腐ってしまうその前に—赤い箱
箱が大好きで、家のなかにいっぱいあります。
あなたの部屋のどこかに、見覚えのない箱はありませんか?
何色ですか——
その箱のなかには、あなたが思い出せない記憶が、ひっそりと残っていませんか——?
2026.03.10 続編執筆に伴い、タイトル変更しました
ある休みの午後、なんとなく頭の隅に「忘れてる何か」が引っかかる。
「今日は誰かと会う約束はないし……、シャンプーの買い置きはあるでしょ? えー、何だろう?」
でも、絶対何か忘れているはず。
色々な扉や引き出しを開けたり閉めたりして、その何かを思い出そうとする。
あれ?
クローゼットの奥に、見覚えのない段ボールがひとつあるのを見つける。
持ち上げると、重いような、軽いような。
「何が入ってたっけ?」
そう呟きながら、リビングに持ってくる。
カッターが見当たらず、果物ナイフで開封した。
中から出てきたのは、たくさんの色とりどりの小さな箱と、1枚の契約書。
『この度は、ご契約誠にありがとうございます。 これらはあなたから抽出した記憶たちです。 開封した時点で、弊社との契約は終了となります』
契約者の箇所には、私のサインがある。
保証人は妹だ。
「えー、何これ? 晴香ってば、こんな手の込んだいたずらしてー!」
数日前に泊まりに来た妹の仕業だと思い、書類を丸めてゴミ箱に捨てる。
でも、若干ワクワクしながら、1つ目の箱を開ける。
—「好きです。 付き合ってくれませんか?」
高校1年生の春休み前、仲の良かった男友達に告白された。
恥ずかしくて、でも嬉しくて、ぎゅっと握った手の中の、制服の赤いスカートの感触が蘇る。
「健太郎! 何で忘れてたんだろう……」
慌てて次の箱を開ける。
—「きゃー! 綺麗! チューリップがいっぱい!」
大好きなチューリップ畑で初めてしたキス。
二人の顔も、チューリップみたいに真っ赤で笑った。
次々に綺麗な色をした箱を開けていく。
親に嘘をついて、健太郎と2人で外泊した夜のこと。
受験に合格した日に、喜んで抱き合ったら、雪で滑って二人で転んだこと。
大学生もバイト先も同じで、二人はいつも一緒だった。
箱を開けるたびに記憶が戻り、可愛らしい私たちの姿に、思わず笑みが浮かんだ。
次はこれ!
—「これからもずっと一緒に手を繋いでいませんか?」
—「えー? 手を繋ぎたいの? いいよー」
—「あー、じゃなくてー。 いや、そうなんだけど……結婚してください!」
健太郎が差し出してくれたのは、憧れのブランドの赤い箱だった。
嬉しくて、目が溶けるんじゃないか、ってくらいに盛大に泣いたっけ。
こんな大事な記憶を、どうして忘れていたんだろう。
あれ?
婚約指輪は?
気になり、ジュエリーボックスを見るが、入ってない。
電話が鳴る。
—晴香だ。
「もしもしお姉ちゃん?」
「ねえ、私の婚約指輪ってどっかで——」
「今行くから、もう箱を開けないで!」
晴香は突然そう叫ぶと、いきなり電話を切った。
……もしかして、健太郎に何かあった?
どうしよう。
箱を開ければわかる。
恐る恐る、最後から2つ目の箱を開ける。
—「あの人、誰? 残業って言ってたのに、何でレストランで食事してたの?」
そう、社会人になってすぐ、健太郎が浮気したんだった。
お互い新社会人になって、仕事に慣れるのに大変だった。
私は二人で一緒に住む部屋探しで忙しかったから、なかなか会えなくて寂しかったんだ、って。
何回か食事に行っただけ、って言うから、泣きながら許した。
あのプロポーズは、このあとのぎくしゃくが落ち着いた頃のことだった。
ひたすら謝る健太郎の後ろで、記憶を取り出す新技術が開発されたってニュースが流れていた。
「つらい記憶を、安全に取り除けます」と。
テレビの中の開発会社の女性の赤い口紅が、綺麗な弧を描いてた。
この社名って、さっきの契約書の……?
震える手で最後に残った、赤い箱を開ける。
赤は、私たちの思い出がいっぱいな、幸せの色。
—「友達が、昨日ベビー用品売り場であなたを見たって。 妊婦と手を繋いでたって言ってるけど……勘違いだよね?」
—「……」
—「嘘つき! まさか、あの時の人?1回だけって……」
—「ごめん」
—「何で?」
—「陽菜とは、ずっと一緒にいたから?」
—「……どういうこと?」
—「彼女といるとドキドキするんだ」
—「うちら、来年結婚するんじゃなかったの?」
—「……ごめん。 責任取らなきゃ」
—「責任って? 誰に対して?」
—「陽菜だって、俺が子どもを見捨てるような酷い男だったら嫌だろう?」
健太郎は、何も言えない私に、困ったように微笑む。
—「もちろん、婚約破棄しても、陽菜とはこの先も友だちとして仲良くしたい。 だから、ちゃんと婚約破棄の慰謝料も払うよ。 心配しないで」
友だち?
そうだ、健太郎には他人に悪く思われたくないからって、ちょっとだけ身内をないがしろにするところがあったんだった。
まだ私は彼の身内なのか。
どんどん冷たくなっていく指先が、白い。
目の端に映った赤いりんごが滲む。
—「あ、陽菜の引っ越し費用は俺が出すよ。 でさ、この部屋はそのまま俺が住んでいい? こんないい部屋、なかなか見つかんないよ」
健太郎とあの人が使う?
私がやっと見つけた部屋。
—「彼女もこの部屋気に入って、早く住みたいって言ってるし」
え?
部屋に入れたの?
陽菜の方がセンスいいから、って言われて、私が一人で作り上げた、ここに。
—「今月中でいいかな? 出産が近いから、その前だったら何か手伝え——」
あ、りんご食べなくちゃ。
卒業旅行先のスイスで買った果物ナイフ。
赤い柄が可愛くて、いつも手に取ってしまう。
—「腐る前で良かった」
健太郎の首元に赤い染みが広がる。
—「え?……陽……菜?」
あの時のりんごは甘くって、ちょっとだけ鉄の臭いがした—。
———
あの日と同じりんごの季節だ。
家のチャイムが何度も鳴っていることに気付く。
晴香ってば、そんなに慌てなくて大丈夫なのに。
「りんご食べたいなぁ。 あ、またお母さんに送ってもらおうっと」
忘れていた番号を呟いた。
「いらっしゃい。 やっぱりお試しじゃ駄目ね——」
読んでいただき、ありがとうございました。
箱にまつわる思い出は、箱の中にあるのか、それとも外にあるなのか。
ふと、部屋にある箱を見てて、思いました。
今の家に住んで5年、まだ開けてない箱はないはずです。
2026.03.10
妹視点でも話を書いてみました。
妹は何を考え、姉の記憶を抜き出す手伝いをしたのか。
読んでいただけると幸いです。
腐ってしまうその前に—赤い陽
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