世の中には避けられないことがあるらしい 2
今回R12ぐらい?な要素が入ります。
「え、何?」
「ミハイル、誰なのか見て来い。人形はこっちに寄越せ。念のため隠す」
「ぽいっ」
「ちょっ、またわしを投げるなっ!」
イサークに命じられた瞬間、ミハイル君がイサークに師匠を投げ、受け止めるのも確認せずに扉を開けて外を確認する。
イサークは「黙ってろ」と言って、師匠を寝台の下に隠した。
「イサーク様、件の子爵です。間もなく上がってきます」
ミハイル君がそう言って扉を閉め直した。
私は肩を縮めた。
まるで私が目を覚ましたのを待っていたかのようなこのタイミング。気持ち悪いし、こんな状態が悪い時に会いたくない。
抵抗できずに、子爵に変なことをされたら、逃げられない。
ふと脳裏に過るのは、最近良く見る夢の中のことだ。
私は心底クレディアス子爵が怖くて、嫌悪していて。
でもどうしようもない状況になった後で、深く絶望してた。もうこの体に染みついた汚れは落ちないと思ったから、死ぬしか逃げる手段を思いつけなくて。
だけど……あの人と一緒にいる時だけは、それを忘れられた。
傷をなめ合ってるだけだってわかっていたけど、それでもお互い以外にわかり合える相手がいない。だから会うのを止められなくなっていて。
もし私が学校を逃げださなければ、そうなっていたんだろうか。
気づいたら、イサークが寝台に上がってきて、私を上掛けでくるむように抱きかかえて座った。
殺されかけた相手に拘束されて、私は何をされるのかと怯えた。
「さっき言った通り、引き渡されたくないなら大人しくしていろよ。俺が何をしても従っとけ。とりあえず俺の言う通りにしろ」
何をするつもりなのか。聞くより先に、部屋の扉が開いた。
「ちょっ、いきなり入ってきてどなたですか!?」
人が来てるとわかっていたのに、ミハイル君は心底驚いた表情で入って来た相手に抗議する。
部屋に踏みこんできたのは十人の男達だ。
クレディアス子爵とそれに従っているらしい黒いマントのルアイン兵。それを追ってきたらしいサレハルドの兵だ。
この部屋が広めで本当によかった。先頭に堂々と立っていたのはクレディアス子爵で、その顔を間近で見たら悲鳴を上げていただろう。
だって遠目でも、なんか目が血走ってそうなのがわかる。ウシガエルみたいな目がかっと開かれて、瞬きの回数が少ないってすごく怖い。
その視線が、私一人に向けられている。ぞっとした。
でもイサークは私を捕まえて離さない。庇われているのか逃げないようにされているだけなのかわからなくて、不安でたまらない。
イサークは余裕をにじませた声で対応した。
「おやおや突然の訪問だな、クレディアス子爵殿。俺に何か用かな?」
「元々私の花嫁になる予定だった娘ですので。迎えに来た次第です」
言われたイサークが小声で私に聞く。
「おい、本当か?」
「結婚前に逃げたけど、もう二年前だし別人ってことになってるから関係ない」
イサークは鼻で笑ってクレディアス子爵に視線を向ける。
「この娘は該当者ではないと言っているぞ。それに、ファルジアでは重婚が可能だったのか。確か細君がいたと思うが」
え、子爵って結婚してたの? ……誰だろうその気の毒な人は。ていうかまさか、魔術師にしようとして結婚したのかな? じゃあ王妃の側には私じゃない魔術師がいるってこと?
「婚儀をすっぽかされましてな。その償いも求めたいところですし、なによりこの娘の養父から、見つけたら家に連れ戻してくれと要請されております」
クレディアス子爵は笑みも浮かべずに淡々と言葉を並べた。
「それに……魔術師としても、私の支配下に置くべきものでしょう。イサーク陛下。あなたではその娘を制御できますまい。回復次第すぐに反抗し、お命を奪う機会を狙われることでしょうな」
だけど目だけが、私からそらされない。
どうしてこの人は、私ばかり見るのか。魔術師になったから?
「いいや、俺に従うと約束してくれたばかりだ」
イサークは約束通り庇い続けてくれる。でも、実力行使で出られたらどうするんだろう。様子を見守っているサレハルドの兵士達と戦わせて、どうにかするつもりなんだろうか。
「危険です。怪我をされてからでは遅いのですよ」
「信じられないか? むしろ何なら信じるんだ?」
クレディアス子爵がようやく焦れた様子を見せた。わずかに顔をしかめて言った。
「恭順の態度が見られればとは思いますがな。おそらく無理……」
「なら、その目で見ていけばいい」
子爵の言葉を遮るように言ったイサークは、我慢しろとささやいて――私の服に手をかけた。
え、何するの!?
