会談
アルバン公国を回る視察を終え、連邦総督邸に戻ってきたカイルは翌日のアルバン公との会談を控えて準備に余念がない。
経済、外交、農業政策、インフラ計画など膨大な資料を読みながら疑問が浮かぶとナタリアに国内事情を尋ねる。
皇帝に対して十分に答えられているか不安もあるが、今のところカイルは満足そうである。
「ナタリア、目下のところ一番大きな問題はアルバン公の公世子アダムがこの国の後継ぎとしてふさわしいかどうかなんだが……」
「ふさわしくはないです」
ナタリアは食い気味に断言した。あんな莫迦息子が後を継いだら国がますます悪くなる。
「なるほど……。例えば、アダムを教育して良き君主になる可能性は……いや、いい」
ナメクジでも飲み込んだようなナタリアの顔を見てカイルは何かを悟ったようだ。
「そうすると、後継ぎは俺の影響力が強いうちに変更したほうがいいだろうな?」
「はい。ぜひお願いしたいです。ただ、恐らくアルバン公や貴族からの反発は凄まじいでしょうが」
「高圧的にいったほうがいいか?」
カイルは案外いろいろと考えている。
繊細な配慮もできる暴君だとナタリアは密かに感心している。
しかし、ここで彼に選択してほしいのは……。
「はい! 圧倒的な力でねじ伏せてください!」
「まったく君は……」
呆れたようにくすっと笑うカイル。
「ここは君の故郷だ。いいのか?」
「故郷と呼べるほどの愛着はありません。私にとって大切なのはパトラ村だけですから」
「よし、分かった。君がその形の良い頭の中で何を謀っているのか知らないが乗ってやろう」
カイルは再び分厚い資料に視線を移した。
◇◇◇
カイルとアルバン公の会談の日の朝、ナタリアはハインリヒ伯爵邸から取ってきてもらった母リディアの遺したドレスを着ることにした。
新しいドレスを贈るというセドリックを振り払い、自分が持っている中で一番まともなドレスを持ってきてもらったのである。
薄水色の爽やかなドレスは母の金髪に良く似合っていた。同じようなハニーブロンドで蒼い瞳のナタリアにも合うだろう。
「その恰好で行くのか?」
「ええ、何か変ですか?」
「いや、良く似合っている。……だから心配なんだがな」
カイルが小さな声で呟いたがナタリアには聞こえなかった。
会談の開始時間が迫りアルバン公が連邦総督邸に到着したという連絡が入る。
「皇帝陛下、全ての準備が整いました。アルバン公がお待ちです」
セドリックが呼びにきて、カイルは小さくため息をついて立ち上がった。
同時にナタリアも立ち上がる。
会談の会場に到着すると贅沢な椅子が二つ、くの字を書くように並べられている。
そのうちの一つには既に渋い顔のアルバン公が座っており、背後に用意された椅子にはやはり眉間に皺を寄せたアダムと会談書記の補佐官が腰かけていた。
「待たせたな」
カイルが登場するとアルバン公が顔を上げて口元をゆがめた。
笑顔を作ろうとしたのかもしれない。
セドリックがカイルの背後の椅子に座り、その隣がナタリアだ。
今日の会談はアルバン語で行われるので書記を頼まれたのである。
アルバン公は目ざとくナタリアを見つけて、じっと彼女に視線を注ぐ。
「それは……リディアのドレスだな?」
ナタリアはびくっと肩を揺らした。
まさか母のドレスまで覚えているとは思わなかった。異常な執着に背中に鳥肌が立つ。
ナタリアは何も言わずに黙って会釈をした。
「ナタリアはリディアに瓜二つだ。やはり公宮に呼び寄せて……」
「アルバン公! 本日の議題には関係のないことです」
カイルが冷たく言い放つとアルバン公は悔しそうに唇を嚙みしめた。
「あなたもナタリアを狙っているのですかな?」
「莫迦げたことを。議題を始めましょう。まずは貿易と関税利率について……」
さすがにアルバン公もカイルに視線を向けるようになったが、ナタリアは鳥肌を抑えられなかった。
「大丈夫かい?」
隣に座っていたセドリックが気遣うように囁いた。
「はい。平気です」
そしてナタリアが神業のような速さで会談の内容を筆記していくのを見て、セドリックは安心したように視線をカイルに戻した。
立場的にアルバン公はカイルに逆らうことができない。
全てを諦めたようにアルバン公はカイルの言葉にひたすら頷いている。
「……最後に、後継者のことだが」
さすがにアルバン公と不貞腐れた顔で聞いていたアダムの表情が強張った。
「我が国の後継にあなたが口を挟む必要はない!」
アルバン公がぴしゃりと拒絶したが、カイルは冷徹に告げた。
「……アルバン公国の統治者はキール帝国皇帝が指名する権限を有する」
「それはっ……」
アルバン公とアダムが強く唇を噛みしめた。
それは両国が調印した文書に記されている。
アルバン公も署名した以上、従うしかない取り決めである。
「キール帝国皇帝である俺が命じれば貴殿らはすぐにその座を追われることになる」
冷ややかに睨みつけるカイル。
「分かった。誰を後継にするというのか?」
「来年、国民にアルバン公の評価とアダムが後継者として相応しいかどうかの判断を任せる。国民投票をして七割の国民が君達を支持すれば現状の通り、アダムを公世子として認めよう」
「こ、こくみんとうひょうだと!?」
自分の耳が信じられないという表情のアルバン公にカイルは冷たい笑みを向けた。
「要は国民が幸せだと思うような政策をすればいい。今までのように貴族優遇で搾り取った税金で遊び暮らしているようでは無理だと思うけどな」
「あんな! 家畜のような民衆に媚びろというのか!?」
アダムが声を張りあげた。ナタリアは内心でため息をつく。
(国民を家畜扱いするなんて……。ホント変わらないわね。何様のつもりかしら?)
「国民がいなければ国は成り立たない。それくらい分からないのか?」
「お前達が税率を下げたせいで国民からの税収は減った。儂らが受け取る金は減ったうえにキール帝国に税収を送っているんだ。儂らが国民のためにどれほど苦しい目に遭っているか……」
「昔が異常だったんだ。異常に高い税率で民衆から税を搾り取り、王侯貴族だけが贅沢三昧をする国なんて滅びて当然だろう? 今でも普通に貴族としての生活をするのに十分な金を受け取っているはずだ。昔のように贅沢できないから『苦しい』とかふざけるな」
(そうだそうだ! もっと言え!)
ナタリアはカイルに心の中で声援を送る。
それを察したのかアダムが殺気に満ちた目でナタリアを睨みつけた。
(あー、まずいまずい。仕事しなきゃ)
再び議事録に集中するナタリア。
「来年、国民投票を実施する。もし七割の支持を受けることができなかったら即座に退位してもらう。後継者は俺が決める。これは決定事項だ。異論は認めない」
きっぱりと言い切るカイルにアルバン公とアダムは何も抗弁できず、ただ悔しそうに歯ぎしりするだけだった。




