トリスフィード領境の小さな事件
旅慣れ始めていた軍は、すぐに準備を整えた。
遅れているのは糧食の類だけれど、デルフィオン男爵領内を進む間に、早馬や鳥で先々の街に知らせることで追加していく形で解決した。
「これで相手を倒せていたらね、食料もごっそりもらえるから楽なんだけど」
と微妙に恐ろしく、そして切実なことを言ったのはレジーだ。
安全圏内の旅の間は馬車を使えと言われた私は、戦意高揚のため走り回る必要がないので休んで下さいと言われたレジーと共に同乗していた。
一緒に侍従のコリン君も乗っていて、時にお菓子を差し出し、時にお茶を出してくれるので、トリスフィードに到着するまでに太りそうな予感がする。
でもコリン君がいてくれるおかげで、私もある程度緊張せずにいられた。
さすがに翌日ほど不審な行動もしなくなったし、カインさんの発言のせいで、気持ちが変な方向に落ち着いたせいか、師匠を持っても扇風機のように風を巻き起こすこともなくなった。
けれど、やっぱり気恥ずかしさが残っていた。
しかもあの指輪は結局したままだ。
時々レジーが私の指を見ているのを感じると、なんだか身の置き所がない気分になってしまうので、心の中で『気のせい、気のせい』と唱えて落ちつくというのを繰り返していた。
それはともかく、戦の話だ。
「君はいつも通り独自に動くんだろうけれど、あまり前に出過ぎないように気をつけて。またあの子爵が出てくるだろうから」
クレディアス子爵の話だ、とキアラにもすぐわかる。
「クレディアス子爵は、ルアイン軍と共に動いていると確認がとれている。本当は戦場に出て来ないように暗殺を計画していたんだけどね」
「あん……さつ?」
問い返すと、なんでもないことのようにレジーはうなずいた。
「そう。デルフィオン城にいる間にと思ったのだけど、一足遅くてね。君を安心させてあげたかったんだけど……」
そんなことまで考えてくれていたんだと、申し訳なくなったとたんのことだった。
『―――――――――』
……あれ?
なんだか、前にも同じようなことを言われたような?
でも、レジーがクレディアス子爵を暗殺しようとしただなんて、今日初めて聞いたはずなのに。別な人と、そんな話をした覚えもない。
私は既視感に首をひねった。
なんだか最近、そういうことが多い気がする。ゲームでキアラが登場し出す場所まで来たせいだろうか。
でも、ゲームの中でキアラのために誰かがクレディアス子爵を暗殺する、なんて言い出すシーンはない。
むしろキアラの存在は敵魔術師という以上には、王妃の女官という説明ぐらいしかない、背景の薄い存在だ。
私は名前とパトリシエール伯爵の手紙に『女官になるには結婚が必須』という言葉から、クレディアス子爵と結婚していたことを知っただけなので、もちろんゲームのアラン達がそんなことを話すわけがない。
レジーは知っていたかもしれないけれど、彼はゲームでは開始前から死んでるわけだし。
何かの錯覚かな。
そんな風に思いながら、私は次の休憩地まで静かな時間を過ごしたのだった。
それからファルジア軍は、デルフィオンの北へ向かうのに二日をかけた。
トリスフィードとの領境から馬で、半日ほどかかる場所で一度野営することになる。
ここで斥候を放って領境周辺を探らせ、安全を確認してからトリスフィードへ侵入する予定だ。
また、ここで足を止めることで、デルフィオン領の各地から呼び寄せられた兵と合流することになっていた。
デルフィオンから集めた兵は、男性のように騎士服を着た凛々しい姿のエメラインさんがチェックをして捌いて行く。
といっても、どこの部署に何人かを配置するというよりエメラインさんの旗下に入る人数が増えて行く形なので、他の領地から来ている兵達はいつも通りに過ごしていた。
そんな中、少し浮いていたのがアズール侯爵の軍だ。
朝と夕の祈りを欠かさない彼らは、元々ちょっと他と行動を別にしていた。
突然歌い出すくせがあるせいもあるんだと思う。
けれど今回は、さらに排他的な雰囲気がするのは気のせいだろうか……。
特にアズール侯爵周辺の人間が、荷物を積んだ馬車を囲むように固まっている。
