帰るべき場所 1
やや遠い場所、小さな丘陵の上にリアドナ砦が見える。
砦そのものが小さいからだろう。ファルジア側は最初から砦の外に布陣していた。
青いファルジアの旗の下にいる人達の姿までは、はっきりと判別がつかない。
レジーはいるだろう。
カインさんは生きていても、まだ戦場になんて出て来られないかもしれないし、無理はしてほしくない。エメラインさんやアランは前回の戦いで怪我をしなかっただろうか。ジェロームさんやエニステル伯爵も無事だろうか。
確認したくてもできない。
一方で、イサークの馬に同乗させられている自分を、向こうも見分けられないかもしれないということに、少しほっとする。
私は予定通り、戦場へ連れて来られていた。
万が一ということで両手は縄で縛られている。手枷では私が簡単に金属を変化させて、武器にしてしまうのと、不用意にあちこちに触れられる状況では、一体何をするかわからないと警戒されているんだろう。
イサークもこの戦いの時点では私を逃がさないと決めているのか、他にも逃亡しにくい理由を作られていた。
例えば服。寝間着のまま担いで運ばれたんだよね……。
一応上にサレハルドの緑のマントを着せられているけど。普通の女性なら恥ずかしくて出歩けない格好だし、それだけで動き回ることに躊躇すると思う。思いきる前に捕まえてしまえばいいのだから、十分抑止力になるだろう。
そして布靴。これは前世の靴みたいにしっかりした底のものじゃない。柔らかい革が一枚使われているだけなので、石が転がったりしている場所なんて痛くて走れない。
でも正直、私にとってはどっちも欠点になるようなものじゃなかった。
寝間着姿だって、前世だったら寝間着替わりのスウェットでコンビニまで行ってたんだもの。
それを基準に考えれば、別に下着姿でもないし、上からマントを羽織っているんだから恥ずかしいことはない……と思い込むことはできる。
靴も考えようによっては私に有利だ。
ただ悟られてはいけない。
私は、なるべくマントを掻き合わせて姿を隠すようにして、うつむいていた。
今のところ、私が恥ずかしがっていると、イサークは勘違いしてくれているっぽい。
「見えるかキアラ? できればお前には、ファルジアの左手側を遮るようにあの土人形を出してもらいたい。ルアイン側をせき止めることにもなるし、加減してやればファルジアの損失もそれほど酷くはないだろ」
イサークは、私に土人形を出せと指示して来た。
……こちらから言い出さなくてもいいのなら、楽だ。
「それなら師匠を貸して。師匠がいないとできないもの。あと、私が魔術を使うのは戦端が開かれてからにするから?」
「ふうん? まぁ縛ってるわけだからいいがな」
イサークはあっさり許してくれた。
こちらに探るような目を向けてくるのは、戦いが始まってからで本当にいいのかと言いたいのかな。
私のことだから、始まる前にファルジアを助けるために動くと思っていたのだろう。
そして私は待った。
攻撃開始の命令をイサークが下す。
双方ともにまずは矢の応酬が始まった。
その間にルアイン側は別働隊に進軍させたようだ。開けた場所の上、砦までが登り坂になっている分だけ戦場の様子がよく見える。
私は前を掻き合わせたマントをぎゅっと握った。
指先が震える。こうしている間にも、ファルジアの人が死んでいくことが怖い。
でもまだだ。動くべきはここじゃない。
ずっと私は、ゲームで見た俯瞰図を元に戦争を見て来た。知っていることを図にしてレジー達に見せて、意見をもらうこともしてきた。
その上で全部は理解しきらないまでも、アランやレジー、カインさんが話し合う戦術について聞きながら覚えたこともある。
より多くの勝ちをもぎ取れる瞬間を狙うこと。そのために待つべき時があることを。
ルアイン側に続き、サレハルド側が動きだしたことで、私は実行した。
「師匠を貸してください」
「ん? ああ、ミハイル!」
伝令に指示を伝えてたイサークが、傍にいたミハイル君を呼ぶ。そうして私を馬から降ろした上で別な騎士に私の手を縛った縄を渡す。
