考えすぎはろくなことにならない
「れ……」
階段を上がったところで、アランはかけようと思った言葉を飲み込んだ。
レジーと一緒にいたのは、護衛騎士のグロウルだけではない。キアラもだった。
しかもレジーは、キアラの部屋に入って扉を閉めてしまう。
「な……」
アランは声を上げるのを寸前でこらえた。
待てレジー。お前まさか逢い引きか!? と心の中だけで叫ぶ。
しかも相手はキアラだ。レジーがやけに同情して援助していると思ったら、まさかそういう理由だったのだろうか。
(まてまて俺。レジーがそう簡単に手を出すわけがない)
レジーが普通の王子なら、つまみ食いごときで問題にはなるまい。
けれど彼の場合は複雑すぎて、つまみ食いなどしたら、相手と縁故がある貴族とごたつくだろう。しかもうっかりルアインと繋がりがある貴族が関連していた場合、首に鈴をつけられた上にいつ毒を盛られるかわかったものではない。
(いや、だからか?)
キアラは家を飛び出した天涯孤独の身だ。アランの親族ということにはなっているが、ほとんど血縁があるのを知っている程度の土地を持つ人物の娘ということになっている。手を出して何かあったとしても、アランの父がもみ消して終わるだけ……。
(いやいや待て! 父上がそんな無情なことをなさるわけがない)
なにせ母ベアトリスの熱烈なアプローチに根負けして嫁に迎えた後は、庶民もうらやむオシドリ夫婦っぷりを見せつけているのだ。
そんな両親なら、自分の羽の下に保護した娘が使い捨てられるような目に遭うのを放置はすまい。アランの父は生い立ちの気の毒さからレジーにかなり甘いが、臆することなく王子相手に雷を落とすだろう。
でもその前に。
(レジーがそもそも女遊びをするわけが……ないと思いたい相手だよな?)
キアラは容姿が悪いわけではない。けれど誰も敵わないと思うほどの麗姿を持つレジーの隣に立つには、キアラは……性格がひょうきんすぎる。
それでも伯爵令嬢ならばしとやかにしていればいいものを、平身低頭で謝罪を叫びながら寝台から床へ真っ逆さまとか、雷草をなげつけるとか、意外なことばかり実行しているのだ。今や彼女を見て伯爵令嬢だと連想することはない。
それに現在の彼女の身分だ。
本人もそれでいいと受け入れたし、あの時レジーも反対しなかった。
だから一緒にいるという未来を望んではいないと思うのだが……。
(仲が良すぎるんだよな)
いつもならば、辺境伯家に遊びにきたレジーとアランは四六時中一緒にいた。けれど今回、レジーはかなりの時間をキアラのために割いている。午前中はずっと書庫で一緒だし、時には今日のように午後まで時間をとることもあった。
おかげで剣の稽古の相手がいない日は、アランもなんだかつまらない。
(い、いや違うぞ。何も悔しいからキアラのことを駄目出ししているわけではないんだ。ただ心配しているだけで……)
と、そこでレジーがキアラの部屋から出てきた。
アランの父に襲撃者について知らせたりと、駆け回っていたレジーは出かけた時のままの格好だ。
ふとその肩だけ、濡れたように羽織ったマントの色が濃い緑に見えた。
「殿下、何のお話を……」
「野暮なことは聞かない方がいいんじゃないのかな? グロウル」
レジーはそんな返答をして、グロウルを絶句させていた。
「ま、まさか別れ話のもつれ……?」
深夜に逢い引きして、服に濡れた跡まであるのだ。きっとあれは涙の痕……その主はキアラに違いないと考えたら、もうその想像でアランの頭の中はいっぱいになってしまった。
そのせいで、アランの声が聞こえてしまったのだろう。レジーが振り返り、アランが見つかってしまった。
「か、帰りが、遅かったんだな」
慌てながらも絞り出した挨拶の言葉がそれだった。
「うん、パトリシエール伯爵の配下がね、キアラをどうしてもとりかえしたいらしくて。詳しいことはアランも後で聞かされると思うよ。ちょっと大事になりそうな気配だから、ヴェイン辺境伯から説明と対策に駆り出されるはず」
「うわ……僕、考えるの苦手なんだよ」
貴族が関わるいざこざだ。真正面から打ち倒して終わりということにはなるまい。その後の頭脳ゲームさながらのやりとりや根回しのことを考えると、アランはさっきまでの動揺をすっかり忘れて、うんざりとした。
「予行演習にはいいんじゃないかな、次期辺境伯殿。少しは慣れるべきだよ、君だって頭脳労働が全くの不得意なわけじゃないんだから」
「向いてないんだよ。あげくにやたらその辺りが上手い奴が側にいると、尚更やる気が失せるのをわかってくれよ」
「それ、辺境伯殿に言ったら殴られるんじゃないのか?」
「その辺りは母上の方が怖い。父上より先に手が出るんだあの人」
はーっとため息をつくと、レジーが笑う。
「でも慣れておいた方がいいよ。私や辺境伯殿だってずっと側にいられるかわからないのに、一人になった時にどうするんだ?」
「……なんだ、それ」
珍しく暗い未来を暗示するようなことを口にしたレジーに、アランは思わず聞き返す。
