デルフィオン領 アレジア戦2
既に戦端が開かれて、前線で兵達が槍や剣を交えている。
アラン達は即席の防波堤として川を利用するため、ここで迎え撃ったのだろう。敵が移動してくるのを迎え撃つ形になっていた。
ごつごつと大きな河原の石がルアイン兵の足を止めさせているようで、あちら側もむやみに突撃しきれないようだ。
河原から突出せず、けれど有利な場所から引かない戦法は手堅く見えた。
突撃系なアランではなく、慎重派なジェロームさんの提言によるものか。
その中で……大ヤギが華麗に踊っている。
岩場に強い生き物だから、あんなに元気なのかな……。
水の中でうかつに足を滑らせては大惨事になると思うからか、河原だけだが上流へ下流へと走り抜けながら、仙人が杖で敵兵を殴り倒している。
衝撃でよろけたり倒れたルアイン兵にファルジアの兵士が集って、止めをさしているおかげなのか、兵の損耗も激しくはなさそうだ。
同時に、河原が赤黒く染まっていく。
川の水に淡い赤が混ざる。
石の間に挟まるように死体が放置されている。
それを見てもう泣きはしないけれど、早く終わらせたいと焦る気持ちが湧き上がる。けれど兵力差があるのは見てとれた。
ルアイン側はじわじわと左右に兵を広げて、上流と下流から渡河させようとしている。
それを防ぐようにアラン達も兵を振り向けているけれど、対処するのでやっとの状態というか。
「どうも勢いがないようですね。疲労でしょうか」
馬を近づけていきながら、カインさんがつぶやく。
私も同じことを感じていた。押し返すには覇気が足りない気がするのだ。
一方で中央もヤギ仙人なエニステル伯爵の独壇場っぽく見えるが、印になるマントを縛って目立たなくしている一隊の動きが悪い。それもあって伯爵が、ハリセンを持って駆け付けた芸人みたいなことをしているのかもしれない。
なんにせよ、これは一度引き離してルアインを押し留めた方がいいのかもしれない。
「カインさん前の方に出られますか?」
私にうなずくカインさんが、馬の腹を軽く蹴る。
「お待ち下さい!」
「危険です!」
サイラスさん達が追いかけてきてくれる。土人形無しでは攻撃力も防御もマシュマロな私に、危機感を覚えたのだと思う。
「ルアインを押し返します! すぐ離れますから!」
振り返れば、エメラインさんも無茶な、という表情をしていた。
でもやるなら今のうちだと思うのだ。
居ないと思った魔術師が現れたら、ルアインも驚いて兵を引く判断に傾きやすくなるはず。でも遠くから土人形でゆったり近づいては、相手を驚かせることができない。
自分でも無茶だし、怖いとは思う。
でもルアインとの戦いを繰り返して疲弊しているなら、休ませるか勢いづかせるべきだろう。
これ以上死なせないために。
背後から来た少数の騎兵に、後方の部隊がぎょっとしたように振り返る。
「ごめん、どいて! 私が前に出るから!」
敵だと疑われなかったのは、騎馬に戦場では不釣り合いなドレスを着ている私がいたということと、サイラスさんが急いで小さいながらもファルジアの旗を掲げてくれたせいだ。
驚きながらも、ファルジアの兵達が道を開けてくれる。
「ちょっ、おま、キアラ!?」
「先に来ちゃった!」
すれ違ったアランに、端的に伝える。とんでもなく短い言葉だけど、アランならこれでわかってくれると期待したい。
そうして前へ出た私を、カインさんが馬から降ろしてくれた。
数メル先では戦闘の真っ最中だ。
カインさんが敵兵に気を配ってくれる中、私は近くの岩に、銅鉱石を握りしめた手を触れさせ、イメージする。
川底に穴を開けたところで、水が流れ込んできては浮いて来る。矢を射かける間もなく逃げられてしまうだろう。
足止めしようにも、銅鉱石をばら撒いたらすぐに流されてしまうかもしれないので、使いにくい。
驚かせるため、強そうな生き物の姿を見せるのだ。
この世界にも私が想定する幻想生物の伝承はある。
「羽が無い方が動き回りやすよね? 和風で行こう! 出でよ!」
銅鉱石が岩に溶け込むように無くなる。同時に岩が隆起し始めた。
でも一抱えありそうな岩ぐらいじゃ足りない。もっと近くの岩もと念じた私の魔力に従い、ルアイン軍へ向かって一直線に河原の大石や小石が持ち上がり、一つの生き物のようにうねりながら形を作っていく。
胴の長さは五十メルほどになるだろうか。
空高く上を向いたその先端にはワニのような口と鋭い歯。長い髭と二本の角。体を形成する石の表面に鱗を浮かび上がらせるのは、力の無駄遣いになるのでやめたが、これで十分だ。
カッコイイ咆哮無しというのが残念だ。
敵味方から悲鳴と怒号と黄色い声が上がる。彼らは一つの単語を叫んでいた。
「龍だ!」
胴体が長い、トカゲというより蛇に近い方の龍だ。
驚いて及び腰になったルアイン兵とは反対に、魔術師が来たと勢いを盛り返すファルジア兵。
私の方は龍をお披露目して終了というわけではなく、思いきり川の対岸へ頭から突撃させた。
