デルフィオン領境を越えて
翌日、デルフィオンとの領境にある森に、敵兵がいないことを念を入れて確認した。
うっかり見逃して、カッシアに侵入されては面倒なことになるので。
……といっても、全てに目を光らせるのは不可能だろうけれど。
個人で国へ逃げ帰る場合とか、ひっそりファルジア人として生きていく人なんかは、上手く隠れられたら見つけるのは困難だ。
なので確認は一日だけで切り上げる。
その間にルアインやサレハルド、デルフィオンの軍が引き上げたことは確認した。
サレハルドはトリスフィードの方へ戻っていったようだ。この一戦だけ、助力を請われたのだろう、とレジー達は判断したようだ。
そんなデルフィオンとルアインの軍は、そのままデルフィオン男爵の居城の近くにある砦へ向かったらしい。
次の日、私達も森の横を伸びる街道を西進し、デルフィオン男爵領に入った所で、行軍を止めた。
浅いけれども比較的大きな川がある場所だ。
なので、交代で警戒しながらにはなるものの、水場で洗い物をする者が多い。
鼻歌まじりで血で汚れた甲冑を洗う者や、土埃で汚れたルナールに構って、幸せそうな顔で深みに蹴り飛ばされる者。普通に洗濯を始める者も多い。
一番多いのは、水浴びをする人だ。
私も入浴するつもりで、やや離れた場所にジナさん達とやってきた。
ギルシュさんやリーラが近くを見張ってくれているし、後でギルシュさんと交代する予定だ。
……ギルシュさんの心は乙女なのである。
特に自覚してからは、どうも男性に混じるのは恥ずかしくてだめなのだそうな。
かといって性別は男なので、彼(彼女と言うべき?)は、ジナさんなどの気心が知れた仲間がいない時には苦労したようだ。
「でもいくらギルシュがいるって言ったって、こんなおおぴらに水浴びなんて普通できないもの! ほんとキアラちゃんには感謝!」
ジナさんが両手を広げてばんざいしている。
いくら岩を変化させて簡易シャワー室みたいに囲んでいるとはいえ、ジナさんたら服着てないのに開放的すぎですよう。
「でもさすがに水、冷たくなってきましたね」
真夏ほど暑くないので、冷たさが堪える。長く浸かるのはもう無理だ。
「今度は傍で火を起こしておいてさ、焼いた石を溜めた水に放り込もう」
ジナさんはこれからのお風呂計画に、目がぎらぎらしていた。
女の子だけあって、ジナさんも身綺麗にするのは大好きなようだ。もちろんギルシュさんもね。
まだ暖かい日が多い上、陽が登っている時間なのでそれほど寒くないからと、二人とも髪まで洗ってさっぱりとする。
それでもやや寒かったのだが、服を着て出てみれば、気遣いの人ギルシュさんが火を焚いてくれていた。
「風邪ひいちゃいけないからねん。ちゃんと温まりなさぁーい」
そう言ってギルシュさんが入浴タイムに入ったので、私とジナさんで火の番をする。
「はーあったかい。そういえばねぇ、キアラちゃん」
「なんです?」
「足、大丈夫? 矢傷でしょそれ」
左足のふくらはぎのあたりを指さされて、はっとする。
先日の戦闘で、矢が引っ掻いた場所だ。
緊張していたせいか痛みをひどく感じなかったので、カインさんに気付かれるのは防げた。けれど自分のテントで確認してみたら、流血してたし傷もちょっと深かった。
この世界の優秀な傷薬のおかげで、傷そのものはすぐ塞がったけど、自分でも痕が残りそうだなぁと思っている。
「もう痛くはないんですよ」
「でも痕が残ったら……。嫁入り前の女の子なのに」
