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扇動

「良く似合う。まるでリディアが帰ってきたようだ」


 祖父は目を潤ませながらナタリアを見つめた。金の繭からできたドレスが仕上がってきたのである。


『取りあえず着てみなよ』


 無理矢理セドリックに着替えさせられたナタリアだが、実際に肌に触れるとしっとりと柔らかく最高の着心地である。


 淡く光る金色のシルクが美しい曲線を描くシンプルなデザインで、鏡の中の自分の姿を見ながらナタリアは思わずため息をついた。


(こんなに美しいドレスは初めてだわ)


「真に貴重なお蚕さまから賜った絹でお前のドレスを作れるなんて夢のようだ。皇帝陛下には感謝しないといけないな」


 祖父が呟くとパトラ村から一緒についてきた職人達も口々に同意した。


「皇帝陛下は思っていたよりもずっと気さくで良い方だったな」

「ちゃんと自分なりに勉強されていたようで質問も的を射ていたわ」

「きっと優秀な皇帝でいらっしゃるのよ」


 なぜかカイルが褒められているとむず痒いような気持になるが、決して嫌な感覚ではない。むしろ嬉しい……と言ってもいいだろう。


 ナタリアもせっかくだからカイルのことをもっと褒めようか、と考えていた時に、一番若い職人が暗い顔をして口を開いた


「でも最近、帝国や皇帝への批判……というよりいい加減な噂とか誹謗中傷が町中で聞かれるようになりましたね? やっぱりアルバン公が国王だった頃の治世が良かった、とか」

「え⁉」


 そんな噂は聞いたことがない。慌てるナタリアと対照的にセドリックが眉をひそめて頷いた。


「ええ。公都だけでなく地方都市にも悪逆非道の皇帝とキール帝国はアルバン公国にとって大きな脅威だという流説が広まっているようです」

「そんな……。脅威って、既に戦争に負けて属国になっているのに?」

「そこが怪しいんですよね」


 セドリックが苦笑いを浮かべた。


 どうやらセドリックが調べたところによるとアルバン公が人を雇って主要都市で組織的にデマを流して情報操作を行っているらしい。


「バカバカしい! そんな出鱈目をみんな簡単に信じるの⁉」


 ナタリアは苛立つが祖父やセドリックは『そんなものだよ、世間なんて』という顔で肩をすくめる。


「今度、国民投票があるだろう? 結果次第でアルバン公は公主の座を退き、アダム公世子も国の中枢から排除されることになる。彼らも必死なんだよ」


 言い聞かせるような口調に腹が立ってナタリアはセドリックをキッと睨みつけた。


「今まで散々税金を搾り取って贅沢三昧してきた嘘つきを簡単に信用するなんて、この国の人々はどれだけ世間知らずなの?」

「善良というのは騙されやすいということでもあるんだよ。みんな人が良いから『こんなに堂々と嘘をつく人なんているはずない。これだけ断言するってことは本当なんだろう』って思うのだろうね」


 ナタリアははぁっと大きく息を吐いた。


「その嘘を振りまいている連中がどこにいるか分かるかしら?」

「ナタリア、どうするつもりだい?」


 祖父が心配そうに見つめるが国民投票で『アルバン公続投!』なんていう結果を知らされたら悪夢でうなされそうだ。


 私利私欲のために平気で嘘をつく人間が多いのは知っているが、こんな局面でアルバン公にいいように騙される民衆にも腹が立ってきた。要は義憤に駆られて行動を起こす決意をしたのである。


「セドリック様、せめて公都での噂を払拭したいですわ!」


 そんなナタリアの顔をセドリックは眩しそうに見つめていた。


      ◇◇◇


「ねぇ、聞いた? 酷い話よね? キール帝国がまたアルバン公国を攻撃するかもしれないって……」

「ええ。それにキール帝国の貴族達がアルバン公国の土地を買い占めたりしているそうよ」

「怖いわね。傲慢で乱暴者のキール帝国の人間が来たら、この国の治安も悪くなってしまうわ」

「やっぱりこの国への愛国心のない人には来てもらいたくないわね」


 公都にある大広場にやってきたナタリアは、あちらこちらから聞こえてくる人々の会話を漏れ聞いてため息をついた。


 アルバン公は帝国への敵意を煽るような噂を流して自分への支持を上げようとしている。権力を維持するために七割の国民から支持を得る必要があるからなりふり構っていられないのだろう。


 疑うことを知らない善良すぎる民衆なのかもしれない。しかし、アルバン公が仕込んだ嘘をそんなに素直に鵜呑みにして大丈夫なのかと心配になる。


 ナタリアは額を押さえた。


 そもそも近隣諸国で約束したルールを破ったのはアルバン国王の方なのである。キール帝国が内政不安になった隙をついて不意打ちで攻撃を仕掛けるなんて卑劣極まりない。現に近隣諸国で当時のアルバン王国に手を差し伸べる国は存在しなかった。


 しかも、キール帝国の人口はアルバン公国の五倍。国土も国家予算も軍事力も遥かに強大な隣国に突然攻め入ったらどうなるか? そんな簡単な予測すらできなかったのが旧アルバン王国国王だったのである。


