追跡者の謎
「大丈夫、私の側にいる限りは必ず守ってあげるわ!」
その後、自分で歩けるようになった私がベアトリス夫人の元へ行くと、話を聞いていたらしい夫人が力強くそう請け負ってくれた。
どん、と胸を叩く姿が、美麗な上に迫力満点だ。
「まぁ母上がいらっしゃるならかなり安全だろう。だが城の中から出なければ問題はないと思うぞ」
これまた知らせを聞いてやってきたアランが、ベアトリス夫人に同調する。
でもちょっと待って。
アランの言い方だと、辺境伯夫人が護衛の女騎士みたいな扱いなんだけども。そもそもベアトリス夫人て元は王女なおのに、どうしてこんな武官みたいなことをし始めたのやら。
「私も奥様のように強ければ良かったのですけれど……。奥様は、いつから剣を習われたのですか?」
他のことから意識を逸らすためにも、エヴラール辺境伯家の不思議一つに切り込んでみると、母親の部屋までやってきて戸口に立ったままのアランが答えた。
「それはな、母上は父上に……」
「ちょっとアラン、それ以上は内緒よ!」
とたんにベアトリス夫人がソファから立ち上がってアランを止めに走る。掴みかかられてぎょっとするアランに低い声で訴えていた。
「言っちゃダメって教えたでしょう!」
「でも城の人間は皆知っておりますよ」
「どうして!?」
「いえ、むしろ隠す気あったんですか?」
二人のやりとりを見て、いいなぁ、と私は思う。
想い合っている夫婦。そして愛情で結ばれた親子の姿に、羨望をおぼえる。
今生ではほんと家族に恵まれてないからなぁ。でもでも、前世は普通だったんだから。
心の隅っこで『前世の父さん母さんもラブラブだったもんね』と、いじけた気分になりながら言い訳していると、アランとじゃれあいを終えたベアトリス夫人が、真面目な表情に変わって私に向き合う。
「それにしても、問答無用で襲いかかるような真似をするなんて。家出した娘を取り戻すにしても、方法というものがあると思うのだけど。これでは辺境伯家に喧嘩をしかけているようなものだわ」
「抗議はしないのですか?」
アランの問いに、ベアトリス夫人は首を横に振る。
「しても、対した謝罪は引き出せないでしょう。むしろつけ込む隙を与えるだけよ。ここでのキアラは伯爵の養女ではなく、平民を侍女に取り立てただけなのだもの。平民に危害を加えただけでは、実行した騎士達の過失で収められても文句を言えないし、逆にキアラが何か粗相をしたのではと因縁をつけられて、連れていかれる口実にされてしまうかもしれない。養子とはいえ、娘にした子に睡眠薬まで使って結婚させようとした下衆ですもの。そうなったら何をするか分かったものではないわ」
ベアトリス夫人の言う通りだ。
正直、パトリシエール伯爵は私に娘として接したことはほとんどない。対外的に必要だと判断された時だけだ。通常は、豪華な服を着せて同じような食事を食べさせている特別扱いの使用人、という扱いでしかなかった。
それもこれも私を手駒として使うためだ。そんな風に飼っていた犬が意に反して逃げ出したのだ。見つかったら折檻は免れない。
つくづく、こうしてかばってもらえるエヴラール辺境伯家に勤めることができて良かった。
「では、我々がキアラを平民として遇しているのを知っていて、一番簡単な方法として襲撃を仕掛けたのではないでしょうか。貴族令嬢として連れ戻すことになると、母上が同情して保護者に名乗りを上げて抗議した、という体裁をとった場合、伯爵も無理には連れ戻せません」
アランの推測にベアトリス夫人が首をかしげる。
「そうね……そうだと思うのだけど。何かひっかかるのよ。辺境伯家と関わりたくないから、襲い掛かって奪って逃げようとしたのかしら?」
それに対する答えを持っている者が捕まったのは、夜も更けた頃だった。
就寝の準備をしようとしていた私は、部屋の扉をノックされた。
部屋を訪ねて来たのは、ウェントワースさんだ。黒髪のやや表情に乏しい青年騎士は、辺境伯が呼んでいると言って私を連れ出した。
最初、何も説明されなかったため、私は今日のことについて何か聞きたいことがあるのだと考えていた。だからまだ着替えていなかった青いドレスの上から簡単にショールだけを羽織って部屋を出る。
そうして連れていかれたのは、城の外――正確には城を囲む壁の内側だ。
館の周囲を囲む壁の内側は広い庭や、馬で走り回れそうなほどの土がむき出しの運動場、城に勤めている者のための宿舎などがある。
春とはいえまだ夜風は冷たくて、ショールを羽織っただけだった私は思わず肩をすくめた。
一体どうして外へ連れてきたのだろう。
不安になる私だったが、それを察したようにウェントワースさんがぽつりと言った。
「教会学校からここへ来る道すがら、貴方を探していた者を探しあてました」
「え……見つけたんですか!」
今回の襲撃に確実に関わっているだろうパトリシエール伯爵の配下を、捕まえたのだ。それを知らせに来てくれたのかとほっとした私は、なぜ私を連れ出したのかをよく考えもしなかった。
