イニオン砦救出作戦 2
「ここまで来るのは、楽勝だったな」
そう言って笑いながら、イサークは赤いリンゴを手の上で弾ませた。何度かそうして遊んでから、齧りつく。
その姿は、まさに町についたばかりの、旅人だ。
鎧も隠し、衣服も中古の品を人に譲ってもらった上で着替えたので、旅人のようによれた感じの枯葉色をしたフード付きマントを羽織り、薄い黒の衣服を着ている。
ミハイルも似たような服装だ。
「んー、うま」
「うまーじゃないですよ! のんびりリンゴ買ってる場合ですか」
ミハイルが渋面になるのは、理由がある。
「ファルジアの軍も、別働隊がこっちの町に向かっているんですからね。おかげで見つかった時のことを考えて、またしても護衛で周りを固められないんですから。急いで忍び込まないと……」
二人は既に、イニオンの町に入っていた。
けれど到着する頃になって、それまでルアインが駐留する砦に近づいていたファルジア軍から、イニオンの町へ向かう部隊が出発したという報告が、ヴァシリーから送られてきたのだ。
その数は、攻城戦を行うにはやや足りない。
けれど問題ないのだろう。魔術師さえいれば。
「クロンファードみたいに一気に潰されたりしないうちに、見つけて戻って来られればいいんですけれどね……もしくは、上手く内部に溶け込むか」
ミハイルが眉間にしわを寄せて悩み始める。
「しっかし魔術師ちゃんが邪魔だよなぁ」
「暗殺……するしかないんじゃないんですか?」
つぶやいたミハイルに「もったいねぇ」と言うイサーク。
「せっかくの魔術師。しかもだまそうと思えばだませそうな、小娘だぞ? 上手くこっちに引き入れなくてどうするよ。だから落とせたら一番だろ」
ミハイルがため息をつく。
「そんな簡単に行くもんですか……。ところで、やっぱり食料品は砦に運んでいるんでしょう? それで中に紛れ込むしかないんじゃないですかね?」
「おう、じゃあ早速行くぜ」
「え、どうやって商人見つけるんですか。ていうかどうやって紛れ込む気ですか!」
「お前が頑張って演技してくれりゃいい。というわけで、泣く演技の準備しとけよ」
「は……?」
戸惑うミハイルを連れたイサークは、さっと陽気そうな表情を改める。
それから町中を行く兵士をさりげなく追いかけた。特にデルフィオン男爵の兵を。
彼らは表情に沈鬱さが混じっている。
それもそうだろう、与したくもないルアインの仲間になっているのだ。いずれは、故国の別な軍とも戦わなくてはならない。
町の人々も同じだ。笑顔を浮かべても、次の瞬間にはやや曇る。
ここはルアインに降伏して、平和を保った場所だ。
そのため兵士達を責めるわけにもいかず、かといって敵国に占領されていることに不満はあるのだ。少なからずルアインに対して、デルフィオンの民は一段劣る扱いを受けているのだから。
だからこそ、隙があるとイサークは考えていた。
やがて町の路地の隅で、ひそひそとルアインに対する愚痴を口にしているデルフィオンの兵二人を見つける。
彼らの話に耳をそばだてていると、捕えられた男爵夫人などの話が登る。
どうも男爵夫人は食が喉を通りにくく、衰弱しかけたようだという情報や、同情する言葉が彼らの口から出てきたことで、イサークは彼らに声をかけることにした。
「あのさ……あんたら、デルフィオン男爵様の兵士さんだよな?」
声をかけられた兵士達は、さっと警戒した表情になる。
しかしイサークの兵士とは違う服装に、少しほっとした様子になる。
「男爵夫人が囚われてる砦にさ、俺の雇主のお嬢様もいるらしくてさ……ちょっと、話聞いてやってくれないか?」
下手に出た上、話しをする相手はまだ幼い少年だと言われて、兵士達もちょっと興味を引かれたようだ。先ほどよりも警戒感は薄れている。
兵士達の愚痴を耳にしていたミハイルも、イサークの考えを察したようだ。
くしゃりと顔をゆがめ、すん、と鼻をすすってみせた。
「あの、お嬢様、お嬢様も……僕がぐずで、お隠しすることも間に合わず。お父上に従って人質となることに……。たぶん、あの砦にいらっしゃるんです」
そうしてせいいっぱい目を潤ませたミハイルは、じっと彼らを見上げた。
「お嬢様はお体が弱かったんです。せめてお薬だけでもと思いますけれど……。それが叶わなくとも、せめてお顔を拝見したいんです。何か伝手はありませんか?」
そのまま、うう、と涙をこぼすミハイルの姿に、兵士達もほだされてくれたようだ。
「俺たちが物を差し入れるのは難しいが……」
「子供なら、警戒されにくいんじゃないのか? 手伝いが足りないって言ってただろ。それなら顔を見るぐらいならさ」
二人で話し合った兵士は、ミハイルに砦の使用人の仕事を紹介してくれることになった。
イサークは護衛としてついていけるのは、食料品を送る馬車の積み下ろしの作業員としてまでだ、と言われたので、それでイサークは了承する。
正直、潜り込んでしまえばこっちのものだと思っていたからだ。
しかしあいにく、その日は品を納入しに行ったばかりだと、兵士に連れられて行った商人に言われてしまう。
次に行く日を尋ねれば三日後だと言う。
イサーク達は仕方なくその日を待つことにした。これ以上は動きようがなかったからだ。
そして――――二日後。
イニオンの砦には、ファルジアの兵が到着してしまった。
大騒ぎをする町の人をよそに、町の端まで移動したイサークはのんびりと砦を落とす様子を観察する。
「おーすごいすごい。ありゃ、もう今日中に陥落だな」
「陥落ですか……。てことは、僕等も撤収すべきですね」
はぁやっと帰れるとため息をつくミハイルに、イサークが反論した。
「ここであきらめるわけないだろ?」
「え! まだ砦に行くつもりですか!?」
「そりゃそうだろ。俺たちの行動と、ルアインが占拠してる砦が落とされることは関係ないからな。それに魔術師ちゃんがいるなら、上手くいけば内部情報をしゃべってくれそうだ。だから、ほれ」
イサークがミハイルに掌を上にして手を差し出した。
ミハイルは眉をしかめる。
「……なんですかこの手は」
「何か持ってるだろ、甘いもの」
「貢物ですか? 貢ぐんですね!?」
「わいろだよわいろ! 女はみんな最初は警戒すっから、菓子で釣った方が油断しやすいんだよ! ジナイーダの時だって、それでうまくいったんだって」
イサークの言葉に、ミハイルは遠い目をして空を見上げた。
「あの方にも迷惑をかけましたよね……」
「いいだろ。結果的にあいつの不利益にはならない。好きな奴とくっつける道筋つけてやろうってんだから、あいつも大人しくしとけばいいんだよ」
「そういえばジナイーダ様、ファルジアの軍に今いるって聞きましたよ」
「結果オーライってやつだな。計画としては、意図せず最上の場所に落ち着いてくれたわけだ」
「でもこれから潜入したら、見つかったあげくに蹴り殺されるんじゃないですか?」
「いや……もう会った」
イサークの返事に、ミハイルが驚きのあまり声が裏返った。
「はあっ!?」
「もう会って、睨まれてる。今更だ」
気まずそうに言って、横に視線をそらせたイサークに、ミハイルはため息をついた。
「……計画が完了するまで、死なないでくださいよ」
「それまでは、みっともなくあがいてでも死なないから安心しろ……死に場所は決めてあるんだからな」




