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夢はいつでも優しくて

 私は、水の中でたゆたっているような感じがしていた。

 魚というよりも、例えるなら海草になったような、そんな気分だ。

 ゆらゆらと揺れる私の横を通り抜けて行く水の流れは、時々様々なものを映して見せるように、頭の中に映像がひらめく。


 小学校の時、家族で行った海、山。

 お父さんは山が好きで、泳ぎは得意じゃないからと海では女の子みたいにパラソルの下から出てこなかった。

 代わりに私を背中に貼りつかせて、泳いでくれたのはお母さんだ。


 小学校の卒業式。

 お母さんと近所のショッピングモールで買ったワンピースを着たけれど、ちょうど雨の日で、うっかり跳ねた泥で汚して泣きたくなった。

 お母さんには「汚れが目立たない黒にしなさいって言ったのに」と言われたけれど、お父さんが可愛いお洋服が台無しになって悲しかったねと、慰めてくれた。


 どこかお父さんの方が乙女な感じだったけど、反抗期になってから、静かに諭してくるお父さんの方が少し怖いなと思うようになったんじゃないかな。

 むしろお母さんの方が、私の扱いに困ってお父さんに慰められてた。

 懐かしい私の家族。

 もう会えないのかな。


 悲しくなるたびに、目を覚ましたらあの懐かしい世界に帰れるんじゃないかなと、期待しそうになる。

 もう一度やり直せるなら、あんなにお母さんを悩ませたりしないのに。お父さんに肩たたきしてあげたりして、もうちょっと大好きだって伝えられたのに。


 ――もう一度やり直せるなら。


 そんな言葉を、誰かに言われた気がする。

 つぃっと、魚が素早く過るように目裏に蘇るのは、自分をじっと見る水色の瞳。

 絡みつくように握りしめてくる、私よりも大きな手。


 その人の暖かな体を、最初は怖いと思ったんじゃなかっただろうか。

 警戒する猫の子を慣れさせるように、何度も膝の上に抱きしめられたような記憶があるような気がする。


 ――そんなに好きだってわかるぐらいにすがりついてくるのに、話せないのかい?


 首にしがみついていたらそんなことを言われて、でもやっぱり口には出せなくて。

 助けたくても、従わされてしまえば何もできない。

 助けられたくても、相手が死ぬまで縛られる呪いが相手では、彼にもどうにもできない。

 彼も、そこに囚われるしかない人だったから。


 ――私を悩ませたくないんだね。


 うなずくと、わかっているよと微笑んでくれた。

 言わなくてもわかってくれる。それは私が素直過ぎるからだと彼は言う。

 理解してくれるけれど、だけどそれだけでは八方ふさがりなのは変わらない。彼も同じことを考えていたんだと思う。


 ――どうせ逃げられないんだったら、二人で……。


 

 そこでふっと、たゆたっていた体が浮くような感覚に襲われた。

 海底に根を張っていたのに切り取られてしまったように、不安になる。


「犬畜生にできて、わしにできんことはない!」


 その声がとても懐かしい。


「傷は塞がったけど……」


 聞き覚えがない男の子の声がする。


「目を覚まさせればいいのか?」


 力に満ち溢れたような声がそう言うと、誰かが慌てた。


「乱暴なことをするなと言うておるだろうに、この野蛮人め!」

「わーかってるっての。加減するって」

「そういう問題じゃないでしょう……ああ、また熱が」


 ちょっと水面に浮きかけたのが、また少しずつ沈んで行く。

 少しほっとする。

 底についたら、また暖かい夢が見られるかもしれない。


「おいキアラ。目を覚まさなかったら、この人形壊してやるからな」


 ……脅しなんだろうか。胸が痛む。

 壊してほしくない。だけどここからどうやって出ればいいの?

 じたばたともがきたいけど、私は海草みたいなものだもの。沈むままになる以外に何もできないのに。


「あの騎士、追いかけて行って殺してもいいんだぞ?」


 やめてやめて、と思う。

 だけど無理。叫ぶ声も出ないもの。

 それに騎士って誰? とても大事だって気持ちはあるのに、名前が思い出せなくて。


「わかった……最終手段をとる」

「何か策でも?」


 問われた人物が、自信ありげに答えた。


「お姫様ってのは、王子様のキスで目を覚ましたい願望があるんだろ?」

「アンタ王様でしょうが……」

「こまけぇんだよお前」


 苛立つ声。そしてなんだか触られているような感覚がある。

 海草だった私に手足や頭があると初めて認識できたような、不思議な気持ちになったのだけど。

 くすぐったい感覚が触れたのは、どこ?


