イニオン砦救出作戦 5
不意にぎょっとした顔で、グロウルが振り返る。
「どうかした?」
尋ねれば、グロウルは「いえ……」と戸惑うように前へ向き直った。
おそらく舌打ちが聞こえてしまったのだろう。あまりに無いことだったので、驚いたに違いない。
レジーとしても舌打ちなどしていないで、このまま馬を走らせたい。
前線の中を先陣を切って砦の中へ飛び込んで、中に突入したキアラを確保できたら気分が楽になるだろう。
でもレジーが不用意に動くわけにはいかない。
自分が出ていく必要がある場面は今ではないから、城門を突破していく兵達の姿を見守る。
ウェントワースを信じていないわけではない。
命と引き換えにしてでも、キアラを守るだろうとは思う。彼がそれに関して言葉を違えることはないと信じていた。アランやレジー達を護衛し続けてきた人物でもあるのだから。
なのに、最近はやや不安にも感じていた。
その理由は分かってはいる……ウェントワースとキアラの距離が近くなったからだ。
きっかけを作ったのはレジー自身だろう。
キアラの願いを拒否し続けていた。だからレジーよりも同調してくれそうなウェントワースを、仲間に引き入れることにしたに違いない。
それならそれで、ある程度は彼女を止めてくれたらと思うのだが、ウェントワースは完全にキアラを制止しなくなってしまったようだ。
二人だけで城内に潜入するほど、無謀な行動ですら、だ。
それをウェントワースが許すということは、キアラと何か特別な約束でもしたのだろうか、とレジーは思ってしまう。
彼女に選ばれるために、ウェントワースが全てを受け入れると決めて、それをキアラが了承したのだとしたら……。
「もう完全に、手放すべき……なのかな」
彼女がもしウェントワースを選んだのなら、レジーは認めるしかないと思っていた。
キアラを縛りたくなかった。
抜けだせない状況に疲れ果てるのは自分だけでいい。キアラはせっかく繋がれていた場所から逃げだしたのだ。自由でいて欲しい。
それが彼女を守れる一番いい方法でも、閉じ込めることなどレジーにはできない。想像して、そうできたらと願っても、したくはなかった。
そう思うからこそ今までだって、迂遠な方法で止めようとしてきたのだ。
そんな彼女が、自由意志で決めたのなら、レジーに反対することなどできない。
だからキアラが怪我をしたことにウェントワースの件が絡んでいても、結局彼には何も言わなかった。キアラは既に別な人間の手を借りて、その問題を終わったこととしたようだし。
それでもウェントワースを傍に置き続けているのだ。キアラの意思を無視している様子もないとなれば、口は出せない。
たとえ心の中にわだかまるものがあっても……。
ただ、やはり心配は残る。
キアラが強いのは知っている。けれどいつでも災禍を跳ねのけられるわけではないだろう。
急いで砦の攻略を終えることでしか、キアラを守る術はないと気持ちを切り替える。
兵は既に門を突破した。砦の外に出ていたルアイン兵の中には、逃げていく者もいる。もうすぐ門内での闘争も終わり、次の段階へ進めるだろうと思ったその時だった。
門の内側で一際大きく悲鳴が上がった。
燃え盛る炎に包まれた兵士が転がるように出てきて、味方の兵士に土を被せられて火を消されている。
押し返されてくるのは、ファルジアの兵だ。
おそらく魔術師くずれが出たのだろう。
氷の魔獣を従えた傭兵ジナが、走って行く。
混乱するだろう前線にはキアラを投入できないので、魔術師くずれが出た場合に、ジナとギルシュが駆け付ける手はずになっていたのだ。
「行こうか、グロウル」
うなずくグロウルを連れたレジーは、槍を手にしながらも馬を降りて門へ向かった。
砦の中に入れば、馬は邪魔にしかならないからだ。
駆け付けた門の中では、決められた通りに歩兵達は魔術師くずれを遠巻きにしながら、他のルアイン兵に専念し、ジナとギルシュが炎が広がらないように氷狐達を動かしながら守り、その合間に弓兵数人と共に攻撃を加えようとしている。
けれどその兵士は、やや適性があったのだろうか。
自分の体から煙をくすぶらせ、手から流れる血をばら撒いては、その血から炎を発生させて、周囲に火柱を絶え間なく上げていた。
射られた矢は、ほとんど魔術師くずれの体に触れる前に燃え上がってしまっている。
「お先、失礼します殿下」
