婚約破棄
*不定期更新になります。のんびりと気長に読んでいただけたら嬉しいです。時間はかかるかもしれませんが完結はお約束します。どうかよろしくお願いいたします<(_ _)>
「ナタリア、我が祖国の裏切り者! お前のような女に国母となる資格はない! 今この時をもってお前との婚約は破棄する! 泣いて縋ってももう遅いからな!」
意気揚々とそう叫んだのはここアルバン公国の公世子、つまり世継ぎのアダムである。
ナタリア・ハインリヒ伯爵令嬢はハニーブロンドの髪をサラリとかきあげ、海のように蒼い瞳を軽く見開いた。
(誰が泣いて縋るって?)
アダムの婚約者であるナタリアは冷ややかに笑うと優雅に会釈しながら「分かりました」とよく通る声で答えた。
「なにっ⁉」
今日はアダムの十八歳の誕生日パーティだ。
さすがに婚約者として欠席はできない、と侍女たちの冷たい視線に耐えながらできる限りの装いで出席してみたらこのざまである。
わざわざ来てやったのに、と心の底から後悔した。
「書面で改めて通達していただけますか? そのほうが対応しやすいので」
「なにっ⁉」
まったく同じ台詞である。
アルバン公の後継ぎとしてもう少し語彙を増やしたほうがいいと助言したくなったが、もう自分には関係のないことだと気がついて控えめに笑みを浮かべながら首を傾げた。
「『なにっ⁉』……と言われましても、婚約破棄するとアダム様が宣言され、わたくしはそれを承諾した、ということですわ」
「酷いわっ! おねえさま!」
異母妹ローザの甲高い声が聞こえると『また面倒くさいのが入ってきた』と内心でうんざりする。
「おねえさまはいつもそう! 冷たすぎます! 人間として思いやりの心が欠けているのですわ。アダム様の御心が離れて当然だと思います。どうか心を入れかえてアルバン公国のために尽くしてください!」
(何を言ってるんだか)
ナタリアは心の中で冷笑した。
知らないと思っているのだろうか?
陰でローザとアダムが逢瀬を重ねていることはとっくに把握している。
そもそもアダムとの婚約はアルバン公、つまりアダムの父親が強引に結んだものであり、ナタリアが望んだものではない。
「婚約破棄、上等ですわ。わたくしも望むところです! では皆さま、ご機嫌よう」
「お、おい! 待て! だからお前からの借金は帳消しに……」
それは聞き捨てならない。ナタリアはくるりと振り返った。
「一方的に婚約を破棄して借金まで帳消しになるはずがございませんでしょう? 連邦総督に報告した後、キッチリ全額返済していただきますから」
『連邦総督』と聞いて周囲のざわめきがピタリと止まる。代わりにひそひそと非難めいた声が聞こえてきた。
「まさに噂通りの守銭奴……」
「ほら……やっぱりナタリア様は帝国の味方なのよ」
「愛国心の欠片もない」
「敵に尻尾を振って」
「野蛮人が!」
アルバン公国において貴族間の金銭のやり取りはキール帝国連邦総督への報告義務がある。
この国は五年前まではアルバン『王国』であったが、無謀にも隣のキール帝国に攻め入って返り討ちに遭い国ごと併合された。
その後、帝国のお情けによって元アルバン王国の国王がアルバン公となり、貴族らの身分もそのまま維持することが許された。
しかし、あくまでもキール帝国の属国という扱いである。
アルバン公国を統治するために帝国から派遣されてきたのが連邦総督であり、当然ながらアルバン公よりも総督の方が実質的な地位は高い。
公国にとっては我慢ならない屈辱である。
キール帝国に対して激しい敵意と憎悪を抱きつつ力では敵わないという鬱屈した空気がアルバン公国の、特に貴族階級には漂っていた。
ナタリアは連邦総督に気に入られており、定期的に彼と面会している。
やっかみもあるのだろうが、ナタリアは『帝国の犬』『裏切り者』『悪女』などとレッテルを貼られ、貴族の間での評判は下がる一方であった。
アダムの妃にはナタリアよりも愛国者のローザのほうが相応しいなどと言い出す者も出始めた。
さらにナタリアは金に執着する『守銭奴』という噂まで流れている。
ナタリアから借金をしているアダムが故意に流したものだろう。
しかし、ナタリアは気にしない。
こんな腐った貴族達は滅びてしまえばいいとすら思っている。
彼女がここにいる理由はただ一つ。
亡き母が大切にしていた人たちを守るためである。
そのためにも帝国との良好な関係は欠かせない。
「わたくしがみっともなく縋ると思っていらしたの? 婚約を破棄されたくなかったら借金を帳消しにしろ、とでも交渉するつもりだったのかしら?」
「うっ、それは……」
図星だったのだろう。
アダムの顔が真っ赤になった後、急速に青ざめた。
とんだ茶番だ。
