閑話~監視される娘
この話に関連して、以前のエイダの閑話を修正しております。ご了承下さいませ。
魔術師殿とエメライン嬢が退出していく。
それを扉の前で見送ったフェリックスは、入れ替わるようにレジナルド王子の部屋に入った。
「ややご不満そうな表情でしたが、無事に了承してくださったのですか?」
「キアラは問題ないよ。良い子だからね」
そう言って微笑む王子殿下だが、まぁ、魔術師殿がこの方に口で勝てるわけもなかったのだ。
心の中でご愁傷さまです、とフェリックスは思う。
「ウェントワースの方は?」
「王命も同然ですからね。従うと言っておりましたよ。何を企んでいるのだろうという顔はしていましたが」
表情こそさして変えなかったが、不機嫌そうな気配を滲ませたウェントワースの様子を思い出し、フェリックスは口元が緩みそうになる。
最近のカイン・ウェントワースは、今までより感情が表に現れるようになってきた。
フェリックスはニヤつくほど楽しい。大いにこじれてくれと思ってしまう。
自分が巻き込まれるのは御免だが、他人事ならば笑って見ていられるのだから。
「そして例のあの女性の件ですが。今日は二度ほどこちらを訪れたそうです。扉番の兵士に行き先を尋ねたりしたようですが、何の用かは漏らさないみたいですね」
例の女性というのは、昨日からレジナルド殿下の傍をうろつくようになった者だ。
単純に考えれば、王子殿下の柔和そうな容姿に縋ろうとしているのだと思える行動だ。今までにもそういった女性はいたので、フェリックスとしても対応には慣れている。
しかし一つ、問題があった。
「まだしばらく、彼女――エイダ嬢から目を離さないようにね」
「そうですね」
フェリックスはうなずく。
「一人だけ、トリスフィードからの人質というのも気になる。キアラが突入した時に殺されかけていたというから、問題はなさそうだけど……念の為だね。ルアインが彼女だけトリスフィードから連れてきたというのなら、何か理由があるのだと思う。どういった理由にせよ、ね」
それに、とレジナルド殿下が続けた。
「王宮にいた人だからね。見間違えでなければ、服装からして召使として王宮に上がっていたのだと思うけど……。分家なら召使をしていても、おかしくはない……か」
「私もはっきりと彼女だ、と顔を覚えていたわけではありませんので、なんとも申し訳ないことです。特にここ最近は、国王陛下が方針を変えてから、殿下の傍には女性が多すぎて」
フェリックスは思わず苦笑してしまう。
国王に排除されるかもしれない亡き王太子の忘れ形見が、間違いなく世継ぎになると決まってからは、王妃になりたがる者が群がってきていたのだ。
手のひらを返すような態度に、レジナルド殿下ともどもフェリックス達近衛騎士達も肩をすくめるしかなかった。
殿下の味方を増やすのには有利な状況にはなったし、レジナルド殿下もある程度女性のあしらいはわかっていたものの、面倒なことには変わりなかった。
おかげで名前を覚えても、あまりに一度に沢山の女性と関わったせいで、数週間後には最初に会った人の名前は曖昧になったものだ。
一応王妃にかかわりがある者は警戒していたが、王妃自身が公的な場に出てくることが少なく、女官が全員王妃について歩いていたわけではなかった。
あげく王妃を恐れてなのか、別な理由があるのか出入りが激しかったのだ。
そういえばクレディアス子爵がキアラ嬢の代わりのように妻を娶ったことは聞いたが、結局その妻の姿も見ていないな、とフェリックスは思い出す。
クレディアス子爵という人物が、交流のある貴族の元にしか出入りしないからだ。
妻は王都近くに住むそれほど高位ではない法衣貴族の娘だったはずだが、元からレジナルド殿下に近づこうとしなかった貴族だったようなので、ほとんど面識がない。そのためフェリックスは顔を知らなかった。
「まぁ、そちらの懸念を置いておいても、男性だらけの砦でうろついても危ないからね」
「それもそうですね」
統制がとれているとはいえ、数千人もいれば魔が差さない者ばかりとはいかない。
本当なら家族の元へ返してしまいたいものだが、ルアインをデルフィオンで敗退させるまでは無理だろう。
