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会うのを避ける理由

 用事があった。

 グロウルさんがその相手なんだけど、たいていレジーの側にいるので彼の部屋を尋ねる方が早い。


 ……けれど直接レジーに聞こうとは思わなかった。侍従のコリン君にグロウルさんを呼び出してもらおうと思っていたんだけど。


 階段を上って間もなく、レジーの部屋から出てくるエイダさんの姿を見ることになった。

 ほんの少し上気した頬が、私よりも大人っぽいエイダさんに艶かしい雰囲気を足している。そして彼女がそんな風に心の底から満足したような表情をしているのは、彼女を送るために付き添うフェリックスさんのせいではないことはわかっている。


 彼女より先に、部屋を出たレジーに向けられた視線。それが全てを物語っていた。


 私はすぐに物陰に隠れたつもりだったけど、エイダさんがこちらに一瞬視線を向けて、どこか勝ち誇ったような笑みを見せた気がした。

 いや、そんな風に見える私がいけないのかもしれない。

 そう思うのに、考えれば考えるほど、なんだかドツボにはまって行くような気がするのはなぜだろう。


 一昨日、エイダさんが主塔に入るところを見た時には、そんなことは考えなかった。情報提供者として聞きたいことがあるんだろうって思ったからだ。

 いつの時点から、なんとなく避けたい気持ちになってしまったんだろう。


 昨日エイダさんがレジーの部屋に入るところを見た時……は、そうでもなかった。エイダさんがレジーに憧れているのは知っていた。レジーはそんな風に女性から注目されたり、淡い気持ちを向けられやすい人だから。

 エヴラールでも、そうじゃないのはマイヤさんや慣れている召使いのおばさんたちぐらいだったもの。私だって未だにじっと見つめられたら、戦場以外だとなんだか真っ直ぐ見られなくなるんだし、他の人だってそうだと思ったから。


 誰もが憧れる王子様。

 そう、昨日同じことを言ったのはルシールさんだっただろうか。

 エメラインさんと一緒に、砦の塔に寝泊まりしているルシールさんの元を訪れた時に、言われた。


「だから、エイダさんもそんな風に思って憧れているだけだと思っていたのですけれど……」


 ルシールさんはやや困惑した表情だった。

 そんなルシールさんと私の耳に届くのは、エメラインさんとエイダさんの話し声だ。


「貴方は殿下に協力する気がないのですか?」

「殿下のためにはなりたいわ。でも、わたしだって危険を冒した末に手に入れた情報ですもの。家を失ったも同然の状態なわたしの手にある財産なんて、もうそれしかないんだから、お願いを聞いてもらうために使うのが当然でしょ。そもそも、貴方に言われる筋合いはないと思うんだけど」


「あまりに慎みが無いからよ。貴方だって貴族の分家で生まれ育ったのですもの、貞淑さについて教えを受けているでしょう」

「でも殿下は嫌がってはおられなかったわ。抱きつかれたって、怒ったのは頭の固い騎士と貴方だけじゃないの」


 だから、とエイダさんの声は続ける。


「とりあえず口づけをねだるくらいのことは、目こぼししていただきたいわ」


 く、くちっ!?

 叫びそうになって思わず私は自分の口を手で塞ぐ。見れば、ルシールさんも同じようなことをしていた。

 二人で目を合わせ、思わず赤面してしまう。

 だって他人の赤裸々な話を耳にして、気まずくならない人はいないし、居合わせてもやっぱり気まずくなるものだと思うのだ。

 そこで一緒にいた師匠がぼそっとつぶやく。


「女の武器をふりかざすか……。肉食系じゃの」

「肉食?」


 前世でそんな単語を聞いたことがある。


「肉食獣は獲物を自らの牙で狩るじゃろ。イッヒヒヒ」


 師匠の密めた笑い声に、エメラインさんの冷静な声が重なった。


「人目を気にするべきではないの? 殿下も困っておられたでしょう」

「エメライン様方が、わたしから離れないからですよ。別にわたしだってお見せしたいわけではありませんもの」


 え、見せたくないって。まさか……見せられないようなことをしたの?