「兵が踏まれちゃたまらんからな。少し離れた場所で、兵も遠ざけろ。ミハイルはこいつにその人形をやれ」
「……いいんですか?」
「それがないとダメなんだとよ。逃げようとしても、どうせそう遠くには行けないだろ」
イサークの指示を受けて、ミハイル君が手を縛られたままの私が師匠を抱きしめられるように渡してくれた。
「反抗したら殴ってでも気絶させろ、たぶんそれで魔術も解ける。いいな?」
騎士に指示を出したイサークは、戦況の方に意識を向けた。
二秒だけ、そんなイサークの横顔をじっと見る。それから私は騎士に縄を引かれるまま、少し後方へ移動しながら師匠にささやいた。
「……師匠。ちょっと師匠にお願いしたいんだけど。土人形を操縦してみない?」
師匠はくくっと笑った。
「下準備は完璧じゃぁ、ヒヒヒッ。なにせ呪いの人形だと宣伝してやったんじゃからな」
「宣伝……ああそれで。でも脅さなくても……」
サレハルドの兵を怯えさせても仕方ないのではないかと思ったが、師匠の意図を聞いて私は納得した。
「一度でも助けられたと思えば、殺すのはお前の精神衛生上、抵抗があるじゃろ」
「……うん。師匠大好き」
思わずざらついた陶器みたいな頭の上にほおずりしてしまう。
「はっ。わしゃ『お祖父ちゃんだいすきー』と言われて喜ぶ輩じゃないがのぅ、今回はそれを駄賃の代わりにしてやるわ。報酬は後で取り立ててやるからの。……そのためにも、死ぬのだけは避けろ。ある程度はわしの方が動ける。こっちの動きは任せて、維持も限界が来る前にやめておくようにな。あとは土に埋もれておくから、掘り出すよう言うがいい」
「わかった」
憎まれ口を叩いた師匠は、そろそろ降ろせというように手足をばたつかせた。
サレハルドの騎士はそれを薄気味悪そうに見ている。
「急げよ?」
「がんばる」
騎士が周囲から兵士達を退ける中、地面に師匠を置いた私は、師匠の近くの地面に手を触れて魔術を使う。
地面からせり上がるように立ち上がったのは、師匠がめりこむように頭の上にちょこんと乗った土人形だ。形はやや土偶風にした。もうそれだけで、周辺のサレハルド兵が怯えてさらに後ろに下がる。
「呪いの人形だ」
って言葉が聞こえたところから、夜のお散歩の効果が口伝えでしっかりと広まり、師匠に怯える素地は出来上がっていたようだ。
私が左を指さすと、師匠は「イーッヒッヒッヒ」と高笑いしながら、私の方に手を伸ばしてくる。
そうして手を縛っていた縄を持つサレハルド騎士をむんずと掴み上げ、少し離れた場所にぽいと転がしてからルアイン軍の方に突撃して行った。
突然の身内からの襲撃にサレハルドの兵が驚愕の声を上げて固まり、ルアイン軍からは悲鳴が上がり始める。
「おおっといかん、大きくなったせいで感覚がおかしいのぅ」と言いながらよろめきながら進む師匠だが、たぶん足下の兵士達にその声は聞こえていないだろう。
師匠の突撃でルアイン軍が進む動きが止まった。
けれど同時に、ひどい貧血のような感覚が襲い掛かる。
「くっ……」
クレディアス子爵だ。
あちらの陣営とは100メル程度しか離れていない。それでは、クレディアス子爵の影響下だということはわかっていた。
でも逃げるのは難しい。
すぐさま逃げることに集中しないと距離は稼げないし、そんなことをしたらサレハルド側に止められる。
それならルアインを攻撃して、少しでもファルジア側を有利にしたかった。
サレハルドとしてもルアインの力は削ぎたいわけだから、全く利点が無いわけじゃないだろう。後の始末を押し付けても、イサークには怒っているので問題ない。少し苦労してもらえばいい。
ただ、子爵どさくさまぎれにこっちを攻撃するつもりだったのだろう。
渦巻く風に取り巻かれた魔術師くずれになった兵士が歩いてくる。
「……私が死んでも構わない、ってことかなこれ」
生け捕りにしに来るかと思ったが、クレディアス子爵も私を殺しにかかっているのかもしれない。
活動報告に「お見合いはご遠慮します」書籍のお知らせを掲載しております




