金色の繭のドレス
(早くディードリヒを見つけないと……)
ディードリヒは税務監査官として遠方の領地に派遣されていたが今日の午後には帰還し舞踏会に出席できる。そうセドリックから聞いていた。
しかし、彼の姿はどこにも見えず、セドリックも見つからない。
「……まったくどこに行ったのかしら?」
「おや、ナタリア様ではございませんか?」
「なんて美しいドレスでしょう!」
「どちらでお求めになりましたの?」
あちこち探し回っているナタリアに声をかけてくる貴族も多い。以前は『悪女』『守銭奴』のレッテルを貼りずっと無視してきたくせに、と彼らの変わり身の早さにあきれ果てる。
「我が伯爵家をどうか皇帝陛下によろしくお伝えください」
「皇帝陛下はまだ皇后や側妃もお決めになっておられないとか。ぜひ我が娘との縁談も……」
うま味のある話に乗っかりたいという欲丸出しの顔で話しかけてくるアルバン公国貴族たちにナタリアは心底うんざりした。
「わたくしは陛下に物を申し上げられる立場にはおりませんので。失礼いたします」
素っ気なく返答してその場を離れようとしたが「いや、ちょっとお待ちを……」と案外しつこい。
「申し訳ありませんが、わたくしは忙しいので。そもそもわたくしに対して陰でこそこそ悪口ばかり言っていた方々がどうして今さらわたくしに近づいてくるのですか?」
彼らが実際に悪口を言っていたかどうかは定かではない。が、アルバン貴族はほぼ全員自分の陰口をたたいていた自信がある。ナタリアが冷たい視線を向けると彼らは気まずそうに口ごもり視線を逸らした。
「あ、いや、あれは昔の話で……」
「誤解で……」
「気を悪くされていたら申し訳ないが、悪気はなかったんですよ」
「わたくしは皆さまとお話しすることはありませんので失礼しますわ」
きっぱりと言い切り、ナタリアはその場から素早く逃れた。
ディードリヒの居場所は分からないがセドリックなら知っているだろう。まずはセドリックを探すことにしよう。あの人はかなり目立つから……。
少し背伸びしつつ会場を見回すがセドリックの姿も見当たらない。執務室に戻ったのかもしれない、とそちらの方向に歩き出した時に不愉快な声が聞こえてきた。
「あら、ナタリア、久しぶりじゃない?」
「お継母さま……と、お父さま……」
「そうだな。お前は連邦総督邸に入り浸りだからな。親不孝者が!」
「本当だわ。おねえさまばかりずるい! 何よそのドレス! 私のほうがずっと似合うのに!」
「ローザ……」
嫌な人たちに捕まってしまった。どうやって振り切ろうと考えていたところで父親が気持ちの悪い笑みを浮かべた。
「お前がメグを使って俺の屋敷を探らせていたのは分かっている」
その名前を聞いてナタリアの血の気が引いた。
「なんのお話でしょうか?」
それでも平然と笑みを浮かべて内心の緊張を隠す。しかし父親は傲慢に嗤う。
「知りたいか? メグの命が惜しければ俺たちの言うことを聞くんだ」
ナタリアは頷くしかなかった。
◇◇◇
両親と異母妹のローザは、周囲の目を避けるようにナタリアの腕を掴み、脇の小部屋へと引きずり込んだ。扉が閉まると同時に、外の華やかな音楽は嘘のように遮断され空気が重く沈む。
三人は顔を見合わせ、まるで合図でもしたかのようにニヤリと嗤った。ナタリアの背筋に冷たいものを走らせる。
「これでお前はおしまいだ」
父であるハインリヒ伯爵の低く勝ち誇った声。ナタリアは一歩退き彼らを見返した。
「……どういうことですか?」
父は肩をすくめ事もなげに告げる。
「皇帝はいなくなるだろう。ははっ、偉そうに振る舞ってきたが、もうお前の後ろ盾はないぞ。アルバン公が国王の座に戻られるのだ」
「は!? 何を莫迦なことを。国と国が定めた戦後の国交文書がございます。たとえ皇帝がいなくなる、なんていう荒唐無稽な話が現実のものになったとしてもアルバン公国が王国に戻ることはあり得ませんわ」
「皇帝には後継ぎがいないだろう?」
正直、キール帝国の後継問題について尋ねたことはない。カイルは未婚で皇太子もいないらしい、という噂は聞いたことがあるが……。
まだ若く健康なカイルが後継ぎの問題を切迫したものとして考えていなかった可能性はある。だが、あのセドリックがそんな抜かったことをするだろうか?
「だから何だというのです? それくらいの備えはしてあるでしょう」
ナタリアが断言すると父親は若干怯んだが、傲慢な表情は変わらない。
「皇帝不在の間、キール帝国は混乱するだろう。それに乗じて戦争を仕掛ければ今度は勝つことができる」
同じ過ちを繰り返すと堂々と宣言する人間の脳には何が詰まっているのだろうか? さらに父親は莫迦にするように嗤った。
「メグを使って儂らを探っていたのは分かっている。メグの命が惜しければ儂の言うことを聞くんだ」
「ふっ、彼女の命を惜しんでお父さまの言うことを聞くなんてことはあり得ませんわ」
弱みを見せてはいけない。さすがに伯爵としてむやみやたらと殺人を犯すことはないだろう。
「お父さま、言った通りでしょう? おねえさまはこういう方なんです。冷酷で冷血、人の命なんてどうでもいいのですわ!」
「そうだな……。仕方がない」
不意に背後から腕を絡め取られ、ナタリアは羽交い絞めにされた。継母が肩を強く押さえつけ、そのまま無理やり椅子へと座らせる。次の瞬間、両手首は背後で固く縛り上げられていた。
「はははっ! あの気取った連邦総督と取引きさせてもらう。お前は貴重な取引材料だ」
「わたくしに取引材料としての価値などありませんわ」
「いや、連邦総督はお前を相当気に入っているという報告を受けている。お前が傷だらけでボロボロになっている姿を見たら交渉に応じるのではないか?」
言葉の意味が理解できた瞬間、ナタリアの胸の奥が凍りついた。
「止めてほしければお前が貯めこんだ金を寄こせ」
「嫌よ! あなた方にはびた一文お渡ししませんわ!」
「そうか……やはり少々痛い目に遭わないと分からないようだな」
その隙を逃さずローザが一歩前に出る。細い指の先に小さな硝子瓶が揺れていた。
「おねえさま」
甘えた声の裏に歪んだ喜びを滲ませながら彼女は続ける。
「これ、何かお分かりかしら? 腐食用の薬液なんですって。皮膚を溶かして爛れさせるそうよ。そのお顔、少しだけ傷をつけさせてもらうわ。だっていつもおねえさまばかり贔屓されていてズルいんだもの」
(腐食の薬液!? 一体そんなもの、どこから……? メグから怪しげな人間を招いていたって聞いたけど、そこで……⁉)
継母も鼻で嗤う。
「お前ばかりが皇帝にまで優遇されて。その綺麗なお顔に傷くらいついても当然よ」
父も頷きながら吐き捨てるように言った。
「そうだ。身の程をわきまえろ」
ローザは唇を歪め憎悪を隠そうともせず囁く。
「そうよ。いい気味だわ」
三人の視線が獲物を囲むようにナタリアへ注がれる。その目には家族としての愛情は欠片も映っていなかった。
(そんなこととっくの昔に知っていたけど)
小部屋の空気は今にも破裂しそうなほど張り詰めていた。
「どうだ? 金を払う気になったか?」
「……皇帝がいなくなる、とはどういうことですか?」
時間を稼ぐために逆に質問してみたがナタリアの声はまったく震えていない。それがかえって相手の神経を逆撫でした。
「消すんだよ! お前などには想像もつかない方法があるんだ。馬鹿め!」
吐き捨てるような父の言葉にナタリアは静かに首を振る。
「あなたたちに渡すお金なんてありません。わたくしが必死で貯めたお金は自分のためだけに使いますわ」
その一言が最後の火種だった。
「馬鹿め!」
「おねえさま、愚かね!」
ローザの手が振り上げられ、硝子瓶の中身がナタリアの上に降り注ぐ。彼女は目をかたく瞑った。
だが……。
次の瞬間、奇妙な音がした。液体がまるで見えない壁に阻まれたかのように弾き飛ばされた。
ナタリアの身体には何一つ触れていない。
ドレスから淡く発する光が繭のように彼女を包み込んでいた。
お蚕さまの金の糸で紡がれた特別な絹。
それはあらゆる害を拒み持ち主を守るものだった。
理解する間もない。跳ね返された薬液は意図した相手ではなく、放った者たち自身へ向かった。
「ギャーー!」
「ひ、ひぃ……痛い…」
「いや……助け……」
甲高い悲鳴が上がる。両親とローザは床に倒れ込み恐怖と苦痛に顔を歪めている。先ほどまで浮かべていた嘲笑は見る影もない。
金色の繭のドレスは穏やかな光を湛えナタリアの荒い呼吸に合わせて淡く揺れていた。




