デルフィオン領境戦2
私達は三日かけてデルフィオンとの領境に到着した。
目の前にあるのは領地の境目となっている森だ。
ゆるやかな丘を内包する以外は、平らな大地に木が鬱蒼と茂っている。
この森の中に、敵が既に兵を展開しているのだ。
本来ならば、森の中へ踏みこんでの戦闘となるのだろうが、軍議の結果、森の近くに陣を敷くことになった。
森の中で戦うのは、軍も動かしにくいし、伝達だけでも苦労するだろう。
ゲームの時は、今回の戦場は森なんだなと思って意識しなかったけれど、実際に戦うとなれば、地形はとても重要だ。
ただ敵だって、有利な状況を手放したくはないだろう。一週間や二週間放置しただけでは、森から出てこないとレジーは読んでいるらしい。
レジーはそのための計画を立て、森が見える場所に陣を敷いた。
そのまま、敵の方が攻撃してくるのを待つという。
森からほど近い場所に陣を置いたのもそのため。敵が「あとちょっと移動してくれればいいのに!」と焦れてくるのを待ちたいらしい。
このやり方なら、敵は森の中に誘い込みに来るという予想がつく。
そこで交代制で、襲撃部隊に対応することになっていた。
前面に立つのは、オペラおじさんアズール侯爵と、杖仙人エニステル伯爵の組だ。
「先生はヤギ、気を付けて下さいよ。何でも食べちゃうんで、すぐ立ち止まるんですからそいつ」
「そなたのところから贈ってきたヤギであろう。野生の中で生きておった代物が、たまさか儂を乗せておるだけ。時に立ち止まっても、それは自然に呼ばれておるのだ。自由にさせてやることも必要」
いや、自由にさせちゃだめじゃないですかね?
ツッコミを入れたくなったが、我慢する。会って間もなかったりして、このお二人とは親しく話したことがないのだ。
心の中では、『杖を使ってても、剣を教えてたって設定はそのままなんだ!』とか。前世のゲーム知識と比べて感動していた。
このお爺さん、けっこう強いんだよね。ヤギだからか、崖とか足場の悪い場所でも移動距離があまり変わらないという、素敵な特典もあった。惜しむらくは、高齢ゆえのHPの低さだろう。
……戦場に出ても本当に大丈夫かな。不安になってきた。
「先生それじゃダメでしょ!」
剣の弟子だというオペラなアズール侯爵が、ツッコミを入れてくれている。きっと彼がエニステル伯爵のことは目を配ってくれるだろう。
さて、敵のことだ。
彼らはファルジアの軍を森に引きこみたい。そしてゲームのような消耗戦を強いたいはずなのだ。
だからお誘いをしてくるだろうけれど、夜襲はかけてこないだろうと思われている。暗い森の中を夜に移動するとなれば、少数での行動でなければ不可能だ。敵だって配置した場所から大軍を動かすなど、森の中ではやりたくてもやりにくいことに違いない。
かといって、少数で仕掛けても、敵の軍を引き寄せる効果は薄い。
一気に敵を多数打倒せるかもしれない、ここでこの人数を仕留めておけば、この後の戦いも有利だと思わせないと、わざわざ森に逃げ込む数十人を追いかけたりはしないからだ。
よって敵の攻撃は、日が出ている間になると軍議で主だった人の意見が一致していた。
……詳しくはない私は、それをじっと聞いていただけだけど。
私の方も役目があるので、カインさんと共にアズール&エニステル軍の横の方で待機していた。
私という魔術師は一人しかいないので、必ずしも毎回攻撃に参加する必要はない。けれどできれば、早めにこの予定を消化したかった。
戦の期間短縮のためにも。
「ええと、レジーから指示された最初のルートがここ……」
紙に書かれた簡単な図を見て、私は一回目の行動予定を確認する。
その後はひたすら待ち続ける作業だ。
一日目は何も起こらなかった。
ひたすら師匠ともっと大きな技を使えるようになるためにはどうするか、という相談をしたあげく、師匠の研究結果を延々語られた。
「この体はしゃべるのに都合がいいのぅ。喉も乾かん。口も疲れん! 最高じゃ、ヒッヒヒヒ」
事実、聞き手として時々うなずきを返す私の方が、ぐったりとしてしまったほどだ。
