世の中には避けられないことがあるらしい 1
「お、なんだ元気そうじゃねーか」
ノックも無しに扉を開けて入って来たのはイサークだった。
カインさんを刺した光景を思い出し、私は思わず肩に力が入る。
助けたらしいことから、私をすぐに殺すつもりはないだろうけど、でも不安がこみ上げてきた。
それに「あの嗜虐性の強い子爵の元に行くのと、そう変わらない状態になるかもしれないが、それでもいいのか?」って言ってた。
鞭打たれたりとかするんだろうか。私が絶対イサークに従うって納得できるまで?
一度お友達になれたかもしれないって思った分だけ、豹変されたことが心に刺さって余計に不安になる。
怖い、と思って思わず師匠を抱きしめてしまった。
「安心せい。身の保証はわしがなんとかしておいた」
ぼそっと師匠が告げてきた。
何のことだろうと思っているうちに、ミハイル君を従えてさっさか部屋の中に踏みこんできたイサークが、あっと言う間もなく師匠を取り上げる。
「お前が管理しとけミハイル」
ぽいと投げてよこされて、ミハイル君は慌てて師匠をキャッチした。
「ちっ、人質にするつもりなら、もっと丁重に扱わんかい」
「……というわけだキアラ。お前の師匠とやらは、お前が逃げだしたりしないようにするための、人質として預かっておく」
「え!?」
身の保証ってそういうことだったの!?
「お前が妙なことをしたら、師匠とやらは即壊す。だから大人しくしてろよ」
私は黙ってうなずいた。
確かに師匠はちょっと頑丈な焼き物程度の強度だ。斧なんか使われたら壊れてしまうだろうし、中に入っていた魂もどっかに飛んで行ってしまうかもしれない。
……何かの隙を見て、どうにか師匠を補強しておかなくちゃ。
心の中で固く決意した私の枕元に、イサークは手をついて顔を近づけてくる。
もう片方の手で顎に触れられて、肩がひくりと動いてしまった。
「すげー怯えようだなキアラ。お前、前会った時は自分が強いって言ってたのにな?」
あの時は、あんなにも優しかったのに、今は面白がるような表情で挑発するような言葉しか口にしない。これが本当のイサークだった、ってことなんだろうか。
でも……なんだか、ムカついた。
どう考えても抵抗できない状態の小娘を、ここまで脅す必要なんてないはずなのに。
「今の私は、魔術一つ使えやしないわ。あまりつつくようなら、適当に魔力を使って自壊するわよ」
せっかくなんとか生き残ったんだ。やすやすと師匠を死なせたくは無い。
だからすぐにどうこうする気なんてないけれど、捕まった以上、私が対価として差し出せるのは魔術だけだ。逃げる場合にも、魔術を使えなければならない。
だから魔術を使えない状況にされないよう、釘を刺しておくべきだと思った。
「ふん? まぁお前の場合、あの騎士を目の前で刺した時の様子からすると、乱暴に扱えばすぐ死にそうだからな」
顎をとらえていた指先が、つ、と動いて頬をなぞる。
「俺を出し抜こうとするなら、それなりの手を考える。抵抗する気がなくなるようにする方法はいくらでもある。……知りたいか?」
「嫌」
即答した。
王様の顔をしたイサークが提案することなど、絶対ろくなもんじゃない。カインさんに、私を殺せば助けてやるだなんて言った人なんだから。
「まぁそう言うなよ」
イサークはさっきより、楽しそうな表情になった。
「聞いたら絶対に大人しくなる話があるんだ」
「やだ聞かない。とんでもないことに決まってるもの!」
「聞いておいた方がいいと思うけどな。……その服、誰が着替えさせたと思う?」
「……はあっ!?」
今着ているのは、確かに見覚えのない柔らかい麻の寝間着だ。たぶん町の人のものを拝借するなりしたんだろうと思うけど。
着替え!?
私は思わず部屋にいるミハイル君を見た。彼だったとしてもちょっと……と思ったけど、ミハイル君はとても気の毒そうに首を横に振る。
「誰か女の人……」
「いるわけないだろ。町の人間は、作戦の邪魔になるっつって近くの町に俺が追い出したんだ。巻き込まれて死ぬよりマシだろって思ってな。優しいだろ? それにお前のためだけに、強制的に面倒を見る人間を連れて来ればいいのか?」
……町の人を捕まえて、労働に従事させようとは思わない。
思わないけど、それってまさか。
「他の兵に任せて、身の安全は保証できないからな? 俺って優しいだろ」
「つまり……イサーク……が」
「そう俺様。見慣れてるから気にすんなよ? だが逃げ出すようなことがあれば、ファルジアに向かって叫んでやるからな?」
「……!!」
いやあああああっ、イサークに裸見られたってこと!? うそうそうそ!
