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甘えるための約束

 中は使用人部屋らしく、寝台しかない簡素な部屋だった。書き物机もなく、エヴラールの私の部屋よりも狭い。

 レジーは私と並んで寝台に座った。

 横に持たされた冊子を置いてから、私は机の上に置いた師匠のことを忘れて来たんだとわかったけど、それぐらい私も動揺していたんだと思う。


「……キアラも、気づいたかい?」

「うん。あれ、レジーのお母さん……なの?」


 リネーゼ。レジーが何度か私に教えてくれた、レジーのお母さんの名前だ。


「盗賊にあったというけど、身代金の要求さえないのはおかしいと思っていたんだ。灰になって消えていたんだから……当然か。遺体すら見つからないわけだよね」


 まだ繋いだままだった私の手に、レジーが少し力を込める。


「母をクレディアス子爵に差し出したのは、祖父だと思う。十二年前はサレハルドと交戦したことがあったはずだから、そこに魔術師を協力させるため、クレディアス子爵家に生贄代わりに母を差し出したんだ。強盗にみせかけて、失踪したことにして」


 そんなバカな、とは言えなかった。親族でもそういうことをする人はいる、と私は知っている。


「そんなに、お母さんは憎まれてたの?」

「父が亡くなった直後だったから、なおさら目障りだったんだろう。ただ母は王族の血を引いていなかったから、直系ではないけれど、銀の髪を受け継いだパトリシエール伯爵の娘も差し出したんだろう。伯爵は自主的にやったことかもしれないけれど。ああ、そうか、だから急にパトリシエール伯爵が重用されるようになったのか」


 推測を口にしたレジーは、うつむいて呻く。珍しく彼が、片手で顔を覆うように隠した。


「グロウル達にもずいぶん配慮させてしまったね……」

「みんな、お母さんのことだってわかったから、あんな態度だったんだね。カインさんも指輪を見た瞬間にわかったみたい。すぐにレジーに見せなくちゃって表情を変えて……」


「ウェントワースにも気を使わせてしまったね。でも、こうして母がどうなったのか、わかって良かったよ」


 うつむいたままレジーはそんなことを言い出す。


「前は……母が自分の伝手を使って、針の筵だった王宮から永遠に逃げ出すために、自作自演した可能性も、考えてて……」

「お母さんとレジーは仲が悪かったわけじゃないんでしょう?」


 肉親への情が薄いレジーでも、お父さんとお母さんのことは、悪く言ったことがないのに。そんな風に思っていただなんて。


「記憶もない頃から、私は母の元から引き離されて祖父の管理下で育てられてたんだ。父が生きていた頃からね。たぶん不必要に母が祖父から攻撃されないように、祖父に私が嫌われて、とんでもない目にあわないように……って理由だと思うけれど」


 そのまま口をつぐむ。

 レジーが言いにくいことは何なのか、私には理解できる気がした。

 自分のためでもあったけれど、レジーはその決定が不満だったんだ。もっとお父さんとお母さんと触れあいたかった。一方でレジーも、自分の身の安全のことを考えるとそれが一番最良の選択だとわかってるから、嫌だと言えないんじゃないだろうか。

 やがてため息をついたレジーが、手を下ろして顔を上げる。


「そういうわけだから、気にしなくていいよキアラ。君も休んだらいい。茨姫のことも考えた方がいいだろうし……」


 彼は気にしなくていいと言うけど、平気だとは思えなかった。


「もう少しここにいる」

「キアラ……」

「一人にしておけない。寂しい時に、一人きりだとよけいに悲しくなっちゃうから」


 きっと私が出て行ったら、一人で鬱々と考え込んでしまうだろう。

 自分を見捨てたと思っていた母親が殺されたことで、見捨てられたと思った自分を嫌悪して……。それを実行したのが肉親だということにも、レジーは傷ついている。


 酷いことをした祖父でも、死ぬまでは叔父の国王から自分を守った相手だ。一つだけの感情で語れる相手じゃない。

 そんな重たい物を、ぽつんと部屋の隅にうずくまって考えるのは辛い。全て終わってしまったことだからこそ。後悔しても、取り戻せないから。


「こんな時ぐらい甘えてよ、レジー。私とレジーは家族同然でしょう?」


 私の言葉に、レジーは少し戸惑っている様子だった。

 でもしばらく考えた後、微笑んで両手を広げた。


「じゃあ、抱きついて来てくれるかい?」

「え、う……」


 自分から抱きつく!?