レジーの騎士、砂色の髪のフェリックスがそう言って前に出る。
フェリックスは手に持っていた槍を構え、勢いを付けて投げた。
一度空を目指して高く飛んだ槍は、魔術師くずれの頭上に来たところで、鋭い切っ先を向けて落下していく。
燃え上がることなく魔術師くずれを目指した槍だったが、体を貫くことができず、皮膚と肉をいくばくか斬り裂いた。
「うわ、外したっ!」
フェリックスは悔し気に叫んでいたが、レジーにはそれで十分だった。
レジーは、槍が投じられると同時に走っていた。
槍を避けた魔術師くずれを、自らが持つ槍の先で刺し貫く。
眉間に槍の先を受けた魔術師くずれは、次の瞬間全身が燃え上がり、数秒で黒い砂に変わって消えた。
◇◇◇
私はアーネストさんに描いてもらった図を見て、おお、と声を上げかけた。
目指す牢に改修したという城塞塔が、すぐ近くにある。これはいい。
「魔術の方は、まだ使えますか?」
尋ねるカインさんに、私はちょっと目を閉じて自分の体の様子を測る。
多少疲れているけれど、まだ大丈夫。銅鉱石も持っているし、まだ土人形を出して壁を破壊する程度はできるだけの魔力は扱えるだろう。
……と、そこでふと変なことに気付く。
「え、あれ……?」
走ってばかりで気付かなかった。ぜいぜいといっていた呼吸が治まっても、まだ少し胸苦しさがある。
どこからか届く小さな波。それが伝わるごとに、心臓が強く拍動するような……。
「まさか、魔術師くずれがいる?」
師匠を探していた時、感じていたような感覚だ。あとは魔術師くずれが近くにいる時。
方向を探れば、なんとなく二方向のように思える。
一方は砦の門の方だ。
そっちはジナさん達が備えていてくれたはず。でももう一方は――目的地の城塞塔の方、の気がする。
「どうしました?」
「カインさん、急ぎましょう。人質が魔術師くずれにされてるかもしれません!」
私は急いで、城塞塔に近い壁へ駆け寄った。
「あまり力を使い過ぎないで。隣は司祭の部屋です、こちらから入りましょう」
カインさんに言われ、一理あると思った私は彼と一緒に祭壇の横にある扉へ向かう。礼拝堂が使われていない様子から、司祭は居ないのだろうから。
それでもカインさんは慎重に扉を開いた。剣を構えて中を確認し、それから私を呼んでくれる。
案の定司祭は常駐していなかったらしく、石壁に白漆喰を塗った簡素な部屋には、寝具の無い木の寝台、書き物机が置いてあるだけだった。
扉を閉めてしまうと、司祭の部屋からは出る扉がない。外郭の砦壁が見える窓くらいしか出入りできそうにない。
カインさんは扉の鍵を閉める。
「まずは壁の向こうを探った方が良いでしょう。人質を上階にまとめて、下の階を兵士達が固めている可能性もあります」
「そしたら、直接上に行った方がいいですもんね。わかりました」
万が一ルアイン兵との戦闘に時間をとられて、その間に人質が魔術師くずれに全滅させられてしまうかもしれないからだ。
もしそうではなかったとしても、こっそり連れ出して、こっそり戦闘が終わるまで匿えるのが一番だ。
私は壁の向こう側へ通じる小さな穴を作る。前世の玄関扉にある、のぞき穴くらいのものを。
すると向こう側に人がいたようで、声が聞こえてきた。
「今投降するならば、貴方の身の安全を保障してさしあげます、と言っているのです」
「う、うそをつくな。たかが人質に、そんな権限があると思っているのか!」
「くくっ……権力に近い人間の妻子だからこそ、人質にしたのではありませんか? 私たちは父や夫、親族に権力者と近しい者がいるわけです。きっとここを襲撃している殿下にも、お話を通してみせましょう。あなた方数人くらい、なんてことありません」
「……?」
私は首をかしげる。なんだか様子がオカシイ。
投降を呼びかけているのが、女性の声だった。信じられないと言っているのが男の声。
しかも女性の笑い方がやけに悪役じみている。
困った末に、カインさんにも聞いてもらった上で、穴を手で塞いでこそこそと相談する。
「これ、たぶん捕まってる方達……ですよね?」
「自分で志願して来なければ、女性を兵としては使いませんからね……。そう考えるのが自然だとは思いますが」
にしても、状況がよくつかめない。
もう少し向こう側の様子をさぐるため、私は向こう側の壁を残すようにして、分厚い石積の壁を砂に変えていき、その上でもう一つのぞき穴を作って、カインさんと共にあちらの様子を覗いた。
