捜索願いは続行中?
それから、私は時々上の空になりやすくなっていた。
体を動かしている間はそれほどでもない。
朝食の席から仲がいい雰囲気全開の辺境伯夫妻の様子を見たり、アランが呆れたような顔をしていたり、それを笑って見ているレジーの表情などは、穏やかな日常を感じさせてくれるし、おかげで『考えるべきこと』を忘れていられた。
けれど魔術のことを調べようとすると、本の内容が頭に入ってこない。
思い出してしまうのだ。砂になって崩れた魔術師になりそこなった人のことを。
自分がそうなってしまうのではないかと思うと、調べるのが怖い。だから穏やかな生活を実感させてくれるものに注意を向けたくなる。
それと同時に、思ってしまうのだ。
自分がこうして来るべき運命から逃れられたのだから、もしかしたら、この城が襲われない運命に変わるかもしれない。レジーだって死なないかもしれないと。
それどころか、やっぱりこれはゲームなんて関係ない世界かもしれないじゃない? なんて夢みたいなことまで想像して、自分で握りつぶして絶望する。
「わかってるのに……」
思わず口をついて言葉がこぼれる。
そんな風になんでもうまくいくわけがない。私は『先に起こる出来事』を知っていたから、逃げることができた。けれど他の人々は、この先自分に何が起こるのかなど知りようもない。
世界は本来、何も分からない闇の中を手探りで進むようなもののはずだ。
だからこそ知っている自分がどうにかしなければ、と思う。けれどそこで心が立ち止まろうとするのだ。
死にたくない、怖い、と。
「キアラ、具合が悪い?」
レジーに尋ねられて、はっと我に返る。
「あ、ごめん。なんかぼーっとしてたの。レジーに無理を言って調べ物させてもらってるのに、本当にごめんなさい」
「謝らなくてもいいよ。ただ……最近ずっと、物思いにふけってるように見えるから。魔術師が死んだのを見てから、だよね?」
ぎくりとする。
と同時に、あまりに分かりやすくふさぎ込みすぎたのだろう自分が、嫌になった。せめて本当の理由を知られないよう、言葉を探した。
「あの……やっぱり、人が砂になってしまうっていうのは、ちょっと刺激が強すぎて」
魔術師の最期の様子にショックを受けただけ、ということにした。
私ぐらいの年齢の女の子なら、まさに悪魔と契約したからとしか思えないあの様子に、怯えたっておかしくないはず。
「そう? それにしては考え込みすぎるというか……まさか」
え、まさかって、何に気付いたの?
レジーの言葉にびくびくしていると、彼は静かに告げた。
「誰か知り合いに似ている人だった? だから余計にショックが強かったとか」
内心で盛大に息を吐きたい気持ちになった。
……レジーが斜め上に暴投してくれて助かったわ。
でも、そうか。
亡くなった魔術師に似てる知り合いが居たというのは、ある一面で間違いではない。それが二年後の私だというだけで。
そう考えるとレジーは鋭い。
私はごまかすためだけに「そうなのかも……」と曖昧な答えを返してうつむく。顔を見せたら、嘘だとバレてしまうのではないかと思ったのだ。
しかし、私の顎に指が添えられる。
え、ちょっ、レジーが触ってるの!? と驚いている隙に、顔を彼の方に向けられた。
いつのまにかすぐ側に来ていたレジーは、机に片手を突いて、もう片方の手で私の顎を捕らえていた。
燭台の明かりが揺らぎながら照らす、レジーの顔から目が離せない。
みじろぎすらできなかった。
なんですかこれ! この、なんかすんごい恋愛物みたいなシチュ! そしてさらりとやってしまうレジ-! しかもこの人ってば慣れてるっぽいし、まさか今までにもやったことがあるんじゃないのとか、考えると頭がごちゃごちゃしてくるんだけど!
