もう一度戻れたら 2
案の定、カインさんは腕だけだからと、人からちょっと離れた倒木の上に座って治療を受けた。
話し声は届かなくても、人の目がある場所なので私もほっとしてカインさんの左の袖を捲り、手当をした。
くるくると包帯を巻いていると、それまで黙っていたカインさんがようやく口を開く。
「ギルシュに言われましたよ」
思わず手が止まる。
「キアラさんの心は、まだ子供のまま止まってしまっているんだろうって。普通の人のように慣れさせようとしても、置いて行かれて迷子になるから、待ってやりなさい、と」
「こ、子供……ですか」
前世だったら花の女子高生で、恋愛話にきゃあきゃあ言っていた年齢なのに。
小さな子供同然だとギルシュさんに思われていたらしいことに、ちょっとショック。
でも納得できる。
私はきゃあきゃあと恋愛に浮かれるどころか、怖がって頼れる大人の後ろに隠れてしまった。だから大人役のギルシュさんが、カインさんに話をつけるような状態になってしまったのだ。
それに甘えた時点で、私は子供であることを選んでしまった。
内心でうなずきながら、私は包帯の端を結んだ。
「子供と言われるのは嫌ですか?」
嫌ではないなと感じている。
私って子供だったんだ……という事実に衝撃は受けたけれど、不愉快なわけではなかった。それにカインさんにも、大人っぽいことに不慣れなのだと知られたことで、少し肩の力が抜けた気がする。
「いいえ。だって私は子供なんです。どうしたらいいかわからなくて。でも真正面から自分でカインさんに、私が戸惑っていることを話した方がいいのかなって言ったら、ギルシュさんには、私じゃカインさんに丸め込まれるだろうって言われました」
正直に話せば、カインさんがくっくっと笑う。
「ギルシュはあなたのことを良く分かっているようだ……でも子供だというのなら、これは大丈夫ですね」
そう言って、カインさんは擦り傷を作らなかった右手を持ち上げ、ふわりと私の頭を撫でた。
子供にするように。
でも最初は、思わず肩に力が入った。けれど何度かその手の動きが繰り返されて、少しずつ慣れてくると、私は小さく息を吐く。
大丈夫。もうカインさんは急な行動は起こさないと、一秒一秒私の中に理解が浸みこんでくるようだった。
「しばらくこれで様子を見ておくことにしましょう。私も、逃げられたいわけではありませんからね。キアラさんは決めたらなりふり構わず走り出す人ですから。困るから逃げると決めたと思ったら、あっと言う間に、こちらが追いかけられない場所へ姿を隠してしまいそうですからね。それは困るので」
そう言ってくすくすと笑う。
逃げ足の早い動物みたいなことを言われて、ちょっと私は拗ねた気分になる。
それでも口を尖らせることすらできないのは、頭を撫でる手が心地良くて、固まろうとする傍から心が溶かされるせいかもしれない。
「私も貴方に嫌われたり、貴方が混乱した末に戦えなくなるのは困りますから。今のうちはまだ、兄代わりのような気持ちで傍に居ますよ」
兄代わり、という言葉に心臓が強く波打つ。
なんだろう。郷愁みたいな、そんな感覚だ。
「いつか貴方が、兄以上のものを求める気になれるまでの間は」
そう言って、少しだけ私の耳の上を指先で撫でる。
悲鳴を飲みこみながら、私は心に刻んだ。
今は我慢しているだけ。そう言いたいのだとカインさんが思っていることを。
でも私にはまだ、受け入れるには困惑が大きすぎて。
心が追いつかないから、まだしばらくは兄のままでいてほしいと、願ってしまった。
とにもかくにも、私はカインさんとのすれ違いを修正することができたと思う。
ギルシュさんやジナさんを探して御礼を言いたいが、その前にまだ私はやることがあった。
私が失敗して、土人形に薙ぎ払われた兵士さんに謝らなければ。
うろうろと探して尋ね回ったら、ほどなく問題の人の居場所はわかった。
なぜかレジーに呼ばれた兵士さんは、レジーと一緒に彼の天幕にいるそうだ。
訪ねていくと、グロウルさんが待っていたとばかりに私を通してくれた。
私の父親ぐらいの年齢の兵士さんは、ほぼ無傷だった。そして王子の前に一人で座らされて、大変居心地悪そうにしていて、私の顔をみたとたんにほっと頬をゆるめたほどだ。