壁が分厚くて、ゆうに一メルほどあったせいで、さっきは音を拾うだけで何もよく見えなかったのだが、今度は大丈夫だった。
城塞塔の一階も、牢として作っていたようだ。
漆喰で綺麗に化粧されているわけではない、無骨な石がむき出しの壁の部屋の中、鉄格子の向こうには十五人の女性達がいた。
まだ一桁年齢の子供も二人混ざっている。
残り半分が若い女性。残りが分家や男爵家の奥方なのだろう、年かさの人達だ。
彼女達の先頭に立っているのは、私とそう年が変わらない、暗い色の真っ直ぐに長い髪の少女だ。
まっすぐに背筋を伸ばした彼女は、物静かそうな面立ちながら、灰紫の瞳を牢の外にいる兵士達に向けている。
ルアイン兵は三人いた。
中の一人が、女性を羽交い絞めにしている。
私より一つか二つ上の年だろう彼女の、シニヨンにしていた薄茶の髪はほつれ、青緑のやや吊り気味の目が苦し気に細められていた。
でもこの状況なら、兵士達が女性達を脅しているはずなのに、先ほどの会話は何なのか。
悩んでいる間に、どうやら内側の砦にレジー達が攻撃を仕掛け始めたのだろう。窓から剣を打ちあわせる音や、叫び声が聞こえ始めた。
イニオン砦は、内側の壁には随所に出入り口が作られているので、外の砦を越えてしまえば侵入路はいくつでもあるのだ。
「ほら、もう考えている時間は残り少なくなりましたよ? その女性を離して、わたし達の元に投降なさい」
暗い色の髪の少女はそう兵士達に語りかけた。兵士達の方は、外の喧騒に怯え始めながらも動かない。
それにしても……と私は思った。
魔術師くずれの姿がない。
この場所ではないのだろうか……。それならその方がいいんだけど。ジナさん達が駆け付けられる場所にいるのなら、マシだ。こんな戦闘能力がなさそうな女性達の中にいたら、全員死んでいてもおかしくないのだから。
それでもこのままにはしておけない。
私はカインさんとうなずきあい、壁を一気に壊してその場に飛び出した。
カインさんは、真っ先に人質を羽交い絞めにした兵士を襲う。一気に剣を突き刺し、女性を引き離して背にした牢の方へと庇った。
その間に牢の傍で壁に触れた私は、一気に兵士達との間に石の壁を築こうとしたが、
「くそっ!」
一人の兵士が、赤い液体が入った小瓶を取りだした。そしてカインさんに刺されて倒れた兵士の口に、中身を突っ込む。
私の心臓が、驚いた時のように強く脈打つ。
とたん、倒れていた兵士の体が氷ついた。
傍に膝をついた兵士も凍り付く。
私が無意識に攻撃に転じた。
気付いた時には、作りかけていた石壁を何本もの鋭い槍のように伸ばし、倒れた兵士の体を貫かせていた。
ふっと背筋が凍るような冷気が漂った直後、兵士は砂になった。
凍り付いた兵士はそのまま。物言わぬ躯になってしまっている。残りの一人は、この事態に気絶してしまっていた。
私は石の槍を元の壁に戻す。
そうしてカインさんが気絶した兵士を拘束する中、まずは助け出されて呆然としている女性の手を握って尋ねた。
「大丈夫ですか? 怪我はしていませんか?」
「え……ええ」
曖昧な表情でうなずく。薄茶色の髪の彼女は、まだショックから抜け出られないようだ。
とりあえず怪我もしていないようなのでほっとするが、ふとまだ私の胸苦しさが消えていないことに気付く。
ごく近いその方向を見れば、助けた薄茶の髪の女性がいる。
まさかと思ったが、ふと彼女が首から下げたペンダントの石に目を引かれた。赤黒い……暗くてはっきりと色が見分けにくいけれど、これは契約の石だ。
私はほっとする。この石のせいで魔術師くずれがいると勘違いしたのかもしれない。
とにかく状況を知らせようと考えた私は、兵士を脅していた真っ直ぐな髪の人に話しかける。
「私、ファルジア第一王子レジナルド殿下の元にいます、魔術師です。皆さんを助けに来ました」
すると真っ直ぐな髪の人が、私にすっと一礼して名乗った。
「デルフィオン男爵ヘンリーの弟、アーネスト・フィナードの娘エメラインでございます。わたくし達と、そちらのエイダもお救い頂きありがとうございます、魔術師様」
なるほど、この人がエメラインさんか。
思わずまじまじと見てしまっていた私は、斜め横にいたエイダさんが、唇を噛みしめて私を見ていたことに気付かなかった。