二日目、デルフィオン側による一度目の襲撃が来た。
朝ごはん前だったせいで、お腹を空かせたアズール侯爵がなんだか辛そうだった。
けれどさすが戦場へ軍を率いて来ただけあり、その大声で号令をかけ、ついでに伝令いらずなことに、後方のレジーやアランの軍にまで襲撃を知らせていた。
アズール侯爵の軍はたたき起こされたかのようにしゃっきりと行動し、敵に向かって行った。
敵側は、予想通りデルフィオン男爵の軍を前面に押し出してきた。
デルフィオンの兵は、青を緊急で黒く染めたようなマントを羽織り、旗色を変えたことを表している。
こちらを森へ引きずり込む役目の彼らは、重責を負っているけれど、失敗すると消耗するだけの役だ。
だから嫌々ながら従軍してきたと思ったのに、デルフィオンの兵の勢いが良い。
しかもルアイン兵が相手ではないせいで、ファルジア側の兵が戦いあぐねることも危惧されていたけれど、アズール侯爵の軍は大声で圧倒しつつ、意気揚々と押し返していた。
その間に、私はいつもより二回りは大きな土人形を出す。
思った以上に、周辺の土を大量に巻き込んだようで、背中や腕に木が生えている状態になってしまったけれど問題はない。矢避けになるだろう。
接地する足のサイズも大きくした。
森の木を越さんばかりの大きな土人形の肩にカインさんと一緒に乗り、進ませる。
私が進むルートは、アズール侯爵達から離れた場所だ。
上下運動でぽんと放り出されないぎりぎりの速度で、森を北へ向かって迂回する。
そうして戦場から離れたところで、一気に西へ。
「敵が回り込んでくる!」
「土の巨人だ、魔術師が来た!」
慌てる敵兵が、土人形の足下を右往左往した。
みんな、元はファルジアの人達。でも剣を振り上げられた以上は、助けたいと思ったって、そんなことできない。
逃げ遅れた人もいるだろうけれど、私は前だけを見て、魔術が途切れないようにすることに専念する。
しばらく進ませたところで、今度は森を南下する。
ファルジアの軍から見ると、森を横断しているような形だ。
森は、土人形を進ませた分だけ、後ろに気をなぎ倒しただけの道ができていく。
馬車二台くらいは通れる広さだろうか。
普通に歩かせると、足跡を残すようにしか木をなぎ倒せないので、土人形は小幅でちょこちょこと進むことになる。
そのせいで、距離が長く感じた。
矢を射る敵も、だんだんとこちらの高さを狙うことに慣れてきたのだろう。
もしかすると、森の中で弓兵を使って有利に戦うため、デルフィオンの兵の中でも、弓の名手がそろっていたのかもしれない。土人形の高さも上げたというのに、予想以上に矢が届くまで短い間しか稼げなかった。
時々木の柵にぶつかって跳ね返され、カインさんの剣に払われることが多くなってきた。
「キアラさん、急げませんか?」
カインさんも危機感に駆られたのだろう。
「予定通りの道を作るには、これ以上急ぐのはムリです。……って、わっ!」
頭の横を矢が飛んで行った。
この高さに届く頃には、矢だって勢いを失っているのが大半だというのに、私に刺さりそうになった矢は、さらに斜めに高く飛んでから、地上に落ちていった。
こ……こわい。
でもレジーに任された仕事だ。まずこれをやり遂げないと、計画が上手くいかないことも分かっている。それに二度と、私に何も任せてくれなくなりそうで、そっちの方がもっと嫌だ。
行程の四分の三を越えた。
あともう少し。そう思った時だった。
続けざまに矢が飛んできた。先ほど射られそうになった矢みたいに、勢いがあるものだ。
二つはカインさんが払った。
一つは土人形に当たって弾かれる。
四本目の矢が、腕を切り裂いていった。
「いっ……!」
悲鳴をあげてしまう。けれど、土人形を進ませるのは止めない。
「キアラさん、怪我の程度は?」
「刺さってはいません。それより傷、塞げますか?」
「揺れが収まるまでは厳しいですね」
カインさんの方も、他の矢を払うのと、土人形に捕まるので手いっぱいだ。
「それなら、戻ってから」
私は血が流れているのを見つつ、それほど出血量は多くないなとほっとする。