ジナさんが心底残念そうに私の足を見ている。
「すぐに治療した?」
「えっと、自分でそこそこ早いうちにがんばったんですけども」
「自分で? まさか傷薬だけ?」
うなずけば、目を見開かれた。
「でも、他の人に怪我したって知られたくなくて。また戦場から騙されて遠ざけられたらと思うと……」
「それならカインさんにでも頼んで、わたしやギルシュを呼んでくれたらいいのに」
そこをつつかれると困る。
「カインさんは……ちょっと」
「何があったの?」
鋭いですジナさん……。
そのままジナさんに、ここだけの話で吐いちゃいなさいよとつつかれて、どうせ男だらけの軍の中、女の子らしく『ここだけの話』で広まるわけもないし、傭兵業やってたジナさんは口が堅いだろうしと、私はしょぼしょぼと告白した。
問題の、先日の肩に口づけされたことを。
「なるほどね……」
聞いたジナさんは……真剣な表情になっていた。
「もう一つ聞きたいのだけど、気付いているのよね? ……彼の好意については」
「さすがに、気付かないのはムリです」
私は苦笑いした。
勘違いの範囲を越えられては、思惑があるにしろないにしろ、そういう気がある、ということを感じないわけにもいかない。
「受け入れるのは難しくて、躱してるの?」
かわす、という単語に。確かに自分がしているのはそういうことだな、と思った。
真正面から向き合わず、なかったことにしているのだから。
「……っていうか、今の状態からして推して知るべしって感じかな。今は答えられないって思ってるのね?」
私はうなずく。
「今答えたら、たぶん依存して、自分の足で立てなくなりそうで」
右足を一歩踏み出すのにも、安心したいがためにカインさんを仰ぎ見てしまうだろう。
「でもそれって恋愛感情じゃない、ですよね」
もし、の話。
前世の……今の年齢から考えて、私が高校生だったとして。学校に通って、受験のことだけに頭を悩ませている生活を送っていたとしたら。
素敵な人に思わせぶりなことをされたら、恋するかもしれないと思って、受け入れてしまっただろう。
けれど今の私は、そうするわけにはいかない。
やることがある。だから優しさに浸って、足を止めるのはもっての外。
「それにカインさんは本当に恋愛感情から、私にそんなことをしたんでしょうか」
これについても私は疑問に思っている。
カインさんが一番してほしいことは、私がルアインと戦ってルアインを滅ぼすことだろう。
一緒に戦ってくれる。そして防御を引き受けてくれる時、カインさんの優しい気持ちを感じるし、想われていると勘違いしそうになることもある。
でもカインさんの望みを聞いたら、切れ味のいい剣(私)をメンテナンスする、っていう気分なのかも、という気持ちにはなってしまった。
おかげで、カインさんの眼差しに飲みこまれずにいられるという面もあるけれど。
もうここまで話したんだし、ジナさんは私が戦いたいということに対して、反対したことはない。
だからカインさんに、レジーから邪魔が入っても阻止してもらえるよう協力してもらう約束をしたことを話した。そしてカインさんがルアインを恨んでいて、ルアイン兵を倒す私に、感謝しているらしいことも。
「恋愛感情だって認めたくないって思ったことは、私も理解できるわ。男って、深い恋情がなくたってキスとかできる生き物だもの」
その声にやや憤りが混じっているのは……どこかでそういうご経験が?