ただ、以前よりもお祈りで歌い出すことが増えたので、アズール侯爵領では独特な方向に宗教が進化していて、今の時期はそういうことをする回数が増えるのかもしれないと思えた。
そして翌日、斥候が戻ってきて報告した。
「領境に、ルアインの一隊を見つけました!」
……この遭遇戦はあっさりと終わった。
なにせルアイン兵の数は二百人ほどだ。掃討を命じられたエニステル伯爵も、千の兵だけで敵を蹴散らしたという。
レジーはできれば殲滅しておきたかったようだが、二百も人がいれば、数人は取り逃がしても当然なので、そこは諦めたようだ。
そして捕まえられたルアイン兵も、全ての者が領境の巡回を行っていたと証言したので、すぐ近くに大きな軍が控えているわけではないようだった。
私はまだサレハルド軍とぶつかることがないようなので、ほっとする。
けれどこれでトリスフィード伯爵領へいよいよ踏みこむことになった。
移動を開始した翌日、トリスフィード領に入ってから私は念のため、と思って魔術師の気配を探した。
時々こうして探しておけば、クレディアス子爵が伏兵の部隊に混じっていたとしてもわかるだろう。
……とても体育会系の兵士の皆さんについていけそうにないあの体格で、伏兵部隊に混ざるのは無理そうな気がするけど。
何かの作戦で、根性でそんなことをしているかもしれないし。
トリスフィード領内では万が一の場合には逃げられるようにと、カインさんの馬に乗せてもらっていたので、私は安心して気配を探ろうとし……。
「……え?」
なんで後方から感じるの?
思わずカインさんを避けるようにして伸びあがり、背後を見てしまう。
「どうかしましたか?」
「あの、なんか魔術師の気配らしきものを探してみようとしたら、後ろから感じて……」
しかも妙に近いのだけど。どういうことだろう。
報告を聞いたカインさんは、側にいたチェスターさんやアランに伝言し、瞬く間に騎兵が私の周辺に集まってくる。
「おい、あまり気取られないように下がって探すぞ」
アランに言われて、私は唾を飲みこんでうなずいた。
私達は、さもアラン達と一緒に用があって後方へ行きますといった顔で、街道の端をゆっくりと後戻りした。
急いで移動しないのは、私が発生源を突きとめるために必要だったからだ。
軍の後方から密かに追ってきているのならまだしも、軍に紛れていて見逃しては元も子もない。
私は目を閉じて、強い魔力を発している元を探す。
もう少し向こう。……だんだん近づいてきてる。
やがて魔力の元の発生源の方向が変わり始めた。近くを通っている証拠だ。
私は真横に来た時点で、目をあけてカインさんにわかるように指を差したのだが。
「え……」
そこはアズール侯爵の軍列だった。荷物を積んだ馬車を中心に、ゆっくりと進んでいる。
私の指は、まさにその馬車を指さしていた。
もう一度確認してみたが、やっぱりその馬車みたいだ。
まさかレジーを信奉していると言ってもいいアズール侯爵が、敵を引き入れた? そんなばかなと思っているうちに、アラン達が一斉に行動を開始する。
「アズール侯爵殿、その馬車を改めさせてもらいたい」
アランがそう申し入れ、彼の騎士達がその左右を固めてアズール侯爵に厳しい目をむける。
一方のアズール侯爵は、アランの言葉にはっとしたように息をのみ、それからため息をついて承諾した。
「わかりました……。申し訳ありません、つい出来心で……可哀想になってしまって」
侯爵の言葉に、アランが首をかしげた。
確かに聞いている限りでは、アズール侯爵は確かに馬車に何かを乗せていて、それを隠していたらしいが、危険なものだとは思っていないようだ。
そうしてアランの騎士達が中を探る前に、侯爵の騎士達に呼びかけられて、中から麻の布を被った人物が出てきたんだけど……。
「エイダさん……?」
彼女は泣きはらしたような目で、しおしおとうなだれて言った。
「申し訳ありません。どうしても故郷に早く戻りたくて……」
魔力の発生源は、今もエイダさんが首からかけている、契約の石のペンダントだったようだ。
私は肩を落としてため息をつき、カインさんとアランにこっそりと説明する。あまり広めるような内容じゃないので。
そうして事は、なぜアズール侯爵が彼女を連れてきたのかという釈明に移ったのだった。




