思いがけなく……
ハインリヒ伯爵夫妻とローザが公宮から戻ってくるのと入れ違いになるように、ナタリアは連邦総督邸に転居することを決めた。
「お嬢さま、どうかお気をつけて」
「ありがとう、ベス。なにかあったらすぐに手紙をちょうだいね。近所に私と仲の良いサムっていう男の子がいるの。彼に使いを頼めばいいわ。どこに手紙を届ければいいかも分かっているから」
サムというのは昔ディードリヒが助けたキール帝国の斥候の少年である。現在はセドリックの密偵として働いており、ナタリアとの連絡係も兼務してくれているのだ。
「かしこまりました」
「お父さま達はいつ戻ってくるのかしら?」
「今夜、お戻りになると聞いております」
「分かったわ。お父さまには……」
「ナタリアお嬢さまは連邦総督邸での仕事があるので、そちらに転居することが決まったとお伝えいたします」
「完璧。ありがとう」
衝撃の告白の後、ナタリアと侍女長のメグは無事に和解した。
メグが母リディアを心から慕っていたことは確かだし、彼女が誤解した状況も理解できた。何より泣きながら申し訳ないと謝るメグにこれ以上悪感情を抱くことはできなかった。
それにメグがハインリヒ伯爵邸での動きを探ってくれれば自分がここにいる必要はなくなる。監禁される危険性を回避できるし、連邦総督邸では自由にディードリヒと連絡が取れる利点がある。
「じゃあ、行ってくるわね!」
「はい」
他に見送る使用人はいなかったが、メグは敬意をこめて深くお辞儀をした。
◇◇◇
「やぁ! やっと来たね。楽しみにしていたよ」
相変わらず気障な仕草でセドリックは辻馬車から降りたナタリアを出迎えた。
「わざわざお出迎えいただかなくても良かったのに」
「いやいや、迎えの馬車を送ると言っても断られたのでね。せめてこれくらいはさせてくれ」
王子様スマイルのセドリックは麗しすぎて、かえって裏に何か隠しているのではないかと疑ってしまう。
(もしかしたら本当にいい人なのかもしれないのに)
そう反省しそうになって慌てて頭を振った。
(誰も信用しちゃいけない。わたくしはあくまでキール帝国を利用して復讐するつもりなのだから)
ナタリアは礼儀正しく会釈をした。
「お気遣い痛み入りますわ。わざわざ馬車を送っていただくのも申し訳なくて。辻馬車で十分用は足りますから」
「君の節約精神には恐れ入るよ。どうかゆっくり過ごしてほしい」
「あの……どうせなら本当に何か仕事をさせていただきたいのですが。無駄飯は嫌です。掃除でも何でもやりますので」
「掃除!? 伯爵令嬢が?」
セドリックは目を丸くしながらも闊達に笑った。
「君は本当に面白いな。でも、もうお願いしたい仕事は決まっているんだ。キール帝国皇帝陛下からの直々の命令なのでね。断る権利はないと思ってほしい」
「はい」
皇帝直々の命令と聞いてナタリアの顔に緊張が走る。
「ま、でも、まずはゆっくりと休んでくれ。部屋に案内するよ。前回滞在したのと同じ部屋でいいよね? 仕事は明日から頼むよ」
「はい。ありがとうございます」
ナタリアは先導してくれるセドリックの背中を見ながら歩きだした。
◇◇◇
「ナタリア様、お久しぶりです。またお会いできて嬉しいです」
「こちらこそ、また料理長の美味しい食事をいただけて幸せです!」
「そんなふうに言ってもらえるとますますやる気が出てきますね」
翌朝、身支度を整えて厨房に行くと料理長はナタリアを温かく迎えてくれた。
(なんか懐かしい。皇帝陛下のために朝食のメニューを考えたりして楽しかったな。陛下はお世話係がいなくて大丈夫かしら? また髪がぼさぼさになったり肌荒れが酷くなったりしていないといいけれど……)
前世飼育係としてはやはり世話をしていた人がどうしているか気になってしまう。
「皇帝陛下はお元気でいらっしゃいますか?」
仕事の話をするためにセドリックの執務室に入るとナタリアは挨拶もそこそこにセドリックに尋ねた。
「気になる?」
「……ええまぁ、任された仕事ですので。どうされているのかと」
「以前よりは大分改善したみたいだよ。でも、来年の初めにまたアルバン公国に来る予定なんだ。その時にはまた世話係を頼むよ」
「またいらっしゃるのですか?」
「ああ。ほら、この国の後継者がアダム公世子でいいのか、国民投票をすると陛下が宣言しただろう? その国民投票の時期には陛下もここに滞在される。不正が行われても困るしね。陛下やキール帝国からの近衛部隊がいれば良い牽制になるだろう?」
「確かにそうですわね」
あのアルバン公なら投票結果を不正に操作しようとするかもしれない。
ナタリアは考えこんだ。それとは直接関係ないが彼女には一つ気になることがある。
「……陛下がこちらに滞在される間にアルバン公御一行もここを訪問される予定があるということですわね?」
小さな声で呟くとセドリックが興味深そうに目を瞬かせた。
「そうだよ。アルバン公御一行を連邦総督邸で開かれる舞踏会に招待するつもりだ」
「舞踏会?」
「ああ、盛大な夜会だよ。夜遅くまで行われるからその日の夜はこちらに一泊していただくことになる」
「アルバン公御一行が連邦総督邸に一泊されるのですね?」
「ああ、そうだよ」
セドリックが悪戯っ子のように微笑みながら付け加える。
「国民投票が行われた翌々日に舞踏会が開催される。そこで国民投票の結果も発表される予定だ」
「なるほど……、結果が望ましいものでなかった場合……」
顎に手を当てながら考えこむナタリアにセドリックが噴き出した。
「君のその形の良い頭の中に何が詰まっているのか知りたいよ。非常に興味深い」
「いえ、何も。意味のない独り言ですわ」
「俺はそう思わないけどね」
探るような視線を避けながらナタリアは尋ねた。
「それでわたくしに頼みたい仕事とは何ですの?」
「数日前にパトラ村から到着したばかりなんだ」
「パトラ村?」
ナタリアはきょとんと小首を傾げた。
とんとん
「ああ、ちょうど良かった」
ノックの音がしてセドリックが執務室の扉を開ける。そこには祖父の村長とパトラ村の主力の紡ぎ手たちが、どこか誇らしげな表情を浮かべて立っていた。
「お、お祖父さま!?」
ナタリアが思わず声をあげると祖父は顔をしわくちゃにさせて喜んだ。
「皇帝陛下から直々の命を受けて参上つかまつりました」
恭しくお辞儀をすると祖父の背後にいた紡ぎ手たちも一緒に頭を下げる。
「ど、どういうことですか?」
戸惑うナタリアにセドリックは『してやったり』という顔をしている。ちょっと悔しい。
「パトラ村の特別な繭を皇帝陛下が全て買い取っただろう? いやー高く吹っかけられたけどね」
「さすが気前の良いキール帝国ですな!」
祖父が豪快に笑う。
「まさか……お蚕さまを?」
「ああ、ナタリア。お蚕さまは全てこちらにお越しいただいた。これから絹糸を作る作業を始める。お前も手伝え」
祖父の言葉に呆気に取られるナタリア。
「それが皇帝陛下の命令です。ナタリア嬢にはパトラ村の皆さんとお蚕さまのお世話をお願いしますね」
ウィンクしながらセドリックが朗らかに告げる。
「はい……」
何が何だかよく分からないが、取りあえずナタリアは承諾した。




