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閑話~その手は届かなくて 3~

「殿下、お待ちしておりました」


 砦の小さな礼拝堂で待っていたのは、ジナとギルシュだった。

 膝をつく二人を立ち上がらせると、レジーはすぐに尋ねた。


「まずは氷狐のことを聞こう」


 リーラという氷狐がなぜ巨大化したのか、その理由を詳しく聞いていなかったのだ。

 ジナがうなずいた。


「私も理由がわかっているわけではないのです、殿下。ただギルシュがカインさんの手当をしている時にリーラが身を乗り出してきて、血がついているカインさんの服を舐めたとたんに……あのように」


 巨大化したというわけだ。

 レジーは考えた。

 血を舐めた程度で、魔獣が劇的な変化をするものだろうか。むしろ巨大化したということは、リーラの力が増したということではないか。

すると、ウェントワースをキアラが治癒させたことにかかわりがありそうな気がしたのだが。


 そこで思い出す。

 フェリックスを治療した時、キアラが自分の手を切って血を傷に触れさせながら行ったという報告を聞いたのだ。きっと治療にはそれが必要だったのだろう。なら、ウェントワースにも同じようにしたはずだった。


「キアラの血……か?」


 血には微量ながら自分の魔力がこもっているらしい。だから土人形などを作る時にも、血を使うと楽なのだと聞いている。

 そして氷狐は魔術師に懐きやすく、キアラに寄り沿ってはその魔力をわずかに得ていたと聞いた。

 それなら、リーラが巨大化した原因はキアラの血で間違いないだろう。


 心の中で結論づけたレジーは、「状況はわかった。ありがとう」と立ち去ろうとした。


「あの、殿下」


 そこでジナが呼び止めた。

 振り返ったレジーは、続けてジナから意外なことを聞かされたのだった。



 翌日、リアドナにいたサレハルドとルアインの軍は、さらに北へと移動して行った。

 これで警戒も少しは緩められる。

 ほっとする中、夕刻頃にウェントワースが再び目覚めたという連絡を受けて、再び彼の眠る部屋を訪れた。


 ウェントワースについていた看護の兵も遠慮させ、グロウルも扉の外に待機してもらっている。

 二人きりになった部屋の中で、レジーはウェントワースが横たわる寝台の側に歩み寄る。

 そして傍らにあった背もたれのない簡易椅子に座った。


 ウェントワースは、昨日よりは幾分顔色がいいような気がした。

 やや赤いのは、怪我で熱が出ているせいだろう。

 それでも話したいことがあると呼んだのはウェントワースの方だった。レジーはその内容を察して、二人きりになることを選んだのだ。

彼はレジーが予想した言葉を口にする。


「殿下、回復しましたら、私にキアラさんの救出をお命じ下さい」

「ウェントワース。無理はしなくていい。責任を感じているのはわかるけれど、君が単身で潜入することも難しいだろう」


「しかし誰かは彼女を助け出しに行かなければなりません。さもなければ、我が軍は相当な痛手を受けます。ホレスさんが、クレディアス子爵は直接的な攻撃を行う魔術は使えない代わりに、魔術師くずれを操る術を持っているのだろうと推測していました。実際、十人もの魔術師くずれと戦うことになって……」


 なるほど、エニステル伯爵からもあまりに多数の魔術師くずれがいたことと、クレディアス子爵とともにキアラを追いかけていったことを聞いたが、子爵が操っていたのだ。

 それを戦闘で使われたなら、かなり厳しい状況に立たされるだろう。


「魔術師無しでは、それに対抗し続けるのは難しい。そうなれば勝利どころかアラン様や殿下さえも、失いかねません。だから最悪の場合はキアラさんを……」


 キアラを、殺すというのか、とレジーは冷静にその先を予想した。

 本当は、ウェントワースもそんなことは言いたくないのだろう。

 けれど軍全体として、そしてエヴラール領の騎士として優先すべき者を考えた時に、その言葉を口にすることをためらいながらも、頭ではそうするしかないと結論を出してしまうのだ。


