約束2
やっぱり、と言いたげにレジーがため息をつく。
「体はなんともない……みたいだね。今までだって変わった様子はなかったし。さっきの驚き方からして、飲まされてたのが魔術師に関係するものだとも知らなかったんだろう?」
私はうなずく。
「そうか。ならよかった」
レジーがほっとしたように微笑む。
え、と思って彼をじっと見てしまう。
「あの魔術師くずれみたいに、辺りに魔術をまき散らしたり、体がおかしくなるかもしれないからって、私を幽閉とか……することになったりしないの?」
「何を言っているんだキアラ。そんなことしないよ」
きょとんとした表情でレジーが言う。
「今現在問題が出てないし、君は魔法が使えてない。なのにどうして閉じ込める必要があるんだい?」
「でも、もしかしたら今後、そういうこともあるかもしれないし」
「そうだな……」
不安の原因を訴えると、レジーは少し考えて応えてくれた。
「とはいえ、魔術師の知り合いもいないから調べるのは難しいし、このまま辺境伯の書庫を漁っていても見つかりそうにないからね。王宮に戻った後で、私もそれについては調べてみるよ」
「え、本当!?」
レジーはしっかりとうなずいてくれる。
私はほっとした。王宮ならもっと情報が溢れているだろう。それに王家が雇っている魔術師もいたはずだ。そういった人からなら、かなり正確な情報を聞きだすこともできるだろう。
「でもキアラは、それを飲まされてからどれくらい時間が経ってる? さっきの男の場合、雷草が生えていた所では問題なかったようだから、一度パトリシエール伯爵の元に戻った後か、この近くまで来たところで別の物に飲まされたということだろう。きっと飲まされてから長くても二週間しか経ってないと思う」
「うーん。養子にもらわれた直後ぐらいには飲まされたから、もう何年も経ってるよ。最初は三日ぐらい寝込んで……その後も何度か飲まされたけど、ちょっと気持ちが悪くなるくらいだったような。だから何か、特殊な毒か伯爵家に連綿と伝わる何かゲテモノ系の滋養薬でも飲まされてるのかと思ってた」
「滋養薬? また君は突飛な発想をするね」
レジーが少し笑う。
「でも毒……みたいなものだろうね。本当に魔術師くずれみたいになって死んでしまうのなら、効果は毒と大差ないわけだし。でもそれを飲んで平気だったキアラは、本当に魔術師の素質があるのかもしれないな」
レジーの言葉に、私はうなずく。
素質がなければ死んでしまうというのだから、何も体に異変が起こらなかった私は、素質があったということなんだろう。前世のゲームの通りに。
とはいえ疑問なのは、魔術が一カケラも使えないことだが。
「それより聞きたいのは、どうやって君が二年後のことを話し出したのかってことだよ。パトリシエール伯爵から、何か聞いたのかい? 二年後に侵略の予定で動いている、というようなことを」
レジーとしては、そちらの方が重要な問題だったようだ。確かに、侵略戦争の動きがあるのなら、今のうちに動きを掴んでおきたいことだろう。
しかし私は誰かから見聞きしたわけではない。
「それは本当に、夢……白昼夢みたいに見たことなの」
「夢か……」
渋い表情をするレジーに、私は夢物語だといわれてしまわないかと焦った。
「上手く説明できないんだけど、とにかく私が見たままの状態で、世界が動いてるの。私も、もし伯爵のところから逃げていなかったら、結婚させられた後で王妃の女官になるはずだったの。そしてクレディアスという家名を名乗ってる私が、魔術師として王妃の言うがままに戦うことになってて……もしかするとアランたちと戦ってたかもしれなくて。だから結婚相手の名前を手紙で見て、すぐに逃げたの」
今ではもう、あの時とは違う理由で私はみんなの敵になりたくない。
私を馬車に乗せ、領地で雇ってくれたアラン。息子のアランが信用したのならと、受け入れてくれた辺境伯夫妻。
その全てを援助してくれた上に、友達だからと助けてくれるレジー。
殺されるからという以前に、誰かを敵として傷つけるなんて考えられない。
けれどそこまでレジーに話しても、彼を混乱させるだけだろう。だから私は話を切り上げた。