 私は大いにうろたえた。とっさに、とか。レジーが危ない時とかに、抱きついてしまうことはあったけど。二人きりの場所で向き合って、そんなことするのは恥ずかしすぎる。

 だけどレジーが悲し気な表情になる。


「したくない?」

「そ、そういうわけじゃ……わかった!」


 レジーは慰めてほしいだけだし、そうすると言ったのは自分なんだからやらなくて。

 えいっと私はレジーの首に抱きつく。そうしたらレジーがひょいと私を持ち上げて、自分の膝の上に座らせた。


「えっ!」

「横からしがみつくのは体勢的に辛そうだったから。ね?」


 レジーは私が逃げないように腕を回して抱きしめてくる。確かに横から体を伸ばすのは辛いけど、レジーは抱きしめてほしいだけなんだから……と私は思うようにする。


 でもこの態勢だと、リアドナで助けられた後のことを思い出してしまう。

 好きだと告白されて、キスされた時のことを。

 レジーは優しい表情で私の頭を、髪を撫でてその手を首に滑らせてくる。

 恥ずかしさに身じろぎしたけど、抗議の言葉が出ない。間近で見つめ合ってしまうと、もう視線が逸らせなくて。


 頬を支えられるようにして、一瞬の間の後に、引き寄せられるようにレジーの唇が私の唇と重なった。


 触れるだけのキスは、二度目だ。

 慣れたわけじゃないはずなのに、とてつもなく安心するのはどうしてだろう。

 だから拒否できなくて、全力で好きだと言っているみたいで恥ずかしい。

 しばらくは幸せな感覚に浸っていたけど、レジーはなかなか離してくれない。私が頭を動かそうとすると、頬に触れていた手を耳の後ろに回して、もっと強くなる。


 唇に優しく噛みつかれて、背筋が震えた。

 怖くなったけれど、気づかないうちに閉じていた目をうっすらと開けば、レジーがじっと自分を観察しているような視線を向けていることに気づいた。


 ――怖がって、私が逃げるのを待ってるのかな。

 思わず反発して逃げるまいとすると、レジーが目を眇めて笑い、キスを深めてくる。


「……っ」


 息がしにくくて、頭がぼんやりしてくる。

 ふと気を抜いた瞬間に歯列をなぞられて、喉の奥から自分のものじゃないようなか細い声が上がった。首筋から頭の奥までぞわぞわする感覚にめまいがしそうで、とっさにのけぞるとレジーはキスを止めてくれた。

 息をつく私の頬に、レジーが唇で触れる。


「苦しかった? ごめんねキアラ」


 キスをした後だから耐性が上がってしまったのか、頬への口づけが前よりも恥ずかしくない。むしろキスよりもずっと普通に感じてしまう。

 だけど物足りなく感じる自分に戸惑って、私は恥ずかしさに目に涙が浮かびそうだった。


「キアラが甘いから、食べ尽くしたくなるんだ。これでも大分我慢しているんだけどね。君が一人になることがあったら……泣かせたくないから」

「ひとりって……私のこと置いて行くの?」


 思考に霞がかかったみたいで上手く考えられないけれど、レジーがキスをしてもまだ孤独を感じていることはわかる。

 問い返すと、レジーは見たことがないほど妖艶に微笑んだ。


「置いて行かないよ。ただキアラに嫌われたくないだけだよ」

「嫌いじゃないって、言ったのに」


 リアドナで、私はどうしても好きだと口にできなかった。カインさんと誰も選ばないって約束したのと、色んな記憶が混ざり合って怖くて。

 でも嫌いじゃないと言ったから、レジーはもうわかっていると思ったのに。


「信じてほしいなら、もう少し甘えても許してくれるかい?」


 レジーはそう言って、私をぎゅっと抱きしめた。

 その行動が心の穴を埋めるみたいで、私はレジーに孤独を感じてほしくなくて肩を抱きしめる。


「私は離れないから」


 何かあっても抵抗する術がある。魔術に関しても、もう私を押さえつけられる人はいない。カインさんも、もう自分の心配はしなくてもいいと言ってくれた。

 だからそう宣言しても、レジーはまだ不安なのかもしれない。


「それなら、君を手に入れたって思わせて、キアラ」


 抱きしめた私に食らいつくように、レジーの唇が耳の下から首筋へとキスを繰り返していく。

 くすぐったい感覚に肩が跳ねる。その後に残る甘い感覚に頭がぼうっとする暇もなく、次の刺激がやってくる。


 噛みつかれたわけじゃないけれど、まだレジーは飢えてるんだと感じた。

 唇と指で触れる場所から、甘く私を変えて行って、食べてしまわないと収まらないみたいに。


 そんなに寂しいのに、我慢させてたのは私だ。

 怖がって、理解してくれていることに寄りかかって、大事な人にずっと確信できる言葉をあげないまま、優しさを受け取るばかりで我慢させ続けていたから。レジーは飢えてしまったんだろう。

 今までレジーはそれをすっかり隠していたけれど、お母さんのことがあって、寂しさや孤独感が強くなってどうしようもなくなったのかもしれない。


 このまま、レジーを寂しいままでいさせたくないと思った。

 私は背筋を震わせる感覚にあえぎながら、どうしても今伝えたくて、その言葉を口にした。


「……好きだよ、レジー」


 かすれた声だった。

 それでも言葉が耳に届いたんだろう、レジーは私の首から顔を離すと、息を吐き出して私を抱え直した。

 彼が、何かにとても安心したんだと感じたから、私もほっとして腕の中に収まっていた。


「キアラ」

「何?」


 ぽつりとレジーが耳元にささやく。


「好きでいてくれるなら、たまにこうして甘えさせてもらってもいい?」


 あらためて聞かれると、恥ずかしい。ぼんやりしていたせいで忘れていた羞恥心を思い出して顔が熱くなるけど、私はうなずいた。


「うん」

「約束だよ」

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