エイルレーンに流れる血 1
エイルレーンは、ラクシア湖畔のゆるやかな丘陵地だ。
戦争中じゃなかったら、のんびりと散策したくなるほど、緑と湖の碧が美しい。
一応戦場として想定していたのは、大雨で湖の増水で土と砂が堆積したり、畑だった場所が削られた地域だ。
その周辺を改めて畑にする計画があって林を焼き払ったため、かなり広い範囲が足場として確保できる。
けれどその周囲にも畑はある。ファルジア軍が撤退することになれば踏み荒らされてしまうだろう。
だから念のため、本来なら麦の穂が揺れているような畑は、先に飛ばした鳥や早馬によって知らされた村人たちによって急いで刈り取られていた。
放牧されていたヤギや羊も、どこかへ移動させられたらしい。
そこへ到着した私達は、全体を望める丘の上で、遠くで陽光を反射する鎧の群れを確認していた。
ルアイン側がこちらへ侵攻してくる前に、間に合ったらしい。
斥候の報告から、こちらに減らされながらもルアイン軍が一万、サレハルドが他に兵を置いてきたのか七千人ほどだと聞いた。
兵を減らしてきたのだから、イサークはここを決戦地にするつもりじゃないだろうか。
「もう、戦わなくて済むんだ……」
この一回だけ我慢したら。
少なくない人が、ルアインの目を欺くために傷つくだろう。けれど、サレハルドはこれ以上ファルジアと敵対することはなくなる。
そうしたらこっそりイサークの首根っこをつかまえて、落とし前として一度殴らせてもらおう。
助けてくれたけど、あの一回のキスの分は私を守るためのものじゃなかったし。戦争が終わるまで全部棚上げするつもりなら、こんな感情は気づかなくても問題はなかったはずなんだから。
それでおしまいにして、友達には戻れないかもしれないけど、すっきりとお別れするんだ。きっとイサークはすぐサレハルドに帰るだろうから。
そうしたら、戦争の流れもゲームに近くなって、予想がつきやすくなるかもしれない。
……王妃が自分で戴冠っていう話が流れて来てる時点で、かなりずれてる気がするけど。
私の記憶だと、普通にルアインの王が併合してるから。というか、二つの国の王に、ルアイン王がなったというべきか。占領してアランが立ち上がるまでに時間がかかっているので、スタート時点でルアインが併合を各国に認めさせてた。
今回はサレハルドを味方につけてくるっていうイレギュラーがあったけど、今後は、ルアインと協力するファルジア貴族だけを敵と考えていいんだろう。
戦場として想定していた地点へ到着すると、レジーは「計画通りに」と指示する。
一斉に所定の位置に展開していく兵士達。
整然とした姿に、私の中の緊張感が高まっていく。何度も戦って慣れているはずなのに。足が震えそうな気がしてくるのはなぜなんだろう。
私はレジー率いる一隊と共に、湖から離れた右手側の丘の上へと移動した。
地面に降り立つ。
湖から吹いて来る風が、少し冷たい。ラクシア湖はとても広くて、海みたいにも見える。
そこから視線をそらして、前方へ向けた。
止まっていたルアインとサレハルドの軍が、移動してきている。こちらの姿を確認したからだろう。このままいけば、想定した場所で交戦することになる。
じっと見つめていると、肩に手を触れる人がいた。レジーだ。
「大丈夫。心配することはないよ。前以上の備えをしているんだから」
確かにそうだ。軍の作戦としても、レジーの魔術にしても、敵側が知らない手をいくつも持っている。
「ありがとう」
お礼を言って、私は前よりも少し落ちついた気持ちで前を向く。
背後で、カインさんとレジーが目くばせしていたことには、気づかなかった。
「彼らは……どうすると言っていた?」
「任せるそうです。本人たちは諦めているようですね」
「私達は、せいぜい彼女に怒られないように、その瞬間を見極めるしかないかな。でも今じゃない」
「余計な情報は、返って行動を阻害しますからね」
そうしてかわされた言葉も、その時には意味がよくわからなかったので、軍を動かすにあたっての難しい話なのだろうと思っていた。
やがて、敵軍が足を止めた。
レジーに促されて、私は土人形を作りだした。
いつもより少し低めの8メルくらい。予め血を塗った銅鉱石を使って作製した土人形は、立ち上がって私達の斜め前でその存在を誇示する。
土人形が現れても、敵軍は落ち着いた様子だった。あちらも慣れてきたのだろう。
両軍がじりじりと前進を始める。
中央を預かるアランが、やや突出するように近づいていく。
そちらで、一人が青い旗を大きく振ってみせた――合図だ。
私は土人形を、一気に敵軍へ向かって走らせた。
敵の左翼側が、えぐれるように人が避けて行く。一見、避けることも慣れ始めたように見えたけど、予想以上の速度で突撃させたせいで巻き込まれていく兵士達がいる。
私はぐっと唇を噛みしめた。
そして土人形の足は鈍らせない。
間もなく、土人形は支える力を失ったように、すとんと崩れた。
細い糸で繋がっていたのが、ふっと消えたような感覚がおとずれる。
ルアイン軍は土人形だった土の山を避けるように態勢を整えはじめ、その後方から一つの集団が私達がいる丘へと向かってきた。
それを見て、アラン達が率いる他のファルジア軍が敵軍へ斬り込んで行く。
けれどルアインの後方から出てきた一隊は、他のことなど見えていないかのように丘を目指す。
中央に、馬に乗ったクレディアス子爵がいる。周囲に、足を引きずるように進む集団と、その後から硬い表情でついて行く兵士達を従えて。
「予定通りだね」
これがレジーが考えた最初の作戦。
……他の軍に、クレディアス子爵が操る統制された魔術師くずれが集中しないように、わざと自分達を目立たせるのだ。
作戦会議の時、この配置はとても反対された。
標的にされやすい魔術師と、首をとりたい人間が押し寄せてきそうな王子を前に出すのだ。雷の魔術など、策があるんだろうとわかっていても、みんな反対せずにはいられなかっただろう。
けれどレジーはその反対意見を想定していたように、堂々と言った。
「最初に、クレディアス子爵を倒す。そのために必要だ」




