憎いと嫌いの違い 2
「なんで王様なのに、自分であちこち出歩いたりしたの?」
素朴な疑問をぶつけると、イサークは視線をさまよわせる。言いにくそうだなと私がわかるほどの間を開けて、ようやく口を開いた。
「…………自分であちこち見たかったんだよ」
たったそれだけの返事をするのに、どうしてためらうんだろうか。
「普通、王様や王子様ってふらふらしないものじゃないの? さすがに外に出るならお付きの人がぞろぞろついてくでしょ」
というか初めて会った時にも、私にそんなことを言ってたような。
王子だったのだから、乳母日傘で育ったのも納得だ。
「んなのいちいちやってられっかよ。それに俺は二番目の王子だからな、兄貴よりも融通が利いたから」
そんなものなんだろうか。私は王子様の生活なんてよくわからないし。
「だけどレジーはそんなことしなかったよ。外出時はちゃんと護衛も連れて行ってたし、邪険にするようなこともなかったけどな」
「お前のとこの王子は窮屈な奴だな。お行儀が良すぎる」
「品行方正って言ってよ。周りに迷惑をかけないようにする人なの」
「ずいぶん庇うんだな。好きなのか?」
聞かれて、思わず口を引き結ぶ。こんなにストレートに聞かれたのは、初めてだろうか。
つき合ってるのと聞かれたら、あっさり「違う」と答えることができる。エメラインさん達にそう答えたみたいに。
だけど好きかと言われると……。
「仲間だもの」
言葉少なく答えるしかない。
「普通よぉ、男と女で仲良くなれば、たとえ片方だけだったとしても恋愛に発展するもんだろ」
「保護者だもの」
「前もそうは言ってたな……」
それからも、イサークは館の階段を上りながら、出会った兵士や騎士達と立ち話をしていった。
兵士には「ご苦労」と言うだけだったりもするが、騎士を相手にした時は不思議な会話をしていた。
「陛下、魔術師殿を連れて歩いていいんですか?」
「いいんだよ。それより俺、こいつに命運預けることにした。ついでにあの件、実行部隊の準備をさせるよう、本国に知らせといてくれ」
「兄上が、また泣きますな……」
「涙もろかったのは、あの時限りだとは思うけどな。でもいっそ、それぐらいの方がやりやすいだろ、これから」
イサークは「じゃあな」と笑顔で騎士と別れたが、私はもやっとしたものを感じていた。
変な違和感が胸の奥にたまったような。
「イサーク、命運を預けるってどういうこと?」
「魔術師は、戦力的にはかなり強力だろ。しかもファルジアにはもう魔術師がいないとなれば、お前の働きに命運をかけるつもりでもおかしくはないだろ」
私はサレハルドの軍から脱走しようと思っているのに、彼は本気で私が従い続けると思っているんだろうか?
だとしたら、どうしてこうまでしてくれるんだろう。
魔術師として戦わせるだけなら、私の精神状態をここまで気遣う必要なんてない。
私がお兄さん代わりだと言ったカインさんを、殺そうとした罪滅ぼし? ただ気の毒になった?
「でもファルジアにはジナさんと氷狐がいるじゃないの」
「魔獣と比べられるかよ。あんな犬ころ相手なら、魔術師を相手にするより簡単に倒せるっての。とはいえ、やたら巨大化してたやつがいたが……あれは倒すのが厳しいか?」
イサークは師匠みたいにリーラ達を犬に例えたが、サレハルドではみんなそういう認識なのだろうか。というか、
「……巨大化?」
どういうことだろう。
「俺にもわけがわからんから聞いてみたんだがな……お前のせいじゃないのか?」
私は首を横に振る。全く身に覚えがない。
「そもそも魔獣って巨大化するの?」
「今まではそう思わなかったんだがな。実際に馬みたいにでかい氷狐を見た以上は、信じるしかないだろ」
どの氷狐かわからないけど、馬くらい大きくなったんだ……。一体何があったんだろう。
大丈夫かなジナさん……と思ったところで、イサークのお兄さんのことを思い出す。
ジナさんが好きだった人だ。さっき兄上が泣くとか騎士さんが言ってたけど、イサークのことで泣くって迷惑をかけられてってことだろうか。それともイサークが無理をしようとするから、心配してのことなのかな。
「そういえばお兄さんと仲、悪くないんだね?」
「表面的には悪いことになってる」
そう答えるイサークが階段を上り切り、扉を開ける。
すると建物の中ではなく、屋上に出た。
石造りの建物の一部だけをバルコニーのような屋上にして、その他は三角屋根になっている。確か町長の館だって言ってたから、物見の塔の一つとして、この屋上を作ったんだろう。
誰もいない屋上の中央まで進み出て、イサークは言う。
「ジナから聞いたんだろ? 俺にルアインの王族の血が流れていて、そのせいでサレハルドが面倒なことになったって」
「……うん」
そこには誰もいないのに、イサークは繋いだ手を離さずに、静かな声で話を続けた。