前世でも、こんな甘酸っぱいシチュエーションなど未体験ゾーンだ。未知との遭遇だよ。
おかげでどう動いたらいいのか、なんと言ったらいいのか全くわからない。
わからないのに、レジーの指の感触がくすぐったくて、顔が熱を持っていくのがわかる。
でもそのせいか、レジーは疑いを消してくれたようだ。
「もう、顔色は悪くないみたいだね?」
そう言って顎から手を離してくれる。
ほっとした私に、レジーは誘いかけてきた。
「でも捜し物に身が入らないみたいだし、気分転換しないか? たまには外に出よう。キアラは辺境伯夫人について歩くわけじゃないから、ほとんど城の外に出ていないだろう?」
言われてみればその通り。
エヴラール辺境伯の城に来てからというもの、私は魔術について調べることに気持ちが向いていて、仕事で用事がある時でなければ庭にすら出なかった。
確かに少々、日の光に当たらない生活は身体にも精神的にも良くないように思える。
うなずいた私の手を引き、レジーが書庫を出た。
「殿下、どちらへ?」
「城の外を一周したいんだ」
書庫の外で待機してくれていた騎士がレジーの予定を聞き、近くにいた従者が走り去る。
レジーと共にゆっくりと城の中を進んで厩舎に到着すると、先に知らせに走った従者のおかげで、厩舎番がレジーのものと騎士のものと思われる馬を引きだしてくれていた。
教会学校から逃げ出して二月近く経つが、久々に貴族らしい対応をされる側に回ったなと感じる。貴族令嬢は乗馬の練習などしないけれど、こんな風にやりたいことを伝えると、仕えてくれている人々が準備をしてくれるのだ。
「キアラ、馬には乗れる?」
尋ねられて私は首を横に振る。
乗ってみたいとは思っていたが、伯爵家では馬に近づかせてもくれなかった。
……今思えば、逃亡防止のためだったのだろう。
そんな乗馬初心者の私は、さっと鐙に足をかけて馬上に落ち着くレジーの所作の美しさに感嘆した後、手を握られて自分も馬上に引っ張り上げられた。
意外に力強い引きに驚きながら、鞍の前に横座りで落ち着く。
「わ、高い」
自分の背丈以上に高いばしょから下を見下ろすことになって、私は好奇心半分、高所への恐怖が半分で、落ち着きがなくなる。
するとレジーがするりと私の腰に手を回して手綱をつかんだ。
「あまり身を乗り出さないで、キアラ。落っこちても知らないよ」
くすくすと笑ったレジーは、私が背筋を伸ばし直したところで馬を歩かせ始めた。
褐色の馬はゆっくりと歩いてくれたが、それでも大きく揺れた。
慌てて鞍の前側を両手で掴んだ私だったが、それでも安定しない。うっかりすると鞍から滑り落ちそうで怖い。できれば横座りなんかではなく、レジーみたいに座りたいと思ったところで、レジーが私の腰に回した手に力を込めた。そのとたん、とても安定してほっとする。
「ごめん、落とさないから大丈夫だよ。ちゃんと掴んでるから安心して」
またしても笑いながらレジーに言われて、私はうなずいた。
レジーと後ろを騎乗してついてきた騎士は、やがて城から外へ出た。
跳ね橋も掘もない城だが、その先に広がっているのは丘を包み込むような草原だ。そこを伸びているゆるい坂道をレジー達は進む。
その頃には、私もようやく騎乗することになれてきていた。
揺れの受け流し方がわかってきて、周囲を見渡す余裕ができる。
やがて道は、葉を茂らせた林の中へと入っていく。
「ここの林、結構木が丈高い。来た時はもっとうっそうと茂ってるような気がしたんだけど、そうでもないんだ」
独り言まじりに感想を口に出すと、レジーが応じてくれる。
「行きは馬車の中だったからね。小さな窓だけでは、景色を堪能できなかっただろう?」
「うん、なんか錯覚してたみたい。あ、林が終わる」
その向こうは、さらに緩やかな丘が平らになった大地と、畑がある。
畝をつくった土の盛り上がりだけが見える場所は、種をまいたばかりの所だろうか。丸い野菜のようなものが生っているのは、あれはキャベツ?
緑がちょぼちょぼと生えてきているのは何の畑だろう。
左右の畑に気をとられていた私は、突然にレジーが息を飲んだことに我に返った。
何があったのか。
聞く余裕もなく、レジーは馬を反転させて走らせた。
「しがみついて!」
跳ね飛ばされそうな速度で走る馬の上で、私は無我夢中でレジーにしがみついた。
「な、何!?」
「君の追っ手だ」
「え!?」
追っ手とはどういうことだろう。けれど落とされないようにするので精いっぱいで、周囲を見ることすらできない。
ようやく馬が並足ほどに速度を落としたところで、もう林の中に戻ってきていた。
「お、追っ手? どういうこと?」
「君がここへ来る途中で追ってきた、パトリシエール伯爵の配下の人間がいた。見間違いじゃないと思う」
どうして、と私は驚く。
あの直後ならまだしも、もう雷草の生える草原で遭遇してから随分経つのに。
「まさか、やっぱりアランたちと一緒にいると思って、ずっとここに張り込みしてたのかな?」
けれど、私はそうまでして捕まえて連れ戻したいほどの人間じゃないはずだ。魔術師になっていない今なら、なおさらだろう。
道の先を振り返り、レジーは「わからない」と私に答えた後で騎士と話す。
「あの先にあった小屋から出てきた男。追ってきているようだったか?」
「いえ。馬に乗っている様子はありませんでしたので、追いかけることは難しかったでしょう」
「なら、大丈夫か……」
レジーがふっと息をつく。
「もしかするとまだ君のことを探してて、途中で宿泊した場所で君のことを聞きつけてしまったのかもしれない。それで遅れながらも追いかけてきていたのかも……。でも一か月近くも経つのに」
レジーも、これほど長く私が探されるとは思わなかったのだろう。渋い表情になる。
「まだ君の姿は見られなかったとは思うけど、とにかく城に戻ろう……君を連れ出すには、まだ早かったのかな。今度は周囲を探らせてからにしないと」
「えと、そこまでしなくても、城に引きこもりますから……」
「ずっとそうしているわけにはいかないだろう?」
話しながらも馬は進む。
すると、城の方から騎乗した騎士らしきマントを羽織った男性が数人、やってくるのが見えた。
私は、彼らがレジーの護衛騎士だと思った。
なにせ彼は王子である。護衛が一人きりの状態で、外に出すわけがない。追って数人が追いかけてくる手はずになっていたのだろうと考えたのだ。
が、甘かった。
彼らは私達を視認すると、剣を抜き放ったのだ。




