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リアナは楽しそうに高笑いをしながら、俺の部屋を出て行った。
……第五王子殿下とやらとの対面まで、あと一週間か。
俺にはこの婚約を『断る』という権限が当然ない。
しかし前世を思い出した今。不幸になるとわかっている婚約を、か弱い令嬢のように涙ながらに受け入れるつもりもなかった。
──うん、逃げよう。逃げてしまおう。それがいい。
今すぐ荷物をまとめて逃げてしまうことも考えたが、この体でどこまで魔法を扱えるのかを確認してからでないと無謀だと思い直す。
自分のできる範囲を確認しておかねばいざという時に対処できずに、賊に襲われたり奴隷商に捕まったり簡単に公爵家に連れ戻されたり……なんて嫌な展開が予測できるもんな。急いてはことを仕損じるという言葉もあるし、下準備は大事だ。
婚約から結婚まで二年程度は期間があるだろう。その間に、完璧に逃げる準備を整えよう。
まずは……この体でどこまでやれるのかをたしかめたい。だけどこの部屋で、派手な魔法を使うのはなぁ。
家具を壊したり部屋を焦がしたりしたら、なにを言われるかわからない。魔法の痕跡を見つけられても面倒だ。
部屋を訪れるのは、朝晩に部屋の前に食事を置きに来るメイドと一週間に一度来る家庭教師。そしてリアナのように時折『気晴らし』にやって来る兄姉くらいだ。
父母はイーディスへの興味を完全に失っているので、部屋を訪れることはまずないだろう。
部屋を少し抜け出しても、きっと気づかれないよな。
幸いなことにここは一階だ。窓に嵌まった鉄格子さえなんとかできれば、部屋を抜け出すことはできる。
そう決めた俺は、クローゼットを開ける。
クローゼットの中には、シンプルなデザインのドレス……というよりもワンピースが二着だけ。それも、ひどくボロボロだ。
イーディスの身の回りの世話は、誰もしてくれない。だから洗い場にイーディス自身が汚れ物を持ち込み、自分なりの方法で洗いはしているのだが……。家事なんてしたことがなかった令嬢が不器用に繰り返し洗った衣類は、令嬢の持ち物とは思えない様相になってしまっていた。
第五王子殿下と会う際には、ちゃんとした服を用意してもらえるのかな。
王族の前にみすぼらしい格好で娘を出して、不興を買うのは公爵家だ。そんなことはさすがにしないだろうが。……しないよな?
「こっちが動きやすそうかな」
白のワンピースを手に取り、鏡の前で体に当てる。
年齢ごとの買い替えなんてものは当然考慮されていないので、少しばかり小さいが……。まぁ、着られないことはないな。うん。
「浄化」
指先に魔力を集め、短く唱える。
するとワンピースからは、汚れがぱっと消えた。
「風よ」
ついでに、風魔法を使って服の皺も伸ばしてしまう。
ふむ、この程度の魔法は問題なく使えるようだ。