 私はなんだかそわそわしてしまう。


「エイダさん、貴方の行動が目に余るからよ。殿下のご迷惑になるわ」

「それを決めるのは殿下でしょう。それにわたしの身の潔白を証明するために、毎回付き合って下さらなくても大丈夫よエメライン様」


「それでは、あなたがいざ結婚をする時に困ったことになるでしょう」

「かまいませんわ。殿下と噂が立ってもその方がわたしは嬉しいんですもの」

「エイダさん……」


 エメラインさんは、それ以上何も言えなくなったかのように黙り込んだ。

 破天荒だけれど、彼女自身が言ったようにエメラインさんは貴族の常識をわきまえている人だ。決して自分がその規範から外れることはしない。

 だからこそ困惑するのだと思う。


「お姉様は、エイダさんは何もかも失ってしまったから自棄になっているのではないか、と申しておりましたわ」


 泣き黒子のある可愛らしい顔に沈んだ表情を浮かべて、ルシールさんがそうささやいた。


「殿下もそう思っていらっしゃる、と」


 言われて私は、レジーは彼女を心配しているのだろうと思った。

 一方でエイダさんの気持ちもわかる気がする。

 何も持っていないからこそ、なんでもできると思う気持ち。

 私が学校を飛び出した時もそうだった。ただエイダさんよりは絶望していなかった。このまま先に進むことの方が恐ろしかったから、どうなるかわからない未来の方がまだ光が差しているように見えたから。


「まぁ自棄になっていると考えれば、最も有効な庇護者の関心を得ようとするのもむべなるかな……。女に迫られて王子も悪い気はせんだろうよ、ウッヒッヒ」


 師匠がルシールさんの意見に同意しつつ、変なことを言う。

 そのせいで私はちょっと……色仕掛けをされているレジーのことが気になってもやもやした。


 どう表現したらいいんだろう。

 兄弟が彼氏を連れてきた……だと想像しにくい。兄弟らしい兄弟がいたことってなかったから。

 女友達が、男の人に迫られてるのを見るのに近いだろうか。

 でもレジーは一般人ではない。エイダさんが何と言おうと側にはグロウルさん達が控えているはずだ。人に会うのなら、なおさらに。だから万が一など起こらない。


 ……そのはず、だよね?


 思い出すのは、私の部屋に入って二人きりで話すことが度々あったことだ。

 けれどエメラインさんを伴わせているんだから、レジーはエヴラールと違ってそうそう軽はずみなことはしない、と思う。

 でも悪い気はしないのなら、どうなんだろう。


 だけど私は今日、目の当たりにしてしまった。

 どうしてこんなタイミングでと思った。

 階段を上ったところで、レジーとエイダさんを見つけることになるだなんて。

 部屋を先に出たレジーが、彼女に考え直すように諭していた。


「トリスフィードについては、軍としても対処する予定だよ。そんな風に身を売るようなことをしなくても、いずれ君の家は復興できるだろう。そのためにも……」


 話している途中で、エイダさんが抱きついた。


「家などもうどうでもかまわないんです! 殿下さえいて下されば」

「不安がる必要はないよ。だから私達を信頼してくれないか?」


 困ったように微笑むレジーは、エイダさんを引き離そうとした渋面のフェリックスさんを手で制し、抱きついたまま離れないエイダさんの背中に、あやすように触れる。


 それを見て、やっぱりレジーはエイダさんを心配しているんだと、私は思おうとした。

 いつだって彼は、慰めたり、励ましたり、説得したりするために私に構って、抱きしめて安心させようとしてくれる。

 それだけで私は泣きたいくらいに安らいだ気持ちになって、意見が違ってもレジーは見離さないでくれるんだと思えた。

 同じことをエイダさんにもしている。

 ということは、私もエイダさんと同じようにレジーに思われていたのだろうか。


「同じ……」


 私が特別なわけじゃない。そう思うと、急に足下の床が消えてしまうような気持ちになった。

 怖くて立っているのも辛くて。

 その時、師匠が小さくつぶやいた。


「女をはね除けられないのは、優しすぎるのか、考えがあるのか、ほだされたのか。オモシロイことになっとるのぅ」

「ほだされ……た」


 エイダさんの望みを拒否できないのは、情報の取り引きがあるからだとわかっている。けれどいつものレジーらしくないとは思っていた。

 彼なら、望まないことを拒否する理由をいくつも作りだせると思えるから。

 なのにエイダさんにそうしないのはなぜだろう。優しいから? ほだされたから?


 考えると、たまらない気持ちになった。

 思わず誰かを探そうとした。話して、相談したくなる。

 でもこんなこと、誰に話す?

 カインさんのことが思い浮かんだけれど、男の人にわかってもらえるだろうか。


 ジナさんやギルシュさんはどうだろう。私よりもいろんなことを知っている二人なら、どうしてこんなに怖くなるのか教えてくれるかもしれない。

 思いついた私は、主塔を飛び出した。

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