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ローレンスの甘えん坊にしばらく付き合ってから、きりがないのでなんとか彼を引き剥がす。
そして身支度を整え終わった俺は、外出をするべくローレンスを従えて玄関へ向かった。
……いつもは窓から出入りしているので、なんだか新鮮だな。
玄関に向けて歩く『イーディス』を見て通りすがった家族と使用人たちは不満そうな顔をしていたが、皆なにかを言うことはなかった。柱の影に隠れたリアナが射殺すような視線でこっちを見ていたことには、気づかなかったことにしよう。
「さて、イーディス様」
玄関を出た瞬間、ローレンスがにっこりと笑う。
そして、俺の体を軽々と抱え上げた。
「わっ! どうして抱き上げるんだ!?」
「私が抱えて走った方が早いでしょう。イーディス様は体力と魔力を温存していた方がよいと思いますし」
「……馬ではダメなのか?」
「ダメです。馬上は疲れますし、私は馬より速いです」
たしかに、それもそうか。いや、本当にそうか?
これでも前世では乗馬の名手だったんだぞ。……イーディスの体では馬になんて跨ったことはないけれど。
納得できない気持ちが少しばかりあるが、どうせ言ってもきかないだろうと思った俺はローレンスの腕の中で力を抜く。
ローレンスはにこりと笑って、強化魔法を無詠唱で行使した。そして、足にぐっと力を入れる。
「──ッ!」
体にわずかに圧が掛かった。と同時に、背景がすごい速度で後ろに流れていく。
これはたしかに馬より速いな。魔法で風圧と揺れをコントロールしているので、『乗り心地』も快適だ。
振り返れば、公爵家の屋敷があっという間に小さくなっていく。
……早く旅に耐えうる体力をつけて、あの家を出て行きたいな。あそこは息が詰まるんだ。
「我が君。揺れなどは平気ですか?」
心配そうにこちらを覗き込みながら、ローレンスが訊ねてくる。本当に心配性だな。
「快適すぎるくらいだ、ローレンス。見事な魔法制御だな」
「お褒めの言葉ありがとうございます。もっと満足いただける乗り心地を追求しますね」
ローレンスはそう言うと、うっとりとした表情で微笑んだ。
「いやいや、外出の際常にお前に運ばれるつもりはないんだが」
「それは残念です。もっと研鑽を積んで我が君から『乗りたい』とせがむようなしもべになってみせましょう」
「いやいやいや、それはどんなしもべなんだよ」
呆れたように俺が言えば、ローレンスは楽しそうに笑う。
そんな馬鹿なことを話している間にも、景色はどんどん変わっていく。
俺たちを目にして首を傾げる通行人もいるが、目の前を通り過ぎたそれが『なに』だと認識する暇はないだろう。
それくらい、ローレンスの足は速かった。……遠出の時には、いつもこのスタイルになりそうだな。
しばらくローレンスに『乗って』進むと、大きな森が見えてきた。
エドゥアール王子殿下と出会った、あの森だ。
「あそこにオークの集落が発生したのか?」
「そうです、我が君。森の深部で発生を確認しました」
「深部で、か。それは危ないな」
集落と呼べる規模のものなのだ。弱い魔物たちがその数に圧倒されて押し出され、付近の街へと押し寄せるような事態になりかねない。その前に処理をしてしまわないとな。
……本当ならばこれは、この一帯を統治する公爵家の役目なんだがな。
そんなことを思いながら、俺はふうと息を吐く。
まぁいい。今の俺は『一応』は公爵家の一員だしな。
ローレンスが、森の入り口で足を止める。
「我が君、到着いたしました」
そして、そんなふうに俺に声をかけた。
「ああ、下ろしてくれ」
「このまま、抱えていてもよいのですが」
「お前が戦うのに、邪魔になるだろう」
「……我が君がそうおっしゃるのなら」
渋々という様子で、ローレンスは俺を地面に下ろす。
……さて、久しぶりの腹心との狩りのはじまりだ。