それができれば、デルフィオンの者に彼女を預けてしまうこともできる。殿下に執着していても、軍について行かせる必要はなくなるのだ。
「それでは、暗くなるというのにまだ出歩いているようですので、回収して参ります」
「頼んだよ」
王子殿下の前を辞して、フェリックスは主塔を出て城壁の上へと出る。先ほどはそこにいるのを遠くから見かけたのだが、もう姿を消していた。
哨戒の兵士に尋ねてみると、どうやら砦の厨房の方へ向かったようだ。
しかしそこに行けば、またしてもエイダの姿はなかった。
他の職務を外す代わりに永世食事当番になった、という料理自慢の兵士によると、エイダはここで王子殿下へお茶をお持ちしたいと言い、兵士全員に拒否されたそうだ。
「客人だとわかっちゃいますが、万が一手違いなんてあっても困りますしね。僕等が疑われるのも嫌なので」
と食事当番の兵士が言う。
まったくもって職務に忠実な兵士達で良かった。勝手なことをされては困るのだから。
当のエイダは、断られて怒りながら中庭へ走って行ったという。
もうこの時点で、フェリックスは追うのが面倒になってきていた。しゃべる土偶に驚かされるより、地道に追いかける方がより大変だ。
そうして内郭の砦を出たところで、案の定五人ほどに絡まれているエイダを見つけた。
あまりにうろつきすぎて顔を覚えられ、女を見たら呪いの人形を持った魔術師かもしれないから触るな、という兵士達の暗黙のルールが適用されなくなったのだろう。あの土人形を持っていないので。
とぎれとぎれに、外に出たかったら配慮してやるから、少しつきあえとか、貴方なんて眼中にないのよ、などという火に油を注ぐような発言まで聞こえてくる。
「おい、何をやっている」
フェリックスが声を掛ければ、さすがに兵士達も一斉に逃げて行った。
残されたエイダは、手首を掴まれて痛んだのか、左手でさすっている。
その痛みの代償に、うろつくことが危険だと分かってくれないだろうか、とフェリックスは思う。
「あまり出歩かないように、とお客人達にはお願いしていたはずなんですがね。どうしてそれを破ってここに?」
歩き回って運動するだけなら、今日のエイダはフェリックスが嫌になるほどあちこち移動しているのだ。十分だろう。
注意を受けたエイダの方は、拗ねた子供のように横を向く。
「別に……貴方に関係はありません」
「関係はありますよ。人質の保護のためにこの砦を攻めたんですからね。無事でいてもらわなくては。万が一にもわが軍の者が手を出しては困りますし、むやみに貴方方がうろついて、風紀を乱すことを助長されても困るんですよ」
「あの人は自由にしてるじゃないの」
「あの人?」
「……魔術師よ」
エイダの答えに、フェリックスはため息をつく。
「魔術師殿はご自身で、ある程度のことはできる方ですから。兵士達も自分の命があの方次第になることのを分かっていますから、決して手出しはしませんよ。貴方と同じに考えられては困りますね」
エイダはそれでも不服なようだ。
「貴方を特別扱いする理由はないんですよ。他の方々は従って下さっています。むしろこれ以上指示に従わずに勝手なことをするのなら、貴方のことを敵の間者だと疑う必要が出てくる」
「……どうして」
「殿下のことをつけまわしているからですよ。殿下の情報を仕入れて、敵に伝える可能性があります。何より貴方は一人だけ、デルフィオンの人質ではないんです。あからさまに怪しいじゃないですか」
これはしっかりと疑惑を抱いているのだと示すべきだ。
そう思って言えば、さすがのエイダも疑われるのは嫌だったのだろう。
「……わかったわ。戻ります」
エイダはうなずいたものの口を引き結ぶ。そうしてフェリックスをものすごく恨みがましい目で見てきた。
フェリックスはなんだかげっそりとした気持ちになる。親切にも疑われないよう気を付けるよう忠告しているというのに。感謝まではしてくれなくとも、逆恨みだけは止めて欲しいものだ。
「疑われたくないのなら、後を追いまわすようなことをして、殿下のことを煩わせないで頂きたいですね」
フェリックスはエイダの言葉を遮り、内砦の中へ行くよう急き立てた。
エイダは不服そうな表情をしながらも、フェリックスがじっと見送る中、城塞塔へ中庭を横切って走って行ったのだった。