……血まみれになってしまったら、誤魔化せなくなるから。
そして土人形も縦断するべき場所へ到達した。すぐに自陣へ帰る方向へと向き直らせ、また道を作っていく。
ずきずきと痛む腕。でも気になるのは、やっぱり気付かれそうな怪我なのか、そうではないか、だ。
アズール侯爵の軍が見えてくる。無事に敵兵は追い返したようだ。
味方に近づいたことで、飛来する矢も少なくなり、やがて絶える。
「キアラさん、傷を診ましょう。痛みは?」
「それほど酷くはない、と思います。……目立ちそうですか?」
「一部服が引き裂かれていますけれど、そう大きなものではありません。傷の方が深いかもしれませんね。血が腕を伝って落ちてしまってる。でも痛みの程度から考えて毒などは塗られていないでしょう」
カインさんは剣を鞘に収めると、袖を捲り上げて手早く手当をし、血を拭ってくれる。
「マントで隠れますか?」
「大丈夫でしょう」
カインさんの判定にうなずき、元の場所へ戻った私は、地上に降りて土人形を元の土に戻す。
その後、私は速やかに自分のテントに戻った。
誰の目にも見えない場所に来て、ようやくほっとする。
「痛った……」
これで安心して痛がることができると思うと、つい何度も痛いと言ってしまう。なんでか痛いと言うと、痛みがマシになる気がするのだ。
「それほど病むのか?」
腰に下げていた師匠に尋ねられ、苦笑いしながら師匠をテントの奥にある毛布の中に突っ込む。
「たぶん、これなら軽傷だと思います。けど確認したいので、師匠はそこで大人しくしててくださいね」
たとえ人外な存在になったとはいえ、師匠の前で服を脱ぐなど言語道断だ。
そうして私は、上着を脱いで裂けた部分を確認した。カインさんの言う通りだ。それほど服の損傷は大きくない。血が固まっちゃってるけれど。
マントの損傷はなしだ。これならさっと繕えば、何事もなかったように怪我が隠せるだろう。
さて今のうちに着替えて、さっさと服の血を洗ってしまわなければ。
そう思った時、テントに声をかけてくる人がいた。
「キアラさん、入っても大丈夫ですか?」
カインさんだ。
でも入っちゃ良くない。
だって私、怪我と服の様子を見るために、上着を脱いじゃってるから、スカートとシュミーズだけなんだけど!
「あの、ちょっと待って下さい。傷を見るためにちょっと上着を脱いでて……」
「それならむしろ都合がいいです」
は? 都合がいい?
どうしてと尋ねる間もなく、カインさんが堂々と入ってきた。思わず手に持っていた服を抱きしめて、体の前面を隠してしまう。
けれど肩とか腕は、カインさんの目に映っているはずだ。
シュミーズなんて下着なのだ。そんな姿を見られて視線を右往左往させる私とは違い、カインさんは落ち着き払って、持ってきた袋の中から、包帯や薬の瓶を取りだす。
「さっきは布を巻いただけでしたからね。綺麗に治療しなおしましょう。傷が早く治るのに越したことはありません」
私の傍に膝をつき、さっさと巻いていた布をほどくと、カインさんは腕に残っていた血の跡を拭って薬を塗り、手際よく包帯を巻いてしまう。
こうされると、服を着ているより巻きなおすのには都合がいいのはわかる。
けど恥ずかしいのは仕方ないわけで。私は下を向いてしまう。
するとカインさんが笑う。
「……慣れていただきたいですね。協力者が私だけということは、大怪我を負っても、隠したいのなら治療をするのは私だけなんですよ?」
カインさんの言う通りである。
腕くらいならまだしも、肩とかに矢が刺さって、自分でどうにかできるとは思えない。
「また何かあったら、宜しくお願いします」
納得して頼んだ私に、カインさんは目をすがめる。
そこからは、あっと言う間のことだった。
私に身を近づけたカインさんと、むき出しの肩に触れる吐息と、羽で触れるような感覚。
立ち上がったカインさんが、うっすらと笑みを浮かべて「また後で来ます」と言って出ていく。
「おい、キアラ?」
私の方は、自力で毛布の中から這い出してきた師匠に声をかけられるまで、呆然としてしまったのだった。
 