「騙そうとしてるんじゃないのかって思うわよねっ。うかつにその気になって、挨拶みたいなもんだよとか言われた日には、ぶん殴ったって気が晴れないわ」
ジナさんは語りながら、自分でうんうんとうなずいている。
「でも恋愛感情の出どころって、どこが発端かわからない時があるからなぁ」
けれどジナさんは、それでも恋愛感情が絡まないとは言えない、という判断をしたようだ。
「ジナさんは、どうだったんですか?」
色々語るからには、ジナさんは恋愛経験者だ。しかも結婚は破談になったようだけれど、婚約はしていたようだし。
私なんかよりもずっと色んなことを沢山知ってるはず。
だから教えて下さいとじーっと見つめたら、ジナさんは生乾きの横髪をかきあげる。濡れた髪のジナさんは、ざっくばらんな調子だというのに、どこか艶めいていた。
「私は憧れが発端だったかなぁ。そんな人みたいになりたい、って最初思って。だから好きだと思ったんだけど。どうも向こうは私に憧れられるのは嫌だったみたいでね。拒否されたらまぁ、諦めるしかないって感じで」
なんと、ジナさんは恋した人に思いを受け入れてもらえなかったらしい。
聞いている私も胸が痛くなる。
「ま、とりあえずキアラちゃんは、戦いに専念したいのよね? で、カインさんが大人な行動することに困ってると」
「そうです……。そんなわけで、怪我しても黙ってるしかなくって」
毎日が落ち着かない。
そう言うと、ジナさん以外から答えがやってきた。
「なら、怪我する時はアタシのところにくるよう言われてるって、カインさんに言っておくといいわん」
入浴を済ませて着替えたギルシュさんが、タオルを頭から被ってやってきた。
「聞いちゃってごめんねん」
謝られて、私はぶんぶんと頭を横に振る。
「いいえっ、だって聞こえるような場所で会話してて、いろいろ自分で口滑らせたわけですから」
ギルシュさんが悪いわけではない。それにギルシュさんは乙女である。これは女子会みたいなものだ。
「よかった。ならさっきの話に戻るけど、アタシもなるべくキアラちゃんのところに、戦闘後に駆け付けるようにするわね? アタシ、傷の縫合も経験あるし、細い糸とか特注してあるのん」
ギルシュさんは布以外も縫う技術をお持ちのようだ……。
「それがいいわね。ギルシュからその話をされたら、カインさんもさすがに察するしかないでしょ。キアラちゃんがそういうの苦手ってことや、それにまだついていけないってことがね。ギルシュがわかりやすく説明してくれると思うし」
ただギルシュさんからそういった話をされて、カインさんが傷つかないか気になる。
不安顔をしていたら、隣に座ったギルシュさんに頭を撫でられた。
「大丈夫よん、ギルシュ母さんにお任せなさい。ジナのこじれ恋愛だって、アタシが面倒みたんだから」
「んもー、最後の余計よギルシュ!」
一言多かったらしく、ジナさんが顔を真っ赤にして恥ずかしがっていた。
話をすると、すっきりしてしまった。
明るい気持ちで川辺からテントへ戻る時、兵士達に熱視線を向けられているサーラを見かけた。
「サーラちゃん、これ、どうかな?」
顔を赤らめながら、若い兵士がパンの欠片を差し出す。
「サーラこっちの方がいいぞ!」
そっちはどうやら、スープに使って多少塩が抜けた干し肉のカケラだ。
サーラ大人気だ。
ルナールはやっぱりやんちゃだからか、一緒に犬と遊びたい! という感じの兵士に人気だが、大人しく見えるサーラは、懐かせて傍に寄り沿いたい、という兵士が集まってくるようだ。
リーラはわりとジナさんにくっついていることが多いのと、落ち込んでいるとたまに優しくしてくれるということで、自ら近づかなくても見守ってくれてているお母さんのように思っている人が多そうだ。
なんにせよ、命をかけて戦う中で、アニマルセラピーを堪能している人が多いのは、いいことだと思う。
と、そこに川から上がってきたらしいルナールが、歩いてきた。
直前まで川に浸かったのか、びっしょりと濡れている。
ルナールは、サーラに餌を捧げる兵士達の後ろにとっとこ近づいたかと思うと、ぶるぶるっと身震いする。
「ぎゃー!」
「そこで水を飛ばすなばかー!」
「可愛いけど憎らしいぃぃ!」
「今度はお前を餌付けする!」
叫びながら逃げて行った彼らを見て、ルナールがふんと鼻息を吐く。
一連の出来事を遠目で見て、思わず私もジナさん達も笑ってしまった。
そうしてギルシュさんがぽつりと言った。
「ま、彼がやってるのも、ルナールと変わりない行動だと思うのよねん」