「昔から、俺は厄介者だった。ルアインがうちの王家に手を出せないよう、俺は役に立たない第二王子である必要があった。兄貴はそれを諌める第一王子でなければならなかった。お互いに不自由だと思ってたんだろうが、そうして誤魔化している間に父親がなんとかしてくれると思ってたが……。上手くいかなくてな」
ため息をついて話を続ける。
「兄貴にルアインの王女が嫁いできたら、ファルジアでの戦いが長引けば、結局はサレハルドの軍も参戦させられることになるだろう。それが分かってても、親父は手を尽くすことに疲れ果てて、もう諦め気味になってた。それなら元凶の俺がなんとかしたかったんだが、どうやったらサレハルドを守れるか上手い方法を思いつかなくてな」
そんな時に、イサークはたまたまミハイル君を見つけた。
「兄貴の侍従だったミハイルが、城の庭でぼんやりと物騒なことをつぶやいてたんだよ。それを聞いてな。いい案だって思ったから俺のとこにあいつを引き抜いて、実行することにした。全部まとめて始末するために……だから死んでくれと親父に言った」
イサークの父……サレハルドの前王のことだ。
「イサークはお父さんを、殺したんだっけ」
「実際には自殺だな。問題の解決のために、俺に一から百まで世話になるわけにはいかんとか言いやがって、自分で毒を飲んだ。優柔不断だと不満に思ったこともあったが……最期は立派な親父だったよ」
イサークは淡々と説明した。
見上げても、その横顔は苦しそうに歪んでいるわけではなくて。イサークはその時の苦しさを、もう乗り越えたんだろうかと私は思った。
「兄貴もそれを見ていた。自分自身を幽閉することにも賛成してた。親父もそうするよう勧めたからな。だけど……あの時初めて、兄貴が大人になってから泣いたのを見たな。全部俺に背負わせることになるとは、ってな」
お兄さんはイサークに汚名を押し付けることになってしまうから、それが申し訳なかったのかな……。
「サレハルドは、一度はファルジアに勝つ必要がある。だから前回の戦いでは、主にお前を潰すつもりでミハイルに策を練らせた。その上で、子爵からお前をかっさらえば、ファルジアを敗退させられるわ、こっちも魔術師を手に入れたんだからっつって、ルアインを威圧できると踏んだんだがな」
「え……。そうしたら私を捕まえたのって、たまたまじゃなくて?」
「偶然じゃない。俺は最初から魔術師キアラを捕獲するつもりだった。……殺すつもりはなかった。だが、こっちの意図を外部の人間に悟られるわけにもいかなかったからな。部下の誰かがルアインと通じていない保証もない。俺とミハイルの策は、芯のところはわずかな身内にしか教えていないんでな」
そこで「ああ、これでお前も入るのかな」とイサークが笑う。
イサークの笑みが屈託が無くて、まるで殺し合いの話をしているように見えない。
カインさんを、そのために殺そうとしたのに……。私も、イサークに怒る気持ちがしぼんで行く。
イサークの行動が、故郷を守るためだったから?
クレディアス子爵が憎いと思うのは、彼が自分のためにレジー達を殺そうと言ったからだろうか。
「……そこまで私に話したのは、ジナさんから概要を私が聞いてたからなの?」
「まぁな。ジナがそこまでお前を信用してるんだったら、とは思った。あとは……そもそもファルジアに一度は勝つためと、戦後にお前の身柄を使ってサレハルドを優位にするつもりでお前を捕まえたからな。むやみに暴れないようにするには、話しておいた方がいいと思った」
私は目を見開いた。
「……私を、帰すつもりだったの?」
サレハルドが優位になる条件を引きだしたいなら、私をファルジアに返さなくちゃいけない。
「帰りたくないのか? ってか、ジナから聞いたんだろうが。時期を見てサレハルドは負けるつもりだって」
「聞いたけど……」
「お前は負けた後の交渉材料のつもりだったんだよ。だがお前がぼろぼろになったら、むしろこっちがふんだくられる材料になりかねないからな。ウシガエル子爵に対しては、もっと備える必要がありそうだ」
イサークの意図はわかった。
誰も盗み聞きできない場所で話したことからも、おそらく嘘ではない……と思う。
殺すつもりはなかったと聞かされて、安心した。カインさんを傷つける結果になった理由も納得はできた。
だけどイサークの案のまま動くわけにはいかない。
このままファルジア軍とぶつかることになれば、あちら側がどれだけ被害を受けるかわからないから。
幸いなことに、エイダさんのおかげでクレディアス子爵の能力についてはわかった。けど、子爵本人が攻撃魔術を操れないとしても、魔術師くずれを大量に造り出されたら、兵士達の損耗がとんでもないことになる。
特にクレディアス子爵は人を魔術師くずれにすることを、なんとも思っていないだろう。だからこそ兵士を大量に魔術師くずれに変えたりできたのだ。次の戦いでも同じようなことをするんじゃないのかな。
やっぱり、サレハルドとの戦いが終わるまで待てない。
それじゃ間に合わないかもしれないから。