 口の中が苦いもので満たされるような錯覚を起こす。

 レジーでも一度は頭をよぎった考えだ。けれど彼にそれを言わせたくはなかった。

 一方で彼の立場では、そう言うしかないこともわかっている。


「君が決断しなくてもいいんだ、ウェントワース」


 なのにウェントワースは首を横に振る。


「……もしそういうことがあったら、殺すのは私でありたいと思っていました。一緒に破滅できればそれでも、いいと」


 ずっと彼は、側にいてくれた人だった。

 グロウル達のようにたいていは騎士然としていたけれど、アランの悪ふざけにつき合うレジーを、その時だけは同じ目線で叱るのはウェントワースの役目だった。

 今まで深くは意識していなかったけれど、失うかもしれない状況を越えた今、根づいていた親愛の情を再認識させられる。


「ウェントワース……。私はキアラを失いたくない。だけど、君を犠牲にもしたくない。君は、私やアランの兄代わりじゃないか」


 兄を失うわけにはいかない。

 ……キアラは失いたくない。彼女がいなければ、生きていく気がしない。

 初めてレジーは、自分が命じるべき言葉を誰にも言いたくないと考えた。

 どちらも助けたい。レジーはずっと、立場や命を守るために誰かを切り捨てる考え方をするようにしてきたけれど、これだけはどうしても譲れないと思う。

 レジーの言葉を聞いたウェントワースは、少し驚いたように微笑んだ。


「……キアラさんはそれを知っていたんですね」

「何を?」


「キアラさんが連れ去られる直前に、考えたんです。今すぐ彼女を刺し殺せば、敵に連れ去られることはなくなる、と……でもできなかった」


 そうしなくて良かったと、心底レジーは思う。

 同時に、そんな風に思い詰めるほど、ウェントワースが彼女を大切に思っていたことを感じた。


「キアラさんにも言いましたが、完全に冗談だと思われていましたが」

「え、言ったのかい?」


 驚いて口に出せば、ウェントワースも苦笑いした。


「たぶん、キアラさんは全てお見通しだったんだと思います。私を逃がす時にも、兄代わりに思っている私を守ろうとしたことを、家族がほしかったキアラさんの気持ちを知っている殿下は理解してくれるだろうと言っていました。そう言われたら、家族を失った私が……自分が代わりになって助けたいと願っていたことのある私が、逆の立場に立たされて気づかないわけがないと思っていたのかもしれない。家族のように思っている相手なら、一緒に死ぬよりも、相手に生きていてほしいと思ってしまうことを」


 続けてウェントワースが語った理由に、レジーは胸をつかれる。

 キアラは家族のようにウェントワースを気遣って、だからこそ命に代えても助けようとした。レジーもまた、同じように思うだろうと知っていたんだろう。

 レジーは唇をかみしめた。


「大事なものは沢山あると、簡単に捨てられるものじゃないだろうって他人には言いながら、キアラは自分だけは粗末にするんだ」


 レジーやウェントワース、それにアラン達だってキアラを大事に思っている。それをわかっていながら彼女は自分だけを犠牲にしようとするのだ。


「その理由は、殿下もきっとわかっているでしょう。彼女は……ぎりぎりのところでこの世界に執着していないんですよ」


 前世の記憶。

 それがキアラがこの情勢になることを言いあてた、原因となるものだ。

 また、彼女をややずれた性格に作り上げたのも、前世の記憶だ。


 なにせキアラには、ごく幼少のうちにこの世界のことを教え導いてくれる大人がいなくなった。その上、前世の家族との思い出からある程度の知識を得てしまったため、その他の大人は彼女が基本的なことを知っていると思い込み、ほとんど何も教えずにいたのだろう。

 そして誰もが、彼女を道具としてしか見なかった。


 だからこそ、キアラは優しい前世の方を自分の本当の世界だと思っているのだ。

 現世の家族のことをどこか突き放した存在として扱えるのも、酷い扱いにも心が傷つきすぎたりしないよう、無意識に彼女はそう世界を認識している節がある。


 記憶通りに魔術師になってから、自分が傷つくことをそれほど忌避しなくなったのは、死んでもこれは物語の中のことで、死んでも元の世界に戻れるのではないかという気持ちが強まったせいではないだろうか。

 一方で経験したことがなかったという凄惨な光景や人を殺すことなどには、顕著に反応する。

 前世の記憶からすると、異質なものだからだろう。

 それでは自分の考える『修正した物語』から遠ざかると感じたキアラは……それすらも物語の中のことだ、と考えるようになったのではないだろうか。


 実際にどうなのかは、一つ一つ彼女に確認してみなければわからない。

 ただこの推測が、それほど真実から遠いものではないだろうとレジーは思っている。

 たぶん同じことを、ウェントワースも感じていたのだ。


「彼女に、ここが現実だと教える機会があればいいんだけれど」

「それなら、一つ良い方法があります」


 カインが言う。


「彼女にあなたを守らせてあげて下さい」

「……どうして」


「気づいていませんでしたか? キアラさんがやっきになって戦争を物語の中のような出来事だからと思い込んで無茶な戦い方をしたのは、殿下を守ろうとしてのことです。貴方に、守るなと言われたから、意地になってしまったのでしょう……彼女にとって、それがどうしても譲れないことだったから」

「だけど守るだけなら、君だって」

「私は違うんですよ」


 レジーは目を瞬く。


「キアラさんは私が可哀想だから、許容してくれていただけでしょう。それに……キアラさんはきっと無事だと思います」


 ウェントワースは続けて言った。


「昨日は、伝えきれませんでしたが。あちらの王も、立場があったから厳しくキアラさんに接していたようですが、結局は端々で彼女を傷つけまいとしていました。魔術師が欲しいのと同時に、あちらも彼女と接触していたことで、キアラさんに情が湧いた可能性があります。キアラさんもそれを利用して、私を解放させたのですから」


 なるほど、先方もキアラにほだされた部分があるのは間違いないようだ。

 レジーはサレハルドについて聞き知ったことからも、そう判断した。


「実はジナから、キアラについて聞いた話があるんだ……」


 そうしてお互いの情報から推測できることを話し合いながら、レジーは不思議な気分になる。

 キアラのことについて、ウェントワースと深く話合うのは久しぶりな気がした。しかもここまでお互いの心の内までさらけ出したのは、初めてではないだろうか。


 なんとなくそれが、レジーは嬉しいような気がしたのだった。

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