叫びたいのにショックすぎて声がでない。
口を開け閉めしながら涙目になる私に、イサークはちょっと横を向いて噴き出して笑い出した。
「……う、うそ?」
笑うってことは嘘なんでしょ!? そう思ったのに、イサークは無情にも「本当だ」とばっさりと切り捨てた。
容疑が確定した。その瞬間私はようやく絶叫した。
「は、破廉恥! バカ! うそおおおおっ!」
ついでに手も振り回した。
ばちばちと顔や手に当たったからだろう、イサークが慌てて身を引いたけど、気にせずまだ手を振り回して、泣きながら怒りのあまり叫んだ。
「うわーんお嫁に行けないーっ!」
「だから大人しくしてたら黙っててやるから」
「信じられないぃぃぃ!」
「なんだったら俺がちゃんとした相手を紹介してやるから」
「イサークの知り合いなんて、みんな破廉恥な人に決まってるでしょおー! もう一生独身貫いてやる! でもその前に秘密を握ったイサークを抹殺する……」
イサークを睨めば「囚人のくせに犯罪予告かよ……」と呆れられたけど、知るものか。
「なんにせよ、それだけ怒って何もしないんだから、本気でお前魔術使えないのな」
「さ、さっきからそう言ってるでしょう! ぐすっ」
「どうぞ」
「ありがとう」
そこへ気が利くミハイル君が、ハンカチを差し出してくれた。泣いて鼻水がひどくなってきたので、盛大に音をたてて鼻をかんでやった。イサークが心底嫌そうな顔をする。
「おま……嫁に行くよりも、女としてこう……」
「囚人だから知らないもん」
「もん……。子供かよ」
イサークは深いため息をついたが、私はそれなりに酷い目に遭ったと思うし、今でもカインさんを傷つけたことは怒っている。かといって身の危険満載の状態に置かれたいわけでもない。
だってカインさんが死にかけてまで守ろうとしてくれたんだ。今、彼がどうなったかわからないけど、生き残ったのならせめてその分ぐらいは、生き足掻かないと申し訳ないじゃないか。
……そうしたらこれぐらいの報復で矛を収めるしかない。
本当に怒らせて、刺し殺されては困るから。
一連の出来事を見ていた師匠が、なぜか「ウッヒャッヒャッヒャ」と笑っている。きっとイサークにザマミロ! と思っているんだろう。師匠はもっと笑ってもいいよ。とてもバカにしているっぽくて私も胸がすっとするから。
なんだか疲れた表情でイサークが私に言う。
「まぁなんだ。とっとと回復しろよ。サレハルドに協力するって条件で助けたんだからな。いくらなんでも一度は戦に出てもらいたい」
「……私を働かせたいなら、クレディアス子爵を近づけないでほしいんだけどっ」
こうなったら不都合なことは忘れるに限る。そう決めた私は、強気で要求した。
クレディアス子爵の件は、命と人生に関わる切実な問題だ。
脱走するにしても、できなかったにしても、それを守ってもらえないと私は何もできない。だから注意したんだけど。
「なるべく善処している。とりあえずお前の居場所を、俺と離してすぐにわからんようにしておいたんだが」
「あ、それダメ。魔術師同士は居場所がわかっちゃう」
「……げ!? なんだそれ。隠しても無駄ってことだろ!」
心底驚いたイサークに、舌を出してべーっとしてやりたいが、でもその分私に危機が迫る確率が高くなるのだ。鼻で笑ってる場合じゃない。
というか味方にクレディアス子爵がいたんだから、知ってるものだと思ってた。
イサークが自分の頭を掻きながら渋い表情になる。
「俺の側に置くしかないのか……。なるべく早く移動させるか。ミハイル、手配しとけ」
ミハイル君が「わかりました」と言うのを聞いてから、イサークが付け加える。
「万が一の場合には、だ。俺の言うことを聞いて、嫌でも従え。あのウシガエル子爵の囚われの身になるよりマシな待遇は約束してやる」
真剣な表情に押されて私はうなずいた。
でもその時、建物の階下が騒がしくなる。