抵抗したかったけど、寝たきりから復活したばかりで動きも鈍い。その間にイサークの腕で体が押さえられ、えりぐりの大きな衣服のボタンが二つ三つと外されていく。
「……っ!?」
ようやく腕が動いた。私は思わずイサークを叩こうとして……自分の手を見て気づく。
まだレジーにもらった指輪をしていた。
イサークは外さないでいてくれたんだ。
レジーに、これはお守りだと言われたことを思い出す。
今ここでイサークを叩けば、彼に従っているようには見えなくなるだろう。
そうしたらこれ幸いとクレディアス子爵に連れ去られて、ゲームのようにファルジアと戦わされて……アラン達に殺されるんだろうか。
レジーはそうして欲しいと望まない、と思う。
もしこれがレジーだったとしたら、私は何があっても生きていてほしい。多少のことは犬にかまれたようなものだ。レジーが無事でいること以上に、大事なことなんてない。
なによりクレディアス子爵の場合、あの目つきからしてふりだけで済むわけがない。
ほんの少し、我慢するだけ。
イサークも怖いけど、それでもクレディアス子爵よりはマシ。子爵から守ってくれると言った。それを信じるしかないから。
逡巡した私に、イサークが他の人間にも聞こえるように言った。
「ほら、大人しくしてろ……約束しただろう?」
持ち上げた手が捕まえられて、イサークの肩に頬を押し付けるように、クレディアス子爵達から背後を向かされた。
暴れたい。でも暴れない方がいいかもしれない。戸惑ううちに、肩を露出させられる。
見知らぬ人にまで肌を見られてるのかと思うと、本当に涙が溢れてくる。
やだ、と思った時「ごめんな」というつぶやきとともに、イサークに首に噛みつかれた。
……狼みたいに首を食いちぎって殺されるかと思った。
ほんの少し痛いだけだったのに、怖くて声を上げてしまった私の背中を、イサークが撫でるように触れる。
爪を立てたりしないのに、一撫でごとに恐怖が煽り立てられた。
どうしたらいいのかわからない。
だから結局は、イサークにしがみついて耐えるしかなかった。
「ほら、抵抗しないだろう? これだけ回復してたら、子爵が同じことをしようにも死ぬ覚悟で暴れるだろうよ」
イサークが挑発するようにくくっと笑う。
「さぁわかったら引き上げてもらいたいな。これから俺はまだ楽しむつもりなんだが、見られながらする趣味はないんだよ。……ミハイル、客には引き上げてもらえ」
後ろを向いていたからわからなかったけれど、クレディアス子爵は何も言わず、どうやらサレハルドの兵とミハイルに促されて部屋を出て行ったようだ。
複数の足音が遠ざかり、扉が閉じられ。
すぐにイサークは私の衣服を直して、下に落ちていた上掛けで首まで私をくるんだ。
「泣くなよ。……悪かったな。あいつをやり過ごすためだけだ。もう何もしない。予想通り、ショックを受けた顔をして出て行きやがったからな」
謝ってくれるけれど、私の涙が止まらなくて。
イサークはため息をつきながら、目元を指先で拭った。だけどその指も怖くて、ぎゅっと目を閉じる。
「……そんなに俺が嫌か?」
「嫌とか、考えたこと、なかった……けど」
嫌いになりたくなかった。悩んでいた時に、助けてくれた人だから。
だけど無理だ。もう私の心がいっぱい過ぎる。
「こんな酷いことをするイサークは嫌。カインさんを殺しかけたり、エヴラールやレジーと敵対するイサークは嫌い」
言い始めると、だんだん止まらなくなって今までの不満が噴き出した。
「嘘をついたイサークは嫌。なんで敵なのに私に接触してきたの? なんであんなに優しくしたの。お菓子くれたり庇ってくれたり。なのに戦わなくちゃいけないとか。お兄さんや国を守るためにファルジアに侵略するとか。なんでそんなことするの。なんでさっきもあんなこと……っ」
あとは嗚咽交じりになって、自分でも言葉にならなくなった。
それも悔しくて。だけど自分じゃどうにもできなかったことが分かっているから、泣くしかないんだ。
嫌だ嫌だと言われたのに、イサークは怒らずに聞いていた。
「お前に接触したのはな。魔術師を見かけたから、好機だと思って攫おうとしたんだ」
私の言葉が途切れると、イサークは一つ一つ答えてくれる。
「だけど泣いてる女を無理やり連れて行けるかよ……。それにお前の場合、魔術はたいしたもんだと思うが、精神的に弱いことはわかったからな。どうにでも勝つ方法はあるだろうと思ったし、迎えが来たからな」
合間に、抱えた私の背中を叩く。
最初はさっきのことを思い出して緊張したけれど、守るように上掛けで厳重にくるまれたことと、子供をあやすような手つきに、少しずつ落ち着く気がしてくる。それが悔しい。
「俺の兄のことも口にしたってことは、ジナ達から話を聞いたんだな。俺がルアインの侵略に手を貸した理由とか。……俺は国を守りたい。救いたいと思ったら、こんな手しかなかった。……それも、初めは俺が考えたわけじゃないんだけどな。ミハイルが考えついて、俺がそれに乗ったんだが」
あとはあれか、とイサークが続けた。
「泣いていたらどうにかしてやりたいと思うぐらいには、お前に情を持ってるんだろうな」
情って、友情とか、同情とかそういうもの?
