侍女長のメグ
皇帝カイルは充実した視察を終え、上機嫌でキール帝国に帰っていった。ナタリアは晴れてお役御免である。
「ナタリア嬢、何かあったらすぐに連絡をください。皇帝陛下からもあなたをお守りするよう命じられていますからね」
連邦総督セドリックの心配そうな顔つきにナタリアは『急に過保護な母親が増えたみたいね』と小首を傾げる。
自分を気にかけてくれる人がいる。そう思うと嬉しくないわけではない。
「ありがとうございます。もしかしたらまたこちらでお世話になるかもしれません」
「ああ、遠慮しないでくれ。皇帝陛下からも先般の戦勝の功労者はナタリア嬢だからできる限り便宜をはかるように、と言われているんだ」
残虐非道な皇帝から随分懐かれたものだ。
(やっぱりシャチみたい。シャチを狂暴だと言って怖がる人もいたけど、わたくしには懐いてくれていたわ)
ナタリアは笑顔でハインリヒ伯爵邸に戻っていった。
◇◇◇
伯爵邸に戻ってすぐにナタリアが捜したのは侍女長のメグである。
父親に尋ねてもきっと答えてはくれまい。結婚した時から母リディアの侍女であったメグなら知っているかもしれないと思ったのだ。
「お嬢さま、何の御用でしょうか? 私は忙しいのですが……」
メグを自分の部屋に連れこんだナタリアは、彼女の恨みがましい目つきにたじろいだ。幼い頃は明るく優しい笑顔を向けてくれていたのを微かに覚えている。
母が亡くなりナタリアへの態度が明らかに冷たくなった。自分が何かしでかしてしまったのかも分からないまま、ナタリアもメグを避けるようになっていた。
「お母さまについて質問があるの」
「はい」
メグの頬が強張った。ナタリアは単刀直入に尋ねる。
「お父さまが金でアルバン公……当時の国王にお母さまを売ったというのは本当ですか?」
「一体どこでそれを!?」
目をカッと見開いたメグは目を血走らせて慄いている。
「アダムがそう言っていたのよ。何か知っているなら教えて」
「知ってどうなさるおつもりで?」
挑戦的な態度で尋ねるメグの目はぎらぎらと光っておりナタリアは圧倒されそうになった。
メグは父親の味方なのか?
ずっとそう思っていたが、先日父親からマスターキーを預かってナタリアの部屋を捜索すると言っていた割に彼女の部屋に誰かが入った痕跡はまったく無かった。
(あれは一体なんだったのかしら?)
この屋敷に住む人間は全員敵だと自分に言い聞かせているが、わざわざ戻ってきたのは真実が知りたかったからだ。
今さら何を告げ口されても怖くないし、身の危険を感じたらセドリックのところに一時避難させてもらうこともできる。
「わたくしは復讐したいの。お母さまがお父さまのせいで屈辱を受けて死を選ばざるを得なかったのだとしたら、絶対に許さない」
メグの灰色の瞳から透明な涙が大量な涙が溢れ出た。
「ど、どうしたの?」
慌ててハンカチを差し出すとメグはそれを目に押し当てるようにして荒く息を吐きだす。
「うっ……うっ……ごめ……なさ……い」
号泣するメグをソファに座らせて、必死に宥めたり慰めたりすること約三十分。ようやく落ち着いたメグがゆっくりと話し始めた。
「申し訳ございません。私はずっとお嬢さまを恨んでおりました。それは誤解だったのかもしれません」
「わたくしを? ……お母さまのことで?」
「はい。お嬢さまに責任はないのかもしれないと分かってはいたのです。でも、どうしても納得できなくて、どうしてあのお優しい奥様があんな酷い目に……」
再び滲みだした涙をメグはハンカチで押さえた。
「アルバン公……当時の国王陛下がリディア奥様に執着されていたのは誰の目から見ても明らかでした。ですから、私は奥様が王宮に呼ばれた時は一緒に帯同させていただくことを旦那様にお願いしたのです。でも、旦那様は決して聞き入れてくださらなかった」
(あの莫迦親父……)
「そのうちに奥様は王宮に行くことを嫌がるようになりました。口実を作ってことごとく断っていたのです。そうしましたら今度はお嬢さまを王太子殿下の婚約者に、とお命じになり旦那様は喜んでお受けしました。奥様はお嬢さま一人を王宮に送ることなどできない、と再び王宮に通うようになり……」
「ごめんなさい。本当に私さえいなかったら……」
「いえっ! お嬢さまにはどうしようもないことだったのに逆恨みしていたのは私です。申し訳ございませんでした」
王宮にいるリディアは常に緊張していたように記憶している。本当に自分さえいなかったら母は今でも生きていたかもしれないと思うと、いくらナタリアが鋼の精神の持ち主でも心が痛んだ。
「奥様がお亡くなりになった日、王宮から戻られた奥様はすぐに浴室で湯浴みされ、その後はずっとお泣きになっておられました。余程辛いことがあったのだと拝察いたしました」
心臓がどきんと嫌な音を立てる。母の死の謎が核心部分に入っていく気がした。
「それで……? お父さまは何も……?」
「旦那様は『でかした』とおっしゃっていました。国王の寵姫になればハインリヒ伯爵家は盤石だと。その時の会話で旦那様が国王陛下に奥様を売り渡したのだと……私にも分かりました」
子供まで授かった夫が他の男に勝手に自分を売っていたと分かったら、もう生きていられないくらいの衝撃だろう。
「しかも旦那様には既に愛人がおられてローザという娘もいるとか……。愛人は貴族だし半分平民の血が混じっている娘よりもローザの方が王太子妃にふさわしい。いずれはローザを正妃にしてナタリア様を側室に、などとおっしゃって激しい言い争いになりました。奥様は絶対にナタリアを側室になどしないと叫んだ後、衝撃のあまりでしょう、意識を失われました……」
その時に母が味わったであろう絶望を想像するだけで辛い。呼吸をするのも苦しくなった。
「……その絶望の中でお母さまは亡くなったのね? 酷いわ……」
「お嬢さまが奥様に毒をお渡ししたのではないのですか?」
「は!? 何の話!?」
思いがけない質問にナタリアは呆然とメグを見返すことしかできなかった。