「世の中のものは有限なんだよアラン。私も、もちろん君も。備えることによって、失わずにいられることもあるだろう?」
だから、忠告だよとレジーが言う。
けれどアランの中に浮かんだ不安が消えない。そのせいだろう、思わず口走ってしまう。
「有限なのは仕方ない。だけどお前、そんな弱気でいて、もし本当に何かあったらキアラはどうするんだ?」
レジーが珍しく目をみはる。
「キアラが、どうして?」
「えええ? だって、お前……その」
部屋から出てきたじゃないかと言おうとして、今のレジーの一切気にしていない様子に、追及するのがためらわれる。
「気に入ってたみたいだし、キアラだってお前に一番なついてるだろ。その……拾った責任というか」
「キアラは拾った相手に全力でよりかかる子じゃないよ。多分私がいなくたって、一人で生きて行ける」
レジーに笑われてしまい、アランはちょっと拗ねた気持ちになった。
「だってレジー。お前やっぱりキアラのこと相当気に入ってるだろ。四六時中側にいたって気にならないくらいじゃないのか? それってほら、好きってことじゃないのか」
アランに追及されても、レジーは表情を変えたりしなかった。
「うん、キアラは面白いよ。傍に置いておけたなら、だいぶん私も気楽に過ごせそうだなと思う。でも……そうだね。彼女がそれを良しとするかは別の問題だと思うよ」
わけのわからない回答がきた。
面白いし傍にも置きたい。けどそれはキアラが決定権を握っているというのだ。それでいてアランの質問に全て答えているわけではない。
男女の仲なのかどうかが知りたかったのだが、それは綺麗にうわべをなぞって放置された格好だ。
だが親友が複雑な人間だということをアランは承知している。よく心がばらけないなと、心配になるほどに。
そんなレジーは、たまにこんな謎かけみたいな答えしか返さないことがある。おそらくは本心を明かして裏切られることを怖れて……それが癖になっているのだ。
ただこうい言い方をする時、レジーはもうなにかを決めていながら、まだ誰かに話すべき時期ではないと考えているのだと、アランは気づいている。
(でも、何をどう決めたんだ?)
キアラを傍に置き続けることを決めているのか。いずれ離れる相手として、友人としての距離を保つと決めたのか。でも今は追及しても話さないだろう。
アランはため息をつく。
「なんていうか……もし何かあれば言ってくれ。キアラはうちで雇ってる人間なんだし、もし見捨てなくちゃいけなくなっても、こっちで責任持つから大丈夫だからな?」
「……ねぇ、アラン。彼女を見捨てることは、私にとって自分を見捨てるようなものなんだ」
そう答えたレジーは、いつになく真剣な表情をしていた。
「自分を見捨てるって」
どうしてそこまで、と思うほど気負いを感じさせる言葉に、アランは続く言葉を言えなくなる。
「だから最後まで見捨てないよ。心配をする状況になるぐらいなら、たぶん私は彼女を連れて行くと思う。君に背負わせなくてもいいようにね」
「レジー……」
どこまで連れて行くつもりだ、とは聞けなかった。
それを口にしてしまったら、怖ろしい言葉を引き出しそうな気がしたからだ。
次の日、泣いたと思われるやや目の腫れたキアラの顔を見て、アランはさらに混乱する。
「別れ話……じゃないんだろうけど」
見捨てないと言うぐらいだ。たぶん別れてくれという話をしてたわけじゃないだろう。なのになぜキアラが泣くのか。
泣く女性への対応をどうしていいのかわからないアランは、彼女の目の腫れが収まるまで、なんとなくキアラを遠巻きにしながらぐるぐると考えてしまう。
「まさか、正妻にできないとか、そういう話か?」
しかしその予想は、アランでも信じられない。だってレジーならば、決めたらどうあってもその考えを実行できるよう、様々な隙を通り抜けるだろうからだ。
更にアランを混乱させたのは、翌日になってみても、レジーとキアラが今まで通り恋人らしいそぶりが一切ないことだった。
そんなアランの苦悩を他所に、レジーは滞在期間を終えて王宮に帰る日となった。
「また来年には、ここに遊びに来るよ」
レジーはにこやかにアランやキアラにそう言った。
「アランとはまた、新年祝賀の席で会うと思うけど。来てくれるよね?」
「もちろんだ」
とうなずくアランは、ようやく苦悩していた問題に決着をつけていた。
(そうかわかったぞ。レジーはキアラの保護者のつもりなんだ)
娘ならば、一緒にいるのが苦ではないと感じてもおかしくないし、娘を見捨てるぐらいなら! と言う父親は世の中に沢山いる。あの涙も、思えば襲撃されて怯えていた娘をなぐさめるため部屋に入ったのだと思えば納得がいった。
疑問が解決し、すっきりとした気分だったので、アランは実ににこやかにレジーを見送る。
そして隣でやや暗い表情をしていたキアラを励ました。
「まぁ、なんだ。気を強く持てキアラ」
「えっと……はい?」
何故か驚かれてしまったが、最終的にキアラは笑顔を見せる。
だからアランは、自分の多大なる勘違いになかなか気づかなかったのだった。




