから。
家族を失って、代わりを求めて、まだ自分の手の中にあったものに気づいたのだ。カインには優しい思い出がある。
それなら、時折しか会えないカインやアランのことを失えない大切な家族のようなものだと言ったレジナルドはどうなのか。
どんな結末だったのかだけでも、早く知らせてやりたいと思ったのだ。
指輪を見たレジナルドは、思いの他衝撃を受けている様子を見せた。
それを見たカインは、どうにかしてやらなければと思えたのだ。優しい思い出すら足りない彼に、せめて泣く場所ぐらいは用意しなければ、と。
それができるのは自分でもアランでもないだろう。
だからグロウルがレジナルドに休むように促し、フェリックスがキアラに付き添わせようとした時に反対しなかった。
誰もが分かっていたからだ。
レジナルドにとって心の底からの弱音を吐ける相手が、キアラしかいないことを。
けれど、二人きりにさせることに不安がなかったわけではない。
これだけ動揺した状態で、感情を吐露してしまったら、レジナルドがキアラに何かしてしまうかもしれない、とも。ただ彼女はただの女の子ではない。
剣は持たなくても、彼女には力がある。レジナルドも本心から彼女が拒否したら、嫌われたくないがために無体な真似はできない。
……その予想は当たり、キアラは問題なくレジナルドを宥めたらしい。すぐにホレスを引き取りにやってきたのだが。
「雰囲気、変わったわねん」
誰もが言わなかったことを、つるっと口にしたのは、サレハルドの傭兵ギルシュだ。
アランが引き受けていたファルジア軍が駐留していた街まで追いついて、合流してすぐのことだ。安全な場所まで来たからとキアラから離れていたところに、ギルシュが通りかかった。
「キアラちゃん、落ち着いたのねん」
しみじみとつぶやくギルシュの視線の先には、ジナと話しているキアラがいる。
いつもと同じようで、どこか違う。確かにギルシュの言うように落ち着いたような気もするが、
「少し大人びたようにも思いますね」
どことなく表情が艶めいて……だから最初は、レジナルドと何かあったのではないかと思ったほどだ。
手を離すようなことを言った自分を、やや後悔するぐらいには。
彼女の気持ちはわかっていた。最初から、二人がお互いを見ていることも、キアラが不安定なのもレジナルドとの間に気持ちのすれ違いがあったせいだということも。
二人とも怖がりなのだ。
相手に嫌われたくない。でも嫌がられても隠すように守りたいと願って。
それが崩れたのは、何かしらキアラが自分の感情を自覚せざるをえなくなったことと、レジナルドが彼女の隣だからこそ使える力を手に入れたせいもあるのだろう。でなければ、キアラは今でもレジナルドを保護したがったはずだ。
そんなことを思っていたら、ギルシュが小さく笑った。
「何か変でしたか?」
「違うわよん。貴方がそんな風にしみじみと言うとは思わなくて」
くすくすと笑った後で、ギルシュもじっとキアラを見る。
「女の子は愛されてることを実感すると、幸せでも辛くても艶が増すのよね。ジナもそうだったわ……。それにしても貴方、よくキアラちゃんを手放せたわね?」
言葉で突かれて、カインは思わず苦笑いする。
「ようやく分かったんですよ。そういう形ではなくても、彼女が逃げないってことが」
再びの戦争で、失った家族への後悔と、恨みを思い出してしまったけれど。それすらも拭い去ったのはキアラだ。
望めばいつでも飛んでくる人だと、わかったから。命をかけるような状態でなければ、信じられなかったのは仕方ないことだとは思う。
あれがあったからこそ、受け入れられた。
でなければ今でも、キアラの言うことを信じられずにいただろう。人の心が変化してしまうことを知っている分だけ。
「まぁ、十代のまだ嘘が上手くない女の子相手だったからこそなのかもねん。うふふ」
ギルシュの言う通りなのだろう。これがもしジナなどだったら、いまだにカインは信じられなかっただろうから。
「まだしばらくはお兄さんを続けるのん?」
尋ねられたカインは、目を瞬く。
「何を言っているんですか。ずっと兄ですよ、私は」
これだけは譲るつもりはない。だからこそ、何かあればレジナルドに意見することもあるだろう。そしてレジナルドがキアラを見捨てるようなことがあれば、攫って行くだけだ。
それぐらいの亀裂が入れば、おそらくキアラはカインにすんなりとついてくるだろう。
だからそれまでの間は。
「これからは口うるさい兄でいこうと思っています」
そう答えたら、ギルシュがお腹を抱えて笑い出したのだった。