一度高く伸びあがった龍を、滑り込むように川に沿って動かすと、石の体に弾き飛ばされる度に、重たい嫌な音と悲鳴に怒号が発生した。
ぐっと奥歯を噛みしめて、聞こえるものを無視する。
河川敷をひとさらいした龍を、今度はスライディングさせるように中央へ向けた。
石造りの龍を相手に、ルアイン側も必死になる。
触れて魔力を流す手を通して、突貫でやや華奢な造りになった龍があちこち削られたり、固まっている石を引きはがされたりするのを感じるが、まだ保てる。
しかしルアインもすぐには撤退する様子がない。
龍をハリネズミ型にして、もっと怖がってもらおうとした時だった。
「な……何、これ?」
熱が上がってくるような感覚と、背筋を滑り降りる悪寒。
風邪を引いた時みたいだけど、急に発熱するような心当たりがない。
「し、師匠。私、なんか変……」
「ぐぬ……」
気付けば、師匠も様子がおかしい。かたかたと小刻みに震えている。
魔力が上手く扱えない。細い出口に向かって波立った水が押し寄せて、空気交じりになるような感覚だ。
足下がふらついたが、異常に気付いたカインさんが手を伸ばしてくれる。支えが欲しくて、思わずその手首を掴んだ。
「キアラさん、一度離れましょう」
「待っ……て。あれを、少しなんとかする、まで」
私は歯をくいしばって、やや形が崩れ始めた龍を引き戻し、川向うの河原に横たえた。
「くっ……」
吐き気がせり上がってくるのを押しこめるようにして、魔力を押し出す。
苦しくて、思わずカインさんの手首をきつく握りしめてしまった。
代わりに龍が、一瞬で無数の石の柱に姿を変えた。高さは私の背丈ほどはないけれど、河原の石よりもやっかいな防壁になるだろう。
ただ、ルアイン兵が徒歩で乗り越えられないわけではない。
後ろから追い立てられるように石の柱を避けて、死体で幅が狭くなった川を渡って来ようとする。
それを押し返そうとして、アラン達やエニステル伯爵の兵らしき一隊がやってくる。
けれど元々いた兵士達の動きが鈍い。怖がっているような状態だ。
だめだ。
このままではアラン達まで怪我をしてしまう。守らないと。
なのに上手く力が入らないのはなんで?
「キアラさん、キアラさんどうしたんですか!?」
カインさんが険しい表情で呼びかけてくる。けれど返事をするのでさえ辛い。座り込んでしまいたい。むしろ横たわって眠ってしまたいほどだ。
でもなんとかしなければと思ったその視線の先に、弓をつがえたエメラインさんの姿が映った。
エメラインさんの視線の先にいたのは、壮年に近い年だろう黒髪の男性だ。やや小太りな体を軍衣で包んでいる彼は三人のルアイン兵に囲まれていた。本人は一人と切り結んで押し合いになっていて、とてもそれ以上対応できそうにない。
エメラインは、彼の周囲にいたルアイン兵を一人ずつ矢で射抜いた。
顔や首に矢が刺さったルアイン兵達が倒れる。……さすが自信を持っているだけある。エメラインさんの弓の腕はかなり良い。
囲まれていた男性は、はっとしたようにエメラインさんを振り向いた。
「え、まさかエメラ……」
「ヘンリー伯父様、無様な姿を晒してはなりませんよ。このまま戦列に穴を開けるようなことになれば、わたしの命でお詫びしても足りないのです。叔母上もわたしと一緒に、自らの命をもって失態の代わりとしたいそうですよ」
エメラインさんが伯父というのだから、ヘンリーと呼ばれた彼がデルフィオン男爵なのだろう。
彼女の言葉に、デルフィオン男爵が悲鳴を上げた。
「いやああぁぁっ、やめてエメラインちゃん! それくらいなら私が! 私があああっ!」
悲鳴を上げて、必死の形相で男性がルアイン軍に突撃していく。
男爵だけを行かせてはならないと、周囲のデルフィオン兵も隊長格の人から末端の兵まで、急に鬼気迫る勢いでルアイン兵に向かっていく。
それを見ていたアランやジェロームさんや彼らが率いている兵達は、目が点になっていた。
再起動に3秒ほどかかっただろうか。
「と、とにかく続け!」
アランの号令と共に、彼らもルアイン兵に向かっていく。
ルアイン兵の方は「ひいぇえええええ!」と奇声を上げながら突撃するデルフィオン男爵に押され、エニステル伯爵達にかく乱された所を、アラン達が刈り取って行く。
デルフィオン男爵側が息切れしてくると、今度はアランが前に出て、ルアイン側もすぐにこちらを攻略するのは難しいと思ったのだろう。
少しずつ引いて行く様子に、ほっとしたのだが。
また急にとてつもない倦怠感に襲われて、私はその場に膝をついていた。
「騎士よ早く引き離せ。奴がいる!」
焦った声で指示する師匠に応じるように、カインさんに抱えられて馬に乗せられた。
「師匠……奴って……」
一体誰が傍にいると、こんなことになるの?
「陣の後方ぐらいまで遠ざかれば影響は薄くなる。そこまでキアラを連れていけ」
師匠は私の問いを無視して、カインさんに指示を続けていた。