「何の根拠もない荒唐無稽な話なの。でも私のこと頭がオカシイと思ってくれてもいいから、お願いだから気を付けて。二年後に、私の見た通りになってしまったら、私が恩返しにちゃんと守ってみせる。だから、その時は拒否しないでいてくれたら……嬉しいんだけど」
私は全てを理解してほしいとは思わなかった。
ただレジーが危険なこと、私が魔術師になれることと、レジーを助けたいと思ってることを知ってくれればいい。そう思ったのに。
レジーは考え込んだ後で提案してきた。
「確かに根拠がない話を信じてもらうのは難しいだろうね。相手がエレミア聖教の司祭なら、夢だと言えば簡単に肯定してくれるだろうけど。でもキアラ。私としては今回のこともあるから、パトリシエール伯爵が何か大々的なことを企んでいるのではないかと思ってはいたんだ。だから皆に、君の不安を上手く知らせたらどうかな。城が攻め落とされそうになるなんて、誰だって嫌だろう?」
「でも信じてくれないかも……」
「君一人でやる必要はないよ。私から王妃が不審な行動をしていることと、パトリシエール伯爵の今回の動きからも、かなり注意が必要だと言っておく」
その言葉に、私は肩の荷が降りる気持ちになった。
王子で、王妃の人となりを知り、貴族達の動きについても熟知しているだろうレジーの言葉なら、ヴェイン辺境伯もかなり気にしてくれるだろう。
ようやく息がつける。そんな風に安心していた私の耳に、レジーが再び顔を寄せてささやいた。
「そうしたら……君が魔術師になって、私を守らなくてもいいはずだ」
「え……」
頬に口づけされたことを思い出して体が硬直しかけた私は、思いがけない言葉に目を丸くする。
「でも、侵略が本当に起こったら、魔術師がいた方が」
その後の戦況だって断然有利になる。だってもしレジーが攻城戦で死ななくても、その後の王国侵略が無くなるわけじゃない。必ずアラン達は戦わなくてはならなくなるはずだ。
「君が安全に魔術師になれる保証は? それに魔術師になるのは君が一番嫌いなことだったんだろう? そうしたくないから逃げたし、今度は酷い死に方をするかもしれないとわかったから、尚のこと君は魔術師になりたくないと思っているはずだ」
反論はできなかった。
黙り込んでしまうと、レジーはようやく一歩離れ、肩を掴んでいた両手で私の手を握りしめる。
「約束をしよう、キアラ。私に黙って、勝手に魔術師になんてならないって」
「なっちゃだめ……?」
禁止されるとは思わなかったので、私は驚いてレジーの顔を見直す。
レジーは言い間違えたわけではないようだ。はっきりとうなずく。
「決して危険な道を一人で選んじゃだめだ。必要があれば代わりに私がやる。だから私に許可無く、貴重な友達を奪うかもしれない真似をしないって約束してほしい。いいかい、キアラ?」
私を失わないために、禁止する。
そう言われて間もなく、目の前のレジーの顔がにじんでいく。
頬を流れ落ちるのは、涙だ。
鼻がつんとする感覚も、目を開けていられないほどの瞼の熱さも、どれくらいぶりに感じただろう。
ずっと泣かずにいたのに、気付けば嗚咽をもらしながら顔を伏せてしまうほど涙が次から次へと溢れてくるのは、ずっとそう言って欲しかったからだ。
魔術師になんかならなくていい。
一人で危険なことをしなくていい。
普通の子供みたいに、そう言って守ってくれる人がほしくて。
でも親など居ないも同然の身では、無心に頼れる人などいなかった。
だから喉から手が出そうなほどだったのに、前世の記憶がからんだ荒唐無稽な話をしたら、仲良くしてくれている彼らも私から離れてしまうかもしれないと怖くなって、どうにもできなかった。
けど、レジーは全て受け入れてくれたのだ。
安心しすぎたらもう、涙を止めるのが難しいほどになっていた。
それなのにレジーは、もっと泣きそうなことを言う。
「約束をやぶったら、あとでお仕置きするからね?」
「うん……」
何かあって約束を破っても、レジーは怒っても離れないと、そう言ってくれているのだ。
そんな約束してくれるような人を、本当に失いたくないと私は心の底から思った。