 その瞬間脳裏にひらめいたのは、指先で唇に触れた人の顔、そして一瞬だけ、唇の端が触れあって間近で目を合わせた――。


「く、くぅぅぅっ」


 声が出なかったけど、手が動いた。思いきり突き飛ばすつもりで伸ばした手が、何かに当たって、


「うげっ!」


 誰かの叫び声が聞こえたけれど、その一瞬後に私の意識は再び暗転した。


   ◇◇◇


 眠ったまま、反応も見せなかったキアラが、小さく呻いた気がした。


「お、起きたか?」


 覗き込んだイサークは、突然動かされた手で顎を叩かれた。


「うげっ」


 予想外の攻撃にがくんと頭が揺らされて、一瞬だけ意識がとぎれそうになった。顎を押さえてもう一度キアラを見た時には、彼女はまた眠っていた。


「よっぽど嫌だったんですねぇ……」


 金の髪のミハイルは、実に哀れなものを見る目をイサークに向けていた。


「こんな脅しが効くとはの、ウッヒッヒッヒ」


 土色の人形が、神経を逆なでするような奇妙な笑い声をたてる。

 脅しの一環のつもりで、唇に指先で触れたのは、この人形の提案だったのだが。

 ふとイサークは、その人形の背中の辺りに模様に隠れてヒビが入っていることに気づいた。


「おい、背中にヒビがあるぞ」

「あ、本当ですね」

「……むぅ」


 自分の背中を見ることができないホレスという名の人形は、呻く。


「大事ない。弟子が起きれば何とでもなる」


 そう言うのならば、そうなのだろうと思うしかない。イサーク達には魔術のことはよくわからないのだから。

 昨日だったかも、この人形が必死にキアラにくっついていたのは、結局何をしていたのかよく理解できなかった。


「犬畜生にできて、わしにできんことはない!」


 というからには犬には何かができるのか?

 とにかくその後、広がらなくなったものの、治り切らなかった傷がきちんと消えたことも、うめき声を上げる程度にはキアラが意識を取り戻しそうになったのは確かだ。

 ついでにショックを与えろと言われて、脅してみたら殴って来たので、キアラは目覚めそうになったのだと思ったのだが……。


「これ、また昏睡してんのか?」


 キアラはまた静かに眠っている。


「さっき一度は目を覚ましかけたんじゃ。魔力も安定してきておる……。このまま休めば起きるとは思うが」


 そこで言葉を切ったホレスは、あのどこを見ているかわからない一本線の目をイサークに向けてきた。


「お前さん、あの子爵だけは近づけるでないぞ」

「わかってるって。自分で脅しておいてなんだが、とんでもない奴隷扱いになりそうなのは予想がつくって。俺もサレハルドのために働いてほしいわけだから、渡す気はないんだが。ただなぁ。あいつのキアラの執着っぷりがな」


 一度、ルアインの将軍と会う用事があった時のことだ。

 そこにあのクレディアス子爵がいた。

 イサークはキアラのことを隠すかどうか迷っていたが、打ち明けることにした。

 内密にしておいて、後でクレディアス子爵が所有権を主張してきた時に対処するより、自分が倒して降伏させたので自分の物だ、と今のうちに認めさせた方がいいと考えたのだ。


 その時はクレディアス子爵は何も言わなかった。

 魔術師を手に入れたということで、ルアインの将軍の方が若干悔しそうにしていたぐらいだったのだが。

 解散する時、子爵が言ったのだ。


「私ならすぐにも回復させられるだろうがね」


 どうやら見てもいないのに、子爵はキアラの状態について予想がついているようだ。


「あいにくと、あの魔術師の問題は怪我の方なんでね。俺でも十分対処できる」


 と答えたのだが。

 魔術師についてはわからないことだらけだ。

 とにかく今は、この奇妙な人形の言う通りにするしかないのだが。こうして待つ時間というのはまどろっこしくていけない。


「早く目を覚ませよキアラ」


 ささやいても、彼女はまだ目を開けない。

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