 国王の座を失い文句ばかり言いながらもアルバン公の地位にしがみついていたいのは、やはりうま味のある立場なのだろう。


 国民投票を見据えてアルバン公は公都だけでなく各地を回り愛嬌を振りまいているらしい。サクラ役を演じる従者も数多く同行させ、平民の振りをして民衆の間で嘘やデマをばらまき、民衆が反キール帝国になるよう扇動しているそうだ。


 しかも、自然災害があった町を訪問した際には『自らの命は自分で守るように。国に頼るな』などと偉そうに演説したという。災害で大切な家族や子供を亡くした人々の前で。


 戦争の時には若い貴重な働き手を無理矢理徴兵して人々を苦しめたアルバン公だ。自分の保身ばかりに必死で民衆を守ろうとする意思もない。カイルとはあまりに違う。


『緊急時に国民を守るのが国の仕事だ。復興まで責任を持って支援する』


 前回の視察の時にそう言われて多くの住民たちは頼もしい皇帝カイルの言葉に感謝していたはずだ。


 それなのに得体のしれないふわふわした熱に浮かされて愛国心が芽生えたとキール帝国を非難するようになった。不思議で堪らない。


 旧アルバン王国なんて人民から税を搾りあげて王族と貴族だけが贅沢三昧していた国じゃないか?


 今はキール帝国のおかげで多少マシになったのだ。


 公都の大広場は芝居の興行などにも使えるよう一段高くなった舞台が設置されている。ナタリアは淑やかに舞台の上に立つと腹に力を入れて声を張りあげた。


「皆さん、聞いてください! アルバン公が雇った嘘つきがキール帝国の出鱈目な噂を国中に広めています! どうか騙されないでください!」

「え? 出鱈目な噂って……?」

「どういうこと?」


 ナタリアの突然の訴えに民衆は戸惑っている。


「アルバン公が全国を回りキール帝国の誹謗中傷を広めています!」

「でもアルバン公はキール帝国の悪口なんて言っていなかったぞ」

「寝る間も惜しんで働いているのにキール皇帝から嫌がらせを受けているとか……?」

「アルバン公は睡眠もろくに取れず体調が悪いのに頑張っていらっしゃると聞いたけど」


 民衆の声が聞こえてナタリアは唇を噛んだ。


「騙されています! アルバン公が国王だったころ、皆さんの生活はどんなでしたか⁉」


 ナタリアは心の底から叫ぶ。


「……税金はすげー高かったな」


 ためらいがちな声が聞こえた。


 アルバン王国だった時代、国民は様々な税に苦しめられていた。国に支払う国税の他に領主へ納める地方税、さらに他の領地に移動するだけで重い通行税が課せられ、輸送税、商品税、教会で治療を受けると治療費の他に医療税、というようにあらゆるものに税が課せられていた。


 現在は国税の一部がキール帝国に納められ、それが防衛などに充てられている。また地方税も維持されたが税率が下がり、領主は領地の道路や橋、水道などのインフラ整備を行う義務があると法制化された。そして、それ以外の税はすべて廃止されたのである。


「昔は生活が苦しかったわ。それに橋が壊れてもなかなか直してくれなくて」

「物を買うのも大変だったわよね。農村地帯から農作物を運ぶのにも税金が高いうえに治安が悪かったり道路が整備されていなかったり……」

「今は治安が良くなったから安心して暮らせるようになったわね」

「食べものも安く買えるようになった!」


「そうです! 高い税金を搾り取って贅沢三昧。国民のために税金を使わず王族や貴族ばかり優遇されていたんですよ!」


 その場にいた民衆はハッと我に返ったような表情になる。


「しかも自然災害でも自分の命と生活は自分で守れ。国に頼るな。つまり高い税金をしぼりとっているくせに災害時にも国民を助けない、そう宣言したんですよ!」

「そう言われれば酷いな」

「俺たち民衆のことはどうでもいいってことか?」


 みんなが目が覚めたかのように口々に言いあっている。ナタリアはさらに声を張りあげた。


「それに対してキール帝国の皇帝が何と言ったか覚えていますか? 人々が安心して暮らせるように税金を使うと言っていました。どちらが君主として優れているのか、皆さんには分かりませんか⁉」


 民衆はまだしぶしぶといった雰囲気で頷いた。


「でも、やっぱり大国だからってアルバン公国のことを下に見て莫迦にしているというか」

「どうしてそう思うのですか? 実際にキール帝国人に莫迦にされたり、上から見られたことがあるのですか?」

「いや、キール帝国人に会ったこともないんだけど……」

「会ったこともない人たちを最初から疑うのですか?」

「だって……戦争で負けて占領されたし……」

「落ち着いて聞いてください! 国民を守るべきだったアルバン国王が勝手に戦争を始めたせいで多くの人が死ぬところだったのですよ! 戦争で一番犠牲になるのは誰ですか?」


 ナタリアは必死に声をあげる。


「他国との対立を煽る時点で、戦争をしようとする時点で為政者としては失格ですわ! 国民の生活と安全を守ること。戦いなどせずに国民が安心して暮らせるように外交努力をすることが為政者の役割なのです! そうではないですか⁉」


 ナタリアに呼応するように誰かが「そうだ! アルバン公が俺たちのために何かしてくれたことがあったか⁉」と叫び声があがった。


 つられるように「そうだそうだ!」と皆が唱和する。賛同の声が次々と民衆の中から湧き上がった。


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