追手がきたら
「けど、轍ができるほど馬車が通ったなら、街道が通りにくくなるくらい、雷草が増えてるってことじゃないのかな」
窓の外を眺めながら言うレジーに、アランが同意する。
「そうかもな。ここの領地を治めてるのはベルトラン子爵家か。対策はしていないんだろうか」
「貴族が通らないと、なかなか掃除しないんじゃないかな?」
「かといって、僕たちの方からあれこれとは話しにくい相手だ」
「違いない」
なるほど。雷草は討伐じゃなくて掃除なんだ。
微妙に政治的な臭いのする二人の会話を聞きながら、私はレジーの横にちまっと座っていた。
不測の事態が起きた時に、荷馬車に乗せていてはまた転がり落ちるのではないかと判断され、護衛の騎士達も含めた全会一致でアランお坊ちゃまの馬車に同乗させてもらっている。
……なんか、大人しく乗ってることすらできない子みたいで、大変申し訳ない。
情けなくてずーんと落ち込んでいる私も、やがては窓の外の景色に興味を引かれる。
なにせゲーム画面の俯瞰図とアニメーションの背景で見ていた風景が、現実に広がっているのだ。
深い森だとは言ってたけど、さすがに綺麗に描かれた絵そのままではないようだ。枯れた蔦が垂れ下がっていたり、地面も枯葉が降り積もっている。
そこをちょろっと姿を現して走り去ったのは、リスではないだろうか。
ああ、現実なんだな……としみじみ感じられた。
ちなみにこの森。ゲームの進行上で通りがかった時に上手い選択肢を選べば、ゲームでアランは茨姫の助力を得られる。
茨姫が愛でたくなる年齢からは外れているアランだが、王家に縁のある茨姫は、王家の血族には協力するのだ。
……でも、とある代物を持ってこいという要求をされ、そのためにクリアしなければならない戦闘がある。
また、実は茨姫が仲間にならなくても、ゲームはクリアできる。多少レベルを上げて挑めば大丈夫だ。
そのため茨姫のイベントを外してクリアしてしまう人も、そちらのイベントに行くきっかけを見逃したまま、クリアする人も多いと聞いている。
ぼんやりとゲームのことを考えていた私は、馬車の横にいた騎士が振り返る姿に、なにげなくその視線の先を追おうとした。
どうやら誰か人が来たらしい。
馬車が止まったので、レジー達も異変に気づいた。
「何だ?」
眉をしかめるアラン。
「誰かに呼び止められたみたいでしたよ」
私が言うと、その表情が険しくなる。
「うちの馬車を呼び止めた?」
するとアランは、馬車の前側の座席を上げ、荷物入れにするためか空洞になっているその底板を探る。
すぐに取っ手を探し当て、底板を持ち上げた。もちろんその向こうに見えるのは地面だ。
「万が一の場合がある。お前とレジーはそこから外へ出ろ。森の中に隠れておけ」
「後で迎えに来てね」
レジーはあっさりと言って、猫のようにするりと馬車の下の地面に下りる。
なんだかわからないが、緊急事態っぽいので私もそれに従った。
地面の上にしゃがみこんでから気づいたのだが、これ、うっかりしたらまたレジーにドロワーズが見えるとこだったよ。
当のレジーは、姿勢を低くして馬車の下に潜ったまま、外の様子をうかがっていたのでこちらを一顧だにしなかったわけだけど。
ほっとしながら私はレジーに並んだ。
馬車の下は狭くて、ほとんど這いつくばる状態だったけれど、外にいる護衛の騎士達の足や馬の足が見える。そして会話も聞こえた。
「ですから行方不明のお嬢様を、もし保護されていらしたらと……」
「保護したのなら、家に知らせを走らせている。居ないと言っているのにまだ確認させろということは、貴様は我らを疑っているのか?」
ウェントワースさんの抑えていながらもやや憤りを感じさせる口調に、相手もひるんだようだ。
「いえいえ! ただ辺境伯のご子息は同じ日に学校を出発されたと聞きまして、何かお気づきのことがないかお伺いしたいので」
「アラン様を煩わせるわけにはいかん。それに我らがお迎えに行ったのだ。異変があれば私達でも気づくだろう」
「けれど皆様は校内をくまなくご覧になったわけではないでしょう? 本当に困っているのです。なにせ王妃のご縁戚であるクレディアス子爵の花嫁になられる方でして。もうお式の準備も終えているのですよ」
へりくだりながらも、しっかりと脅し文句を含ませてきている相手の言葉に、私はぞっとする。
王妃の縁戚に不快な思いをさせるようなことがあれば、お前たちの領地に何があるかわからないぞと言っているのだ。
「それを言うのなら、我がエヴラール辺境伯家は王の縁戚だが?」
ウェントワースさんも負けてはいない。
そうなんだよ。アランの家はというか、彼の母親である辺境伯夫人が国王の姉なので、アランは王位継承権を持っているのだ。
格としてもエヴラール家の方が上ではあるが、なにせ相手は王妃だ。競り合った末に面倒なことになっては困るだろう。
どうする気なのかと思ったその時、アランが馬車から顔を出したようだ。馬車の扉が開く音がした。
「おいウェントワース。一体何があった? なぜ馬車を止めた?」
「はい。パトリシエール伯爵の配下だという者が、ご令嬢を我らが連れ出したのではないかという疑いをかけてきまして」
「何だそれは。貴様、僕を疑うのだから、覚悟とそれ相応の理由があるんだろうな?」
アランの尊大とも言える口調にも、パトリシエール伯爵の配下は怯みもしない。
「いえ、決して疑っているわけでは。ただ、そうと知らずにお連れになっている場合もあるかと思いまして、少し馬車の中を拝見させていただけないかと……」
話を聞いている途中で、ちょいちょいとレジーに服の裾を引っ張られた。
何かと思えば、馬車の下を覗くようにして手招きしている騎士がいる。森側にいる騎士の傍は、どうやらパトリシエール伯爵の配下とは反対側になるようだ。
音をたてないよう、慎重に這ってそちらへ出た私とレジーは、急いで森の中へ行くよう指先で指示される。
一時的に姿を隠せということのようだ。
パトリシエール伯爵の配下が、どうやら馬車の中をのぞき込んでいるようだ。それを見て、私とレジーは森の中へ移動して、ひとまず茂みのかげに隠れた。
しゃがみこみ、無事に姿を隠せたことにほっとしていると、指先にぱちっと静電気が走った。
「!?」
右手の下を見れば、ちょうど根っこを自分でひっこぬこうとしている、小さな雷草が一株。
えっこらしょと作業を終えて歩き出そうとする雷草を、私は思わずひっつかんで遠くへ投げた。
ごめん。馬車から落ちてから雷草に追いかけ回されたことが、けっこうトラウマになってたみたいで、一秒でも早く自分の近くから排除したかったのだ。
レジーが目を見開く中、雷草は綺麗な放物線を描いて――馬車の向こうに落ちた。
バチバチバチ。
落ちた雷草が、怒ったように火花を散らし、静かにしていた側の雷草が反応したようだ。
突然火花が散り始めた状況に、再び馬達が大騒ぎする。
いななきが重なり、竿立ちになる馬に騎乗していた者達が焦り、馬車が走り出した。
「ひょあああああっ!」
馬車から悲鳴が上がったが、アランの声ではなかったので……大丈夫だと思う。
そして素晴らしい速さで走り出した馬車とそれを追いかける騎士達、乗り手の居ないパトリシエール伯爵の配下のものらしい馬がどこかへ逃げてしまうと、残されたのは乗り手の居ない怯えきった馬と、森の側に避難したウェントワースさんだけだった。
ウェントワースさんはさっと馬を森の中に乗り入れると、大きすぎない声で呼びかけてくる。
「レジー様、いらっしゃいますか?」
「僕はここだよウェントワース」
立ち上がったレジーを見て、ウェントワースさんはほっとしたように言った。
「申し訳ないのですが、しばらく森の外縁部をお進み下さい。剣をここに置いて行きます。馬車を早めに落ち着かせた後で別な者を迎えに寄越します。それまで、森の外にはお出でになられませんように」
「わかってるよ。君は相手と話しているし、人数が少ないから欠けるとすぐに不審に思われるだろうからね。伯爵の配下に気取られないように気をつけて」
「承知いたしました」
ウェントワースさんはその場に馬にくくりつけていた剣を置くと、すぐに立ち去る。レジーはすぐに剣を拾いに行き、腰帯に鞘についている金具で固定した。
「どうしてレジーも残るの?」
私は、それが疑問でだった。
みんな、アランもレジーのことを大事にしている。なのに、護衛も無しに放置するというのだ。
私の所まで戻ってきたレジーは、にっこりと笑みを浮かべて答えた。
「君よりは強いからね。女の子一人を放置するのは忍びないだろう?」
「…………」
正直、答えになってないと思う。
だって私を放置したところで、特に問題はないはず。貴族令嬢としてではなく、平民として雇おうという相手に、そこまで手厚くするのはオカシイのだ。
けど、さっきは私のこと隠してくれたんだよね。あれはトラブルを避けるためだったのかもしれないけど、思えばその時にレジーも馬車から抜け出させたのも変だった。
私が惚れ薬並みの効果を発揮する容姿や、何か希少性を持ってるならまだしも、私のためにしてくれたとは考えられない。
ならば、レジーも他の人間に見られたくない理由があるのではないだろうか?
私は思わずじーっとレジーの顔を見てしまう。
学校では、アランの後を追いかけて行くのを見た。だから子供相手ならば、そう隠すことはないのだろう。けれど貴族に仕える大人を警戒しているのだとしたら?
教会学校は義務で通う所じゃない。
繋がりを作りたい貴族や、子供達に結婚相手を探させるために入れる場合もある。ほんのちょっとではあっても、男女共学の授業があるので。
それが必要ない貴族は、通わせない。
もしかしてレジーは……。
「……ひゃっ!」
突然レジーに手で目を覆われて、考え事が全てふっとんだ。
「ぼんやりしてどうしたの? ずっと同じ場所に留まりすぎると、獣が寄って来る。行こう?」
私を驚かせたレジーは、さっと手のひらを離すと今度は私の手首を掴み、森の中を歩き出す。
素手の感触が手首に緩く触れて、私は妙に緊張してしまった。
手を掴まれたのは初めてじゃない。寝台からころがり落ちた時にも、レジーに手を掴まれて吊り上げられたわけで。
ただ、急に顔に触れられたせいで、変に意識してしまったのだ。
で、でも騙されないんだから、と気を引き締める。
たぶんレジーは、私が彼を凝視していたので、詮索されたくないことに気づきそうだと思って、わざと驚かせたのだろうから。
でも私の中では既に確信になってしまってるので、びっくりした程度で忘れたりはしない。
……多分レジーは、貴族だ。
しかも侍従というのは本当のことではあるまい。周囲とアランの対応から、今は『侍従の役』に甘んじているだけに違いないだろう。