うん……突然一国の王子に呼びつけられて、二人きりで話をしようなんてされたら、普通にびっくりするよ。
そんな状態だったから、兵士さんは一刻も早く天幕から出ていきたいと目で訴えてきていた。
「あの、怪我は……」
「何もありません、大丈夫であります!」
「それは良かった……」
「ご用事はそれだけですよねっ!?」
この檻から出して~と鳴く犬のような目を向けられて、私は折れた。
「はい、それだけです。今回は本当にすみませんでした。もう戻られて大丈夫ですよ」
「気になさらないでください。それでは!」
兵士さんは元気よく話を切り上げて、いそいそと天幕を出て行く。
それを見ていたレジーが、くすくすと笑った。自分で連れてきて困惑させていたのに、笑うだなんてひどい人だ。
それにしても、どうして兵士さんを自分の天幕に連れてきていたのだろう。
「どうして?」
そう尋ねただけで、レジーには私の言いたいことがわかったようだ。
「君がきっと気にすると思ってね」
「会わせようとして待ってくれていたの?」
「元の集団に戻ってしまったら、探すのが大変だろう? それにただでさえ女性が少ない集団なのに、女の子がうろうろ歩くのは避けさせたいからね」
私の問いにうなずいたレジーは、兵士さんを引きとめていた理由を話してくれた。手間と、私の身の安全のためと言われて、私は苦笑いする。
「大丈夫だよ。ついこの間、魔術を使って沢山の人を踏み潰してみせたばかりなのに。そんな人間、わざわざ近づきたくないと思うよ?」
一応、万が一のことはないように、と入浴とかの時には気を付けているけれど。今のところわざわざ近づこうだなんて人はいなかった。
だから問題ないと言ったのに、レジーは目を眇めて私を見る。
「……辛くはない?」
言われた瞬間、ずきりと胸が痛む。
たぶん、そんな風に恐れられて、気分のいい人間はいないとレジーはわかっているから、そう聞いたのだろう。
本当は辛い。だけど弱味を見せるのは嫌だ。それに恐ろしいと思われようと思ったのは自分だから。
「大丈夫」
だから微笑んでそう言ったのだけど、レジーはそれで納得してくれなかった。
「本当かな? 嘘じゃないなら、私の目をまっすぐ見て」
立ち上がったレジーが私に近寄る。そうして、自分よりも背が低い私の顔を覗き込むようにする。
私の方は、そんな彼に疑いを抱かせてたまるかと、正面から見返す。
レジーの美しい青い瞳。
そこに少しからかうような光があったけれど、じっと見つめているうちに、ふいにその光が消えて青の色に深みが増す。
「キアラ」
気付かないうちに伸ばされていた彼の指先が、私の横髪を掬いあげる。
指先で耳にかける瞬間、さらりと耳の後ろを撫でていく。首筋が震えた。
どこか甘い感覚にたじろぐけれど、もう一度髪を撫でていく手にその感覚は薄れていく。
「私は君を、縛りつけて止めることはしないから。ただ、このままいけば君がより傷つくだろう。だからせめて、苦しくなったらそう言って」
レジーの優しさに、私は心臓をくすぐられたように感じた。
けれど約束はできない。きっとあの時みたいに、私は破ってしまうから。
約束したら、今度こそレジーは私を安全な場所に閉じ込めようとする。
やっぱり戦争に関わるべきじゃなかったんだって私を言いくるめて、何もかもから遠ざけられている間に、矢に射られてしまうなんて嫌だ。
ゲームじゃないから前にセーブした所に戻るなんてできない。
そうであれば、主人公のアランだって無事でいられる保証もないのだ。アランを守ると、私はベアトリス様達と約束してきたのに。
だから教えない。
既に協力者はいる。戦いたい私を喜んでくれている。
戦いたくないと言っても、カインさんは私の背中を押し続けるだろうけれど、望むところだ。
傍にいることに不安を感じてしまったけれど、その問題も解決されたのだ。
だから沢山の言葉を飲みこんで、私はレジーに微笑んだ。
「大丈夫。私はもう、そんなに苦しいって思わなくなってきたから」
それでも嘘をつけば、ほんの少し胸の奥が痛んだ。