だから安心してウェントワースについていく。ややあって城の外側から地下へ入る通路へ到着すると、そこを降りるように促された。
言われた通りに地下へ進みながら、私はどこへ行かされようとしているのか不安になる。
「ウェントワースさん、ここは?」
尋ねると答えが返ってきた。
「ここは囚人を閉じ込める地下牢です。中にヴェイン辺境伯とレジナルド殿下がいらっしゃいます」
中にはちゃんとヴェイン辺境伯がいるらしい。そしてレジーもいると聞いて私は少し落ち着いた。何かあったとしても、レジーならば私に悪いようにはしないと信じられるからだ。
けれど、なぜ牢の中なのだろうか。
他に漏らしたくない話をするためか。それとも、捕まえたパトリシエール伯爵の配下の様子を私に見せたいのか。
まだ?マークを頭の中に浮かべながら進むと、不意に心臓の拍動が気になりだす。夜にウェントワースが持つ燭台の他、壁にも灯された燭台の明かりだけの中で、地下に入るというのが、私は怖いのだろうか。
けれどようやく二人の元にたどり着いても、胸の動悸が治まらない。
「ここまで来てもらって済まないね、キアラ君」
ヴェイン辺境伯は、さきほど外から帰ってきたばかりなのか、マントを羽織り、胸甲まで身に着けた姿だった。腰には剣も刷いている。
「ごめんね、こんな夜中に」
そう言ったレジーも、きっちりと服を着てマントを羽織った姿だ。
「えと、私に何か?」
とりあえず呼ばれた案件について尋ねると、ヴェイン辺境伯が頼んできた。
「牢の中にいるのが、昼間君も見かけた男だ。捕まえた直後から様子がおかしくなってね。先ほど落ち着いたようなので君を呼びに行かせたんだ」
辺境伯が指さすのは牢の中だ。そちらを見ようとする前に、レジーが私に忠告した。
「一度見ていると思うけど、少し……ショックを受ける姿になっていると思うから、心構えはしておいてキアラ。彼は多分、魔術師になりそこなったんだ」
なりそこなった。そしてショックを受ける姿と聞いて、私は牢の中にいるパトリシエール伯爵の配下がどんな姿になっているのか、覚悟をしながら振り向くことができた。
その男の姿を見た瞬間、胃まで揺らすかと思うほどに、私の心臓が強く跳ねた気がした。
理由はわからない。だって男の姿は、衝撃を受けはしたものの、息苦しくなって目をそらすほどのものではなかったからだ。
あの魔術師よりも若干、穏やかなものだった。
背中が盛り上がっているけれど、突き立つような石の柱が生えているわけではない。
今日の昼に見かけたときよりもずっと、顔も体もむくんで膨れている。何か悪い病魔に侵されたのではないかと思うほどだ。
彼はぶつぶつと呟いていた。
あれを飲まされなければ。あれを飲んでから苦しくてたまらない。
妖しいと思ったのだ。赤黒い飲み物など、今まで見たことが無い。きっと毒だったんだ。そうに違いない。
延々と、どこともしれない虚空を見上げて彼は言葉を紡いでいた。
それだけで、彼の心がもう壊れているのだろうと察せられる。
自分を捕まえて過酷な環境へ連れ戻そうとした人間だ。だから同情はしないけれど……目にするのは辛い光景だ。
「彼の言うものに、何か心当たりはないかい?」
「毒とか、パトリシエール伯爵から聞いたことがあれば、教えてほしい」
ヴェイン辺境伯に続けて、レジーがそう私に問いかけてくる。
首を傾げていた私だったが、やがて牢の中の男の言葉を聞いているうちに思い出した。
――血のように赤い飲み物を口に入れられた。
私はその言葉にはっとする。
まさかと思った。
体調を崩した時に飲まされたことのある、赤い液体を思い出す。果実の汁で割ったからだと思った、少し暗い赤の飲み物。
最初はいつだったか。
伯爵の家に連れて来られた日に、特別な日だから出したのだといわれて飲まされたのが初めてだったかもしれない。
後で私は三日ほど寝込んだ。
けれど回復したその時だけは、細かなことで私を怒るパトリシエール伯爵が、やたらと穏やかだったと思う。
似た色のものを飲んだ男は、魔術師くずれと同じ状態になっているらしい。ならばそれは、魔術師にさせるために投与していた薬だとしたら?
砂にならなかった私を見て、喜んでいたのだとしたら……つじつまが、合う。
でもそれだと、私はもう既に魔術師くずれと同じような状態になっているということだろうか。でも魔術なんて使えた試しもないのに?
けれど心当たりはそれしかない。ないけど……。
私はぐっと下唇をかみしめる。
どうしよう、言いたくない。言えば私までその液体を飲んでしまったことがバレてしまう。もし魔術師くずれと同様の状態だと思われたら、私まで牢に繋がれてしまうかもしれない。
力を暴走させて、誰かを傷つけないためだ。我慢して、といわれながら。
――想像してしまった私は、もう赤い液体の話など喉の奥に引っ込んでしまった。かわりに口から飛び出したのは、
「わ……わかりません。見たこと、ないです」
否定の言葉だった。