でも聞き返せない。そうだと言われたら、また私はイサークのことを友達だと思っていいのかと考えてしまう。あんな風に裏切られたのに。
「……なんでカインさんを殺そうとしたの」
どうしてもそれが私の心に引っかかった。それがなかったら、イサークのことをこんなに恨まずに済んだ。
「俺も都合があってな。一度は勝つ必要があった。それに魔術師を捕まえたなら、ルアインもこっちの働きにもう文句は言えなくなる。お前を守ってたあの男は、一緒に囚われるような穏やかな人間じゃない。お前が捕まれば死ぬだろう……今も生きてるかわからんが」
「…………」
それについては反論できなかった。たぶん私が先に捕まっていたら、カインさんは責任を感じて自害しかねない。
でもやっぱり、殺されそうになったことを思い出すと、もうイサークを前みたいに優しい人だと思うことはできなかった。
少しの沈黙の後、イサークは小さく笑う。
「カインて奴はお前の何なんだ? 男か?」
「……お兄さん、みたいな人」
「あの時もそんなこと言ってたっけな。じゃあレジーって……レジナルド王子のことか? そっちがお前の男か?」
「レジーは、私の保護者だもん」
変なことを聞くなと思いながら答えれば、イサークは面白がるような顔をした。
「レジーって愛称で呼んでんのな、お前。そんなに特別か」
特別と言われて、なぜかカッとなった。
自分でもよくわからない衝動に押されて、身じろぎして反転し、イサークの肩を平手でぱたぱた叩く。
「ばか……ばかっ、ばかイサーク!」
「いて、いてていて! あ、ひっかきやがった」
それでもさっきのように、イサークは止めたりしなかった。
なされるがままのイサークに、なけなしの反撃も尽きた私は、またぼろぼろと涙が出てきてしまう。
どうして叩かれるままになってるの。カインさんのことは殺そうとしたし、アランの軍にだって攻撃をしかけてきたのに。
私に悪いと思っているからだと思うけど、その優しさが……憎らしい。
暴れなくなった私を、イサークはだだをこねる子供を守るように抱きしめた。
「恨んでもいい。俺は……お前よりも、自分の国の方が大事だ。だけどあの子爵に連れていかれないようにだけはしてやる」
そしてイサークは、私が寝つくまで側にいたようだ。
「まだファルジアとのにらみ合いが続いてるからな。しばらくリアドナから動かんだろ。今晩にも俺がいる館の方に運ばせろ、ミハイル」
「場所を整えて……日没までにはどうにかしましょう。あの様子では……。目つきがすごかったですね。特に陛下が噛みついた時とか、視線で殺せるものなら、そうしていたんじゃないかって感じでしたよ」
「だろう? しっかし凄まじく執着してるな……なんでだ?」
「僕だって知りませんよ」
うとうととしながら、私が眠ったと思って会話をする二人の声を聞いていた。
やがて会話も途切れ、もう誰もいなくなったと思った時、イサークが近くでささやいた。
「どうせなら、俺を滅ぼすのはお前がいいな」
そう言ったイサークの指先だろうか。私の前髪を撫でて、離れていった。