「わたくしはこれで失礼いたしますわ。婚約破棄については後ほど専門の法律家と相談させていただき、慰謝料と借金の総額をお伝えいたしますから」
「慰謝料まで!? いや、待て! そうじゃない! 俺は……」
大声をだしてアダムが肩を掴もうとしたので、ひらりと身を躱すとナタリアはその場から走り去った。
(本当は蹴り飛ばしてやりたいけど、こっちが慰謝料を請求されるのは御免だわ)
首を振りながら会場を出ようとすると背後からくすくすと笑い声が聞こえた。
「さすがだね。痛快だったよ」
柱の陰から現れたのは帝国の連邦総督セドリックである。
彼はクリーム色の手袋に覆われた左手を額にかざし、気障なポーズで挨拶をした。
「見ていらしたのね? 助けてくだされば良かったのに」
「いや、必要なさそうだったのでね」
セドリックは若いがやり手の連邦総督だ。
表向きは儀礼的な公務もあるが総督の実質的な役割は徴税である。
分かりやすくいうと、アルバン公国の領民からの税金を、貴族に不正に中抜きさせずに帝国に送ることである。
ナタリアは税金逃れや資産隠しをするアルバン公国の貴族を見つけたら報告し、セドリックは人々から搾り取った税金で貴族が私腹を肥やさないように見張っている。
(アルバン公国の貴族連中を裏切っていると言われたら否定できないわね)
「あなたの動きはいつでも興味深い。婚約を破棄されて今後どうなさるおつもりですか?」
前髪の隙間から鋭い視線を感じる。
セドリックは金髪碧眼の端整な面立ちでアルバン公国でも密かに憧れている令嬢が多いと聞く。
物腰が柔らかく上品で王子様のようだというのだが、ナタリア自身は油断ならない曲者だと考えていた。
「領地経営に邁進いたしますわ。ご存じでしょう? ハインリヒ伯爵領には『あの村』がありますから」
「そうですね。この腐った国であの村だけは燦然と輝く宝石の価値があると陛下にも報告しています」
「また心にもないお世辞を……」
「お世辞ではありませんよ。あの村の住民はあなたを信望しており、あなた以外の言うことは聞きません。だからこそ帝国もあの村とあなたをお守りしているでしょう?」
「お守り……ね。監視されているようだけど」
「心外ですね」
「感謝はしておりますわ」
ナタリアが肩をすくめると、緩い笑みを浮かべていたセドリックの顔が引き締まった。
「今度皇帝陛下がアルバン公国に視察に訪れます」
「えっ!?」
さすがのナタリアの顔も青ざめた。
キール帝国の皇帝は残虐非道の暴君として知られている。
五年前のことだ。
キール帝国で大きな内紛が起こった。クーデタと言ってもいい。
皇帝の末子が突然当時の皇帝、妃、皇子皇女、皇族全員を皆殺しにして自らが皇帝の座についたのだ。
誰も反撃できないよう帝国軍と近衛騎士団をあっという間に掌握した新皇帝は、宰相や文官をも味方につけてすぐに内政を安定させた。
隣国のアルバン王国(当時)の国王(現在のアルバン公)は政情不安定なキール帝国ならちょっとくらい領土を奪えるのではないかと愚かなことを考えたらしい。
隙をついてキール帝国に攻撃を仕掛けたが若き皇帝は見事に軍を従え、犠牲者をほとんど出さずに勝利をおさめた。国民は新皇帝に喝采を送ったという。
しかし、一方で身内を皆殺しにした血も涙もない残虐な暴君との噂も聞く。
敗北を喫したアルバン公国ではその名前を聞くだけで誰もが震えあがるほど恐れられている存在なのである。
「皇帝陛下が……? なんのために?」
「一応視察ということですがね」
「属国の視察ということですか?」
「さぁ?」
「さぁって他人事みたいに! どういうことですか?」
思わず淑女らしくない声が出てしまった。こほんと咳払いをして淑やかさを取り戻す。
「そうですわね。失礼いたしました。わたくしには関係ありません……」
面倒に巻き込まれたくないと曖昧に微笑むと、いたずらっぽい表情を浮かべたセドリックと目が合った。
「いや、あなたにも関係があることです。皇帝陛下がいらした時には案内役をお願いします」
「お断りいたしますわ」
「何故?」
「逆にお伺いしますわ。何故わたくしなのです?」
「そりゃ、あなたが一番帝国のことをご存じだからですよ。帝国の公用語であるキール語も流暢ですしね。アルバン貴族の中でキール語を使いこなせる者は少ない。あなたには例の村への案内も頼みます。帝国でも大変貴重な産品ですからね」
「それは……確かに」
理路整然と理由を説明されてしまうと、かえって断りづらくなった。
「えーっと、報酬は……?」
「はずみますよ」
「やります!」
その一言で俄然やる気がでた。その顔を見てセドリックが爆笑する。
「くっくっ……いや、さすがナタリア嬢。詳しいことはまたお知らせしますよ」
目尻の涙を指で拭いながらセドリックが言